第35話 外伝 その八 『運命の子供』②
文字数 1,680文字
そんなある日、ミタン軍に追い詰められ傷ついた王子は、とある村に辿り着いた。
村人達は全身血と汚れに塗れてはいるが、その埃だらけの顔から覗く澄んだ瞳の美しさに普通の若者とは違う何かを感じ、村外れの小屋に匿った。
その小屋で薬草使いの老婆から傷の手当を受けた。刺し傷の一つはかなり深かいところまで達していたが、老婆とその孫娘の献身的な看護で何とか傷口も塞がり命を取り留めた。
その後も、すっかり回復するまで何くれとなく世話を受けた。
娘は幼い頃に悲惨な事故で両親を失い、元々無口な子供だったが、以来、そのショックからか声を発することが出来なくなっていた。
印象的な大きな目で若者を見詰めては、いつも大人しくその世話をしていた。
しかしその触覚は優しく、傷ついた若者の心に無言の言葉が流れるように聞こえていた・・。
娘が摘んで来た草花の香が漂っていた。その心地よい香りに身を委ね、若者が言った。
「・・声を聞かせて・・」
老婆から、娘は口が利けないのだと聞いていたが・・。
「・・・」
若者の問いかけに暫く無言でいたが、それから何か言葉を発しようとするように喉元に手を当て、何度も口許を動かした。
しかし、必死に声を出そうとしても微かな軋むような音しか出て来ず、それがもどかしいのか代わりにその大きな瞳から大粒の涙が頬を伝い落ちた。
・・一番、言葉を交わしたいと思った人に、声を聞かせることが出来ないなんて・・。
「いいんだ・・無理しなくて・・」
その様子に、若者はそう言って思わず娘の腕に優しく触れた。
空に美しく満月が掛かっていた・・。
暫くしてシュメリア軍の兵士達が数人、食料を調達するため村にやって来た。
そして、行方不明が伝えられた王子の無事を知って喜んだ。
「今、友軍の一つが敵方に包囲され窮地に立たされております」
「そうか・・では、おれが指揮を取ろう」
「はい。殿下の援軍がやって来たと分かれば皆、元気百倍・・何とか持ちこたえます」
もうかなり傷の癒えた王子が戦場に戻ることにしたその別れの朝、娘は再び喉元にそっと手をやり、何とか言葉を発しようとした。
が、微かに何かの単語を発したまま、すぐに突然の別れの悲しみのため絶句した。
若者は耳を近づけ、何と言ったのか聞き取ろうとした。
その耳に微かに娘の発した言葉が届いた・・。
若者が去って月が何度も満ちた後に、娘は男の児を出産し、その父親の名を付けた。言葉を失って以来、娘が発した唯一の言葉だった。
その子は成長し、命を繋いだ。
更に繋がって行く命は、やがて他国でひとりの男児を生み出した。
その子は成長し、神官の職に就いた。
そして若き日々の間、諸国を巡った。まるで何か目に見えぬものにでも導かれているかのように・・その足は一ヵ所に留まることを知らなかった。
そんな或る日、若者はもう何百年も生きていそうな老人に尋ねられた。
「巡礼の若もん・・どこを目指しておるんや」
「・・鬱蒼とした森と・・深い渓谷の流れる、美しく月の輝くところ」
「そこに、おまいさんの神さんは住もうてか」
「分かりません・・唯、その見たこともない美しい光景が、この私を招くのです・・幼少の頃より」
「美くしゅう月は、シメリアに・・深い森と渓谷は・・遥かミタンの、そのまた奥にあるゆうて・・わいが子供ん頃に、じいさんより聞いた話や。そのじいさんがまた、子供ん頃に聞いた話やゆうての・・」
ある日、美しいシュメリアの都に辿り着いたその神官の若者は、神殿で身を売る若い女に出会った。印象的な大きな目をしていた。
なけなしの金で女を買うと、女に連れられその家に行った。
その後、月が何度か満ちる間、若者は女の家で過ごした。
そんな或る日、女が調達した食料を抱えて家に戻ると、その若い神官の姿は消えていた。
それからまた何度か月が満ちた後、女は女児を出産し・・その父親が話していた、美しい森の娘を表す・・エルウディアと云う名を与えた。
