第15話 ルクセンブルク、マインツ、マンハイム
文字数 1,733文字
監獄からシャバに出てきた俺*が、94年から95年のあの寒い冬、どこで戦っていたか。ドゥゼ将軍が上アルザスで、エミグレとオーストリアのヴルムザー元帥軍と戦っていた95年の春から秋にかけて、このダヴー様が、どのような戦闘をしていたか。
*7話「再び逮捕・収監」、参照
あのな……。
ライン左岸は、ほぼ、フランスのものとなった。
しかし、1794年冬の時点で、マインツ左岸(西側)と並んで、もうひとつ、フランスの手になかった要塞があった。それが、ルクセンブルクの要塞だったんだ!!
これに対処すべく、1794年冬、ミショーのライン軍(とモーゼル軍の一部)が、マインツを包囲した*。
*11話「ライン方面軍」、参照
同時に、モロ*将軍率いるモーゼル軍右翼が、ルクセンブルクを包囲した。
*Jean René Moreaux 。後に出てくるモローとは別人
当時、ルクセンブルクの壁は、「北のジブラルタル」と呼ばれるほど、強固な守りだった。
食糧不足が軍を襲い、兵士らは、近隣の村で略奪を働くことを余儀なくされた。
しかし、将校らは、略奪をしなかった。
司令官のモロが高熱を出し、薬も手に入らぬまま死んだ(1795.2.9)。代わって、アンベールが司令官を引き継いだ。
結局、2人犠牲にしただけで、俺達は、オーストリア兵をふりきり、駐屯地まで帰ってきた。
だが、それから、オーストリアのやつら、本気になりやがってな。まったく、食い物の恨みは恐ろしいぜ!
ま、そんなんに負けるようなフランス軍じゃないけどな。
とうとう陥落しなかったマインツと違い、翌95年6月7日、ルクセンブルクは陥落する。
アンベール・モーゼル軍も、少しだけ、マインツ包囲に参加したらしい。