第22話 ケール撤退

文字数 1,445文字



この頃、総裁政府は、オーストリアに、ライン方面での休戦を申し出ている。イタリアのボナパルトへ増援したい考えだった。しかし、オーストリアはこれを拒否した。



サンブル=エ=ムーズ軍では、敗戦の責任を取って、ジュールダンが辞任した。撤退後も、クレベールが、ノイヴィート橋頭保に立て籠っていたが、これは、ライン・モーゼル軍がまだ、黒い森(シュヴァルツヴァルト)で死闘を繰り広げていた頃、陥落している。



カール大公は、

ドゥゼ(とサン=シル)率いるケール要塞

と、

モロー率いるユナング橋頭保

に照準を定めた。



ケールは、ライン河と、支流のキンツィヒ川に挟まれた、三角州のようになっています。



オーストリア軍ははじめ、湿地帯に遮蔽物を造り始めたフランス兵を、遠巻きに見ていた。やがて、カール大公はケールを包囲、砲撃が始まった。



俺達は、オーストリアの攻撃がない時間帯に、あいつらが砲撃した、塀や砦などの遮蔽物を、必死で修理して、戦いを続けた。

戦闘の時に、一度、ドゥゼ将軍の馬がやられて、彼も、体のどこかに、ひどい挫傷を負ったことがある。彼は、自分のことより、馬が死んだことの方がショックだったみたいだ。


けど、彼はいつだって、一番最後まで戦場に残って、兵士らの撤退を援護してた……。

そして、実質ドゥゼが指揮を執っていたにもかかわらず、かれはまた、ケール戦の司令官になることを拒否しています。


恐怖政治はもう、終わっていたのにね。そして、前年のケール出撃と併せ、新聞報道が派手に取り上げドゥゼは、パリで大変な人気者になっていました……。

そうなんだよ! 能力はあるし人気もある。やることは、あの通り、イケメンだ。それなのに、名誉ある地位を辞退してばかりいる。全く、欲のない人だぜ。
ついに力尽き、ケールは陥落します。そして、南のユナングも。



2ヶ月の籠城の後(96.11.10~)、ケールは降伏した。


翌年(97年)、1月9日。

ドゥゼは、ライン河の真ん中の船の中で、オーストリアのラトゥール元帥と会った。ドゥゼは、ケールをオーストリアに引き渡す書類に署名した。



この時、ドゥゼは、次の夜までに持ち出せるものは、全て持ち出してよいという、ラトゥールの許可を得ます。
さあ、それからが大変だぜ!

武器、弾薬から、馬車、食料に至るまで、一晩ですべて、持ち出さなくちゃならない。フランスの名誉にかけて、石ころ一つ、残してなるものか、ってな!

付近の住民も手伝いに来てたんですってね!
ああ。いかに、ライン・モーゼル軍が、いや、ドゥゼ将軍 が、彼らに愛されていたかという、証左だな。

(上の画像は、要塞から物を持ち出す様子です。左端に、スカートのご婦人の姿が見えます)


翌朝。

乗り込んできたオーストリア兵は、空っぽの要塞に、唖然としたそうです。



この後、オーストリアのカール大公と彼の3万の兵は、ライン方面から転出、イタリアへ差し向けられる。



フランス軍も、サンブル=エ=ムーズ軍のベルナドット、1万2000人を、イタリア・ボナパルトの援軍として、差し向けた。



*ブログ「ベルナドット」

 この時、ベルナドットの元、イタリアへ派遣された将校の中に、後にエジプトでドゥゼの下で戦うことになるフリアンがいる。また、負傷からの復帰という形だが、同じくエジプトでドゥゼ師団に入るモランもこのころ、イタリアへ派遣された。フリアンとモランは、後のダヴーの「不滅の3人」の中の二人。特にフリアンは、24話に出てくるルクレールの姉妹の一人と結婚し、ダヴーの義兄弟となる。

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登場人物紹介

ルイ=ニコラ・ダヴー

Louis-Nicolas Davout

1770.5.10 - 1823.6.1


主役は、オレだ!


(後のナポレオン時代、”鉄の元帥”の異名を取る。無敗を喧伝される一方で、偏屈とも噂される。ここでは、彼が若く、ナイーヴだった頃を扱います)

小説「負けないダヴーの作り方」

ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゥゼ

Louis Charles Antoine Desaix de Veygoux

1768.8.17 - 1800.6.14


ライン軍将校。俺の憧れの人♡

注)本作及び、小説「負けないダヴーの作り方」は、BLではありません

ブログ「ドゼー1」 ~

サヴァリ

Anne Jean Marie René Savary

1774.4.26-1833.6.2


俺を差し置き、ドゥゼ将軍の副官になりやがった邪魔なやつ。こいつ、童てi じゃないかと、俺は密かに疑ってるんだが、 こんな世間知らずが、ドゥゼ将軍の副官になっていいものか!!

ラップ

Jean Rapp 

1771.4.27 - 1821.11.8


こいつも、ドゥゼ将軍の副官になりやがって。勇気だけが取り柄の、とにかくクソ生意気な男



ラップ目線の2000字小説が、こちらに「勝利か死か Vaincre ou mourir

ブログ「ラップ」

アンベール

General Jean Jacques Ambert

1765.9.30 - 1851.11.20


俺の上官。俺の軍服に、鼻水をなすりつけて感涙にむせぶ癖がある

作者

※このページは、ダヴーにのっとられました……

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