・・その児はやがて、その名の如く・・しっとりとした深い森を思わせる美しい娘へと成長していった。
村人達は全身血と汚れに塗れてはいるが、その埃だらけの顔から覗く澄んだ瞳の美しさに普通の若者とは違う何かを感じ、村外れの小屋に匿った。
その小屋で薬草使いの老婆から傷の手当を受けた。刺し傷の一つはかなり深かいところまで達していたが、老婆とその孫娘の献身的な看護で何とか傷口も塞がり命を取り留めた。
その後も、すっかり回復するまで何くれとなく世話を受けた。
娘は幼い頃に悲惨な事故で両親を失い、元々無口な子供だったが、以来、そのショックからか声を発することが出来なくなっていた。
印象的な大きな目で若者を見詰めては、いつも大人しくその世話をしていた。
しかしその触覚は優しく、傷ついた若者の心に無言の言葉が流れるように聞こえていた・・。
娘が摘んで来た草花の香が漂っていた。その心地よい香りに身を委ね、若者が言った。
「・・声を聞かせて・・」
老婆から、娘は口が利けないのだと聞いていたが・・。
「・・・」
若者の問いかけに暫く無言でいたが、それから何か言葉を発しようとするように喉元に手を当て、何度も口許を動かした。
しかし、必死に声を出そうとしても微かな軋むような音しか出て来ず、それがもどかしいのか代わりにその大きな瞳から大粒の涙が頬を伝い落ちた。
・・一番、言葉を交わしたいと思った人に、声を聞かせることが出来ないなんて・・。
「いいんだ・・無理しなくて・・」
その様子に、若者はそう言って思わず娘の腕に優しく触れた。
空に美しく満月が掛かっていた・・。
暫くしてシュメリア軍の兵士達が数人、食料を調達するため村にやって来た。
そして、行方不明が伝えられた王子の無事を知って喜んだ。
「今、友軍の一つが敵方に包囲され窮地に立たされております」
「そうか・・では、おれが指揮を取ろう」
「はい。殿下の援軍がやって来たと分かれば皆、元気百倍・・何とか持ちこたえます」
もうかなり傷の癒えた王子が戦場に戻ることにしたその別れの朝、娘は再び喉元にそっと手をやり、何とか言葉を発しようとした。
が、微かに何かの単語を発したまま、すぐに突然の別れの悲しみのため絶句した。
若者は耳を近づけ、何と言ったのか聞き取ろうとした。
その耳に微かに娘の発した言葉が届いた・・。
若者が去って月が何度も満ちた後に、娘は男の児を出産し、その父親の名を付けた。言葉を失って以来、娘が発した唯一の言葉だった。
その子は成長し、命を繋いだ。
更に繋がって行く命は、やがて他国でひとりの男児を生み出した。
その子は成長し、神官の職に就いた。
そして若き日々の間、諸国を巡った。まるで何か目に見えぬものにでも導かれているかのように・・その足は一ヵ所に留まることを知らなかった。
そんな或る日、若者はもう何百年も生きていそうな老人に尋ねられた。
「巡礼の若もん・・どこを目指しておるんや」
「・・鬱蒼とした森と・・深い渓谷の流れる、美しく月の輝くところ」
「そこに、おまいさんの神さんは住もうてか」
「分かりません・・唯、その見たこともない美しい光景が、この私を招くのです・・幼少の頃より」
「美くしゅう月は、シメリアに・・深い森と渓谷は・・遥かミタンの、そのまた奥にあるゆうて・・わいが子供ん頃に、じいさんより聞いた話や。そのじいさんがまた、子供ん頃に聞いた話やゆうての・・」
ある日、美しいシュメリアの都に辿り着いたその神官の若者は、神殿で身を売る若い女に出会った。印象的な大きな目をしていた。
なけなしの金で女を買うと、女に連れられその家に行った。
その後、月が何度か満ちる間、若者は女の家で過ごした。
そんな或る日、女が調達した食料を抱えて家に戻ると、その若い神官の姿は消えていた。
それからまた何度か月が満ちた後、女は女児を出産し・・その父親が話していた、美しい森の娘を表す・・エルウディアと云う名を与えた。
・・その児はやがて、その名の如く・・しっとりとした深い森を思わせる美しい娘へと成長していった。