第21話 黒い森での死闘/再びケール出撃

文字数 1,336文字

一方、ライン・モーゼル軍は、ジュールダン軍だけでなく、フランス本国との連絡も絶たれていた。司令官のモローは、サンブル=エ=ムーズ軍の撤退を、ドイツの新聞で知った。

 


ジュールダン軍をライン右岸(東側)から追い払ったカール大公は、反転して、モロー軍を攻撃する。モロー軍の撤退が始まる。


カール大公は、レンヘン、キンツィヒの谷を封鎖し、モロー軍を、黒い森(シュヴァルツヴァルト)に閉じ込めた。




*下に地図があります。

キンツィヒは、下の地図、キンツィヒ川のどこかと思われる。「黒い森(シュヴァルツヴァルド)」は、ライン河の右側、緑が濃くなっている一帯。

なお、現代の地図を元にしているので、当時と違いがあることをご了承下さい

 

ライン・モーゼル軍の撤退戦では、ボーピュイ将軍が亡くなっています。95年の戦闘で、ライン左岸(西側)に渡り、ゲリラ的に戦闘を続けた将軍です。



19話「マンハイム陥落」

その日、ドゥゼ将軍が指揮を執るところを、ボーピュイ将軍が代わってくれたのだという。

辛かっただろうな、ドゥゼ将軍……。

ボーピュイ将軍は、ドゥゼより13歳年上。ドゥゼやダヴーと同じく貴族出身で、王の軍隊から、そのキャリアを始めました。ライン方面に来たのは、94年のことでした。


「軍を救え。我々はより良い時に友人を弔うだろう」


ボーピュイの死を知ったドゥゼは、そう言ったそうです。



上の地図、ブリザッハには、カール大公軍の最後尾が張り出していた。ドゼ師団は、これに最後の攻撃をかけ、橋を渡る。

ブリザッハは小さな橋なので、大勢は渡れない。残りはモローに率いられ、南のユナングから渡河した。


なお、ブリザッハから、ユナングの南のバーゼル(スイス)にかけては、95年春から夏にかけて、ドゥゼが、エミグレ(亡命貴族)軍やオーストリア軍と戦っていた辺りである。

14話「上アルザスにて」、参照



ユナング橋頭保の守りを残し(総司令官モローは、ユナングに残った)、二つの渡河部隊は、ストラスブール目掛けて、行軍する。



二つに分かれてストラスブールを目指したライン・モーゼル軍の兵士らが、ストラスブールに到着した時のシーンは、資料を読んでいて、震えるほどの感動を覚えました。小説では、ダヴーに立ち会ってもらいましたが、私は、あの感動を、ちゃんとお伝えできたでしょうか……。


小説「負けないダヴーの作り方」



ストラスブールに帰着したドゥゼは、すぐさま、対岸のケール要塞への出撃を企てる。



※前年の出撃から、ケール要塞はずっと、フランス駐屯軍が守り続けていた20話「カール大公の策略」、参照)。カール大公にレンヘン、キンツィヒの谷を封鎖され、ここから帰還することは叶わなかったが、南で渡河し、ストラスブールまで戻ってきた今、ケールはすぐ、対岸である。



96年10月までに、俺は、戦場に戻った。「交換将校」という身分だが、元通り、ライン・モーゼル軍のアンベール師団に配属になった。


アンベール師団は、96年11日、ドゥゼのケール3師団のひとつに加わっている。



*アンベール師団、デュエズム師団、サン=スザンヌ師団


俺には、3つの歩兵半旅団が与えられた。



ドゥゼ率いる部隊は、再び、ストラスブールからライン河を渡河、東岸のケール要塞に立てこもった。



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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー

Louis-Nicolas Davout

1770.5.10 - 1823.6.1


主役は、オレだ!


(後のナポレオン時代、”鉄の元帥”の異名を取る。無敗を喧伝される一方で、偏屈とも噂される。ここでは、彼が若く、ナイーヴだった頃を扱います)

小説「負けないダヴーの作り方」

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゥゼ

Louis Charles Antoine Desaix de Veygoux

1768.8.17 - 1800.6.14


ライン軍将校。俺の憧れの人♡

注)本作及び、小説「負けないダヴーの作り方」は、BLではありません

ブログ「ドゼー1」 ~

サヴァリ

Anne Jean Marie René Savary

1774.4.26-1833.6.2


俺を差し置き、ドゥゼ将軍の副官になりやがった邪魔なやつ。こいつ、童てi じゃないかと、俺は密かに疑ってるんだが、 こんな世間知らずが、ドゥゼ将軍の副官になっていいものか!!

ラップ

Jean Rapp 

1771.4.27 - 1821.11.8


こいつも、ドゥゼ将軍の副官になりやがって。勇気だけが取り柄の、とにかくクソ生意気な男



ラップ目線の2000字小説が、こちらに「勝利か死か Vaincre ou mourir

ブログ「ラップ」

アンベール

General Jean Jacques Ambert

1765.9.30 - 1851.11.20


俺の上官。俺の軍服に、鼻水をなすりつけて感涙にむせぶ癖がある

作者

※このページは、ダヴーにのっとられました……

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