第29話 フリュクティドール18日

文字数 995文字

さて、五百人会議長、ピシュグリュを叩く証拠は手元にあります。しかしまさか、総裁であるバラスが、自らクーデターの指揮を執るわけにはいきません。

王党派を叩くに当たり、バラスは、軍の力を利用することにしました。


アイルランド遠征を口実に、オッシュ*が、パリ近郊まで軍**を進めた。しかし、法律で定める範囲より、少しだけ、軍は首都に近づきすぎてしまう。



11話「ライン方面軍」 23話「ディアースハイム出撃」、参照

**サンブル=エ=ムーズ軍。カール大公への敗戦の責任を取り、ジュールダンが辞任、元々自分が指揮していた旧モーゼル軍が含まれる軍を、オッシュが引き継いだ。



そこを、ピシュグリュ(500人会議長)が、鋭く非難した。
93年のライン戦で顔を合わせた時、ピシュグリュはオッシュとウマが合いませんでしたもんね。オッシュに、ライン軍の指揮権を盗られたと思っていました。



11話「ライン方面軍」、参照


オッシュは、陸軍大臣に任命されたばかりだった。しかし、年齢が、少し、足りていなかった。



軍を首都に近づけすぎたことと併せ、オッシュは、退陣を余儀なくされた。彼は、軍を連れ、駐屯地であるヴェッツラーに戻り、そこで急死する。



ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」



オッシュ将軍はまだ、29歳だった……。



7月。バラスは、ボナパルトにも、軍の出動を要請していた。ボナパルトは、自ら動くことはせず、代わりに、オージュローを派遣した。



*後のナポレオンの元帥


オージュローは総裁政府によるクーデターを決行する。ピシュグリュら、王党派議員は逮捕され、フランス領ギアナのカイエンヌへ送られた。




(下の画像は、オージュローによる、議会襲撃、ピシュグリュら逮捕の様子)

彼らの多くは、慣れない南国の地で、風土病にやられ、亡くなってしまいます。実質的な死刑と同じでした。


中には、危険を察知し、事前に亡命した者もいた。


総裁カルノーはニュルンベルクへ、また、旧人会(上院)のマチュー・デュマは、ハンブルクへ亡命し、逮捕を免れた。


彼らは、ボナパルトによるブリュメールのクーデター(1799.11)で総裁政府が倒されると帰国、各々の立場で、執政政府、そして帝国と関わっていく。



ブログで、この辺りを、もう少し詳しく説明しています。また、記事の最後に、ピシュグリュのその後についてのリンクも張ってあります。



ブログ「フリュクティドールのクーデター2」

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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー

Louis-Nicolas Davout

1770.5.10 - 1823.6.1


主役は、オレだ!


(後のナポレオン時代、”鉄の元帥”の異名を取る。無敗を喧伝される一方で、偏屈とも噂される。ここでは、彼が若く、ナイーヴだった頃を扱います)

小説「負けないダヴーの作り方」

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゥゼ

Louis Charles Antoine Desaix de Veygoux

1768.8.17 - 1800.6.14


ライン軍将校。俺の憧れの人♡

注)本作及び、小説「負けないダヴーの作り方」は、BLではありません

ブログ「ドゼー1」 ~

サヴァリ

Anne Jean Marie René Savary

1774.4.26-1833.6.2


俺を差し置き、ドゥゼ将軍の副官になりやがった邪魔なやつ。こいつ、童てi じゃないかと、俺は密かに疑ってるんだが、 こんな世間知らずが、ドゥゼ将軍の副官になっていいものか!!

ラップ

Jean Rapp 

1771.4.27 - 1821.11.8


こいつも、ドゥゼ将軍の副官になりやがって。勇気だけが取り柄の、とにかくクソ生意気な男



ラップ目線の2000字小説が、こちらに「勝利か死か Vaincre ou mourir

ブログ「ラップ」

アンベール

General Jean Jacques Ambert

1765.9.30 - 1851.11.20


俺の上官。俺の軍服に、鼻水をなすりつけて感涙にむせぶ癖がある

作者

※このページは、ダヴーにのっとられました……

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