第20話 カール大公の策略
文字数 1,858文字
95年(前年)に捕虜になってさ。ヴルムザーの温情で解放されたけど、さすがにすぐに、戦場にもどるわけにはいかなくて。
また、ラヴィエールの実家に帰ってた。*
これで我慢しろ。ドゥゼ将軍も、ちょびっと出てるし。
あと、イケメンはドゥゼ将軍だろ! やることが! 顔は、俺の方が断然上だけど!
サーヴィスで、彼の肖像画を上げといてやる。
フランスの総裁カルノーは、ライン川に沿って、北軍、中央軍、そしてイタリア方面(南軍)の3方向から、ウィーンに攻め入る計画を立てた。
●北軍
ジュールダン*麾下サンブル=エ=ムーズ軍**
*10話「フランス革命戦争3」、12話「ライン右岸へ」、参照
**94.6.29 モーゼル軍左翼(旧オッシュ軍)、北軍右翼、アルデンヌ軍が合併
●中央軍
モロー*麾下ライン・モーゼル軍**
*政治家になったピシュグリュ(五百人会議員:18話「マンハイム籠城」参照)の後任。オランダ戦では、ピシュグリュの元で戦っていた。
**95.4.20 ライン軍とモーゼル軍が合併
サンブル=エ=ムーズ軍
5月31日夜。クレベール師団、デュッセルドルフのライン河橋頭保を出発。
ライン・モーゼル軍
マンハイムにおいて、ぎりぎりまで敵を牽制後(その間、軍は密かにストラスブールに集結)、6月24日午前2時、ストラスブールより渡河。油断していた敵から、ケール要塞をたやすく奪う。
どうだ。すごいだろ。
今、その話をするな! つか、隠し子疑惑は冤罪だ! ドゥゼ将軍は、危うくダマされるところだったんだ!
(ぶつぶつ)
大体、徹夜で帰ってきて、翌日、軍務の合間か、夜、出陣までのほんの数時間で、仮眠もろくに取らずに出陣、しかも手柄を上げたことになるんだぞ? もし万が一、隠し子疑惑が真実だとしたら、それはそれで、俺はドゥゼ将軍を尊敬……ごほん!
※この後、ライン・モーゼル軍は、東へ進むが、ケールには、駐屯軍が留まった。オーストリア軍は、何度かケールを奪い返そうとしたが、フランスの駐屯軍はここを守り抜く。
が、カール大公の策略にはまり、モロー軍は、ドナウ河を越えてしまう。両軍は、ドイツの奥地で、連絡が取れなくなってしまった。
すっかり連携が絶たれたところで、カール大公軍により、まずジュールダン軍がライン左岸(西側)に追い返される。
カール大公は彼に医者を送り、手当の甲斐なく彼が亡くなった時は、涙したといいます。