第24話 勝てそうだったのに

文字数 1,731文字

ご安心下さい。

ドゥゼは、生きています……。






ドゥゼ将軍のいなくなった戦場で、俺達は、戦い続けた。ディアースハイムの勝者は、何度も入れ替わった。俺自身、2回、ディーアースハイムを奪取した。

対岸(左岸;西側)には、ドゥゼ師団(中央軍)の一部が残されていた。フランス、オーストリア両軍は、接戦を続けていた。対岸からは、戦いの様子がわからない。不安は募るばかりだった。ついに左岸に残っていた兵士達が、勝手に逃走を始めた。


翌21日、早朝。左翼第一砲兵部隊(ルクルブ麾下)が応援に駆け付け、逃亡兵を捕まえ、ドゥゼ師団に秩序を取り戻した。モローは、右岸に渡河した中央軍を扇形に展開させる。


ルクルブ将軍はドゥゼ師団渡河の際、座礁したボートを、他の諸将と一緒に河に入って流れに押し戻しています。ここに記した21日の出来事と違う資料を参照しているので何ともいえませんが、あるいはルクルブは、ドゥゼ師団の渡河の時、その場にいなかったのかもしれません。



23話「ディアースハイム出撃」

俺は、2旅団を率いてオーストリア軍の左側面を攻撃した。

全くあいつら、しつこかったぜ。

でもついに、俺の軍は、対戦したやつらを退けたんだ!

同日、ライン・モーゼル軍


ライン河右岸(東側)

キンツィヒ川流域(恐らくストラスブール寄り)にいたヴァンダム師団がオッフェンブルク、ゲンゲンバッハの辺りまで進軍


ライン左岸(西側)

ルクルブ師団の前衛が、進軍

モロー司令官(ライン・モーゼル軍)は、左岸(西側)にいたサン=シル(左翼)に渡河を命じ、ライン河右岸(東側)に兵力を集中しようとした。しかし、左翼の渡河には時間がかかる。

モローは、総裁政府から命じられた、イタリアから来るボナパルトとの合流を遵守しようとしたわけです。


ついにオーストリア・ラトゥール元帥は、マンハイムから(予備)兵を出し、ライン・モーゼル軍の側面を攻撃しようした。




【ここまでのオーストリア軍】


オーストリアの敗将ヴァーネックVerneckは、オッシュ率いるサンブル=エ=ムーズ軍にさんざんにやられていた。


オーストリアは、南のマンハイムに予備軍を持っており、これを、ラトゥール元帥が管理していた。苦境に陥ったヴァーネックは、予備軍の出動を何度も要求したが、ラトゥールは、予備軍を動かさなかった。


彼は、ライン・モーゼル軍を警戒していた。(ライン・モーゼル軍の出撃は、サンブル=エ=ムーズ軍の2日後)


ライン・モーゼル軍の戦闘計画を立案したのが誰かまで、ラトゥール元帥は見抜いていたと思われます。理由は少し先の25話「男が惚れる男」で述べます。


いずれにしろモローは、サン=シル軍(左翼)が渡河し終わるまで動くつもりはありませんでした。

そこへ……


戦闘停止の指令が出された。

フランスとオーストリアの間に、和約の成立の知らせが届いたのだ。



1797年4月18日。

イタリアで勝利を収めたボナパルトが、オーストリアと結んだレオーベンの和約である。(半年後、カンポ・フォルミオ講和条約として、結実)



オッシュ(サンブル=エ=ムーズ軍)のノイヴィート渡河と同じ日、そして、ライン・モーゼル軍のディアースハイム出撃の2日前のことだった。



もっと早く知らせが届いていたら、ドゥゼ将軍は、怪我をしなくて済んだのに。

つか、俺ら、勝てそうだったんだよ! 停戦ってなんだよ!!

同じく勝利を目前にしていたサンブル=エ=ムーズ軍のルフェーベルは、停戦の知らせを齎したイタリアからの使者に対して、こう吐き捨てたそうです。


「君は、途中でワインの1本も飲んでくるべきだったのだ!」



*後のドイツ軍左翼司令官。ナポレオン時代の元帥

この戦いで、フランス軍は3000の死傷者を出した。

一方で、3000の捕虜を得、軍旗をいくつか奪取、また、20の大砲を奪った。


この時モローは、亡命貴族(エミグレ)のクリンゴン将軍の馬車を捕まえる……



*先の30話「議会で見つけた『まずいもの』」参照






ちなみに、ライン・モーゼル軍に停戦の知らせを運んできたのは、ルクレールでした。ナポレオンの妹**の(最初の)夫です。



*l'adjudant général Leclerc

 後にダヴーは、彼の姉妹を妻にする。

**ブログ「ポーリーヌ」

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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー

Louis-Nicolas Davout

1770.5.10 - 1823.6.1


主役は、オレだ!


(後のナポレオン時代、”鉄の元帥”の異名を取る。無敗を喧伝される一方で、偏屈とも噂される。ここでは、彼が若く、ナイーヴだった頃を扱います)

小説「負けないダヴーの作り方」

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゥゼ

Louis Charles Antoine Desaix de Veygoux

1768.8.17 - 1800.6.14


ライン軍将校。俺の憧れの人♡

注)本作及び、小説「負けないダヴーの作り方」は、BLではありません

ブログ「ドゼー1」 ~

サヴァリ

Anne Jean Marie René Savary

1774.4.26-1833.6.2


俺を差し置き、ドゥゼ将軍の副官になりやがった邪魔なやつ。こいつ、童てi じゃないかと、俺は密かに疑ってるんだが、 こんな世間知らずが、ドゥゼ将軍の副官になっていいものか!!

ラップ

Jean Rapp 

1771.4.27 - 1821.11.8


こいつも、ドゥゼ将軍の副官になりやがって。勇気だけが取り柄の、とにかくクソ生意気な男



ラップ目線の2000字小説が、こちらに「勝利か死か Vaincre ou mourir

ブログ「ラップ」

アンベール

General Jean Jacques Ambert

1765.9.30 - 1851.11.20


俺の上官。俺の軍服に、鼻水をなすりつけて感涙にむせぶ癖がある

作者

※このページは、ダヴーにのっとられました……

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