第7話 再び逮捕・収監
文字数 1,485文字
こうして再び、懐かしいママの元へ帰ることができた。幸い、邪魔な再婚相手の野郎は、とっくにどっかへ行っちまっていて、ママを盗られなくて本当に良かった……、
って、おい! 何言わせんだ! 俺は、マザコンじゃないって言ったろ!
それをこれから検証するんじゃないですか!
でも、その前に……
2年の不在の後、新婚の妻の元へ、ダヴーが帰ってみると……
誰が泣くか!
アデレイドのやつ、俺の留守中に浮気をしやがって。速攻で、別れてやったわ!
1794年1月3日。ダヴー夫妻は離婚している。離婚の理由は、「性格の不一致」となっている。
フランス革命が神を否定してくれて、本当に良かった。カトリックは、離婚を禁止してるから。
神が不在だったおかげで、あっさり離婚できたぜ。
ダヴーの母親の元に、行政官と二人の軍人が訪れた。彼女に、逮捕令状が発行されたのだ。亡命貴族(エミグレ)
*との通信容疑だった。
*ロシュフーコー家
即座に彼女は逮捕され、オセール*の監獄に連行された。ダヴーも、一行についていき、監獄近くに宿泊した。
*ダヴーが最初に学んだ王立軍事学校の所在地
ほうら。
逮捕されたママについていくなんて、やっぱりマザコ、
母親の容疑が、エミグレ(亡命貴族)との通信容疑だと探り出したダヴーは、深夜、宿を抜け出した。誰にも気づかれないように、ラヴィエールの実家まで戻った。彼は、妹ジュリーの助けを借りて、ロシュフーコー家からの手紙を見つけ、焼き捨てた。
ママは釈放された。
なにしろ、証拠がないからな、俺が焼いたから。
はっはっは! ざまあみろ、だ!
しかし、94年4月、再び、ダヴー夫人は逮捕される。この時は、息子のダヴーも一緒に逮捕された。
2人は、オセールの監獄に監禁される(母親は再び)。この監禁は、3ヶ月に及び……
テルミドールのクーデターが間に合った、ってわけさ!
1794年7月。行き過ぎた恐怖政治に対し、穏健共和派が、クーデターを起こした。
ロベスピエール、サン=ジュスト、クートン、ル・パなど、ジャコバン派は一掃され、彼らの圧政の元、収監されていた人々は、釈放された。*
*「三帝激突」6話「テルミドールのクーデター」
なお、ナポレオン・ボナパルトも、収監されたことがある、と喧伝されていますが……。
彼はこの、テルミドールのクーデターの余波で逮捕されたのです。ロベスピエールの弟オーギュスタンの庇護を受けていましたから。幸い、パリから遠い南仏にいたため、処刑されることなく、2週間ほどで釈放されました。
しかしながら、彼の収監理由は、恐怖政治時代に逮捕された多くの将校たち(多くは勇敢で有能だった)とは真逆のものだったことを言い添えておきます。ナポレオンは、ロベスピエールが処刑され、無実の人間が釈放されたその時に、まさしく恐怖政治側の庇護を受けていたという理由で逮捕されました。
ま、ダヴーの場合も特殊なものでしたけど。でも、ヴァンデでの不穏な発言があったり、昇進を断ったりで、反革命分子として、目をつけられていた可能性はあります。
政権が代わり、ダヴーは再び、軍務復帰を許された……
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