第21話 黒い森での死闘/再びケール出撃
文字数 1,336文字
一方、ライン・モーゼル軍は、ジュールダン軍だけでなく、フランス本国との連絡も絶たれていた。司令官のモローは、サンブル=エ=ムーズ軍の撤退を、ドイツの新聞で知った。
ジュールダン軍をライン右岸(東側)から追い払ったカール大公は、反転して、モロー軍を攻撃する。モロー軍の撤退が始まる。
カール大公は、レンヘン、キンツィヒの谷を封鎖し、モロー軍を、黒い森(シュヴァルツヴァルト)に閉じ込めた。
*下に地図があります。
キンツィヒは、下の地図、キンツィヒ川のどこかと思われる。「黒い森(シュヴァルツヴァルド)」は、ライン河の右側、緑が濃くなっている一帯。
なお、現代の地図を元にしているので、当時と違いがあることをご了承下さい
「軍を救え。我々はより良い時に友人を弔うだろう」
ボーピュイの死を知ったドゥゼは、そう言ったそうです。
上の地図、ブリザッハには、カール大公軍の最後尾が張り出していた。ドゼ師団は、これに最後の攻撃をかけ、橋を渡る。
ブリザッハは小さな橋なので、大勢は渡れない。残りはモローに率いられ、南のユナングから渡河した。
なお、ブリザッハから、ユナングの南のバーゼル(スイス)にかけては、95年春から夏にかけて、ドゥゼが、エミグレ(亡命貴族)軍やオーストリア軍と戦っていた辺りである。
14話「上アルザスにて」、参照
ユナング橋頭保の守りを残し(総司令官モローは、ユナングに残った)、二つの渡河部隊は、ストラスブール目掛けて、行軍する。
ストラスブールに帰着したドゥゼは、すぐさま、対岸のケール要塞への出撃を企てる。
※前年の出撃から、ケール要塞はずっと、フランス駐屯軍が守り続けていた(20話「カール大公の策略」、参照)。カール大公にレンヘン、キンツィヒの谷を封鎖され、ここから帰還することは叶わなかったが、南で渡河し、ストラスブールまで戻ってきた今、ケールはすぐ、対岸である。
アンベール師団は、96年11日、ドゥゼのケール3師団*のひとつに加わっている。
*アンベール師団、デュエズム師団、サン=スザンヌ師団
ドゥゼ率いる部隊は、再び、ストラスブールからライン河を渡河、東岸のケール要塞に立てこもった。