第22話 ケール撤退
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サンブル=エ=ムーズ軍では、敗戦の責任を取って、ジュールダンが辞任した。撤退後も、クレベールが、ノイヴィート橋頭保に立て籠っていたが、これは、ライン・モーゼル軍がまだ、黒い森(シュヴァルツヴァルト)で死闘を繰り広げていた頃、陥落している。
カール大公は、
ドゥゼ(とサン=シル)率いるケール要塞
と、
モロー率いるユナング橋頭保
に照準を定めた。
オーストリア軍ははじめ、湿地帯に遮蔽物を造り始めたフランス兵を、遠巻きに見ていた。やがて、カール大公はケールを包囲、砲撃が始まった。
戦闘の時に、一度、ドゥゼ将軍の馬がやられて、彼も、体のどこかに、ひどい挫傷を負ったことがある。彼は、自分のことより、馬が死んだことの方がショックだったみたいだ。
けど、彼はいつだって、一番最後まで戦場に残って、兵士らの撤退を援護してた……。
恐怖政治はもう、終わっていたのにね。そして、前年のケール出撃と併せ、新聞報道が派手に取り上げ、ドゥゼは、パリで大変な人気者になっていました……。
2ヶ月の籠城の後(96.11.10~)、ケールは降伏した。
翌年(97年)、1月9日。
ドゥゼは、ライン河の真ん中の船の中で、オーストリアのラトゥール元帥と会った。ドゥゼは、ケールをオーストリアに引き渡す書類に署名した。
この後、オーストリアのカール大公と彼の3万の兵は、ライン方面から転出、イタリアへ差し向けられる。
フランス軍も、サンブル=エ=ムーズ軍のベルナドット*軍、1万2000人を、イタリア・ボナパルトの援軍として、差し向けた。
この時、ベルナドットの元、イタリアへ派遣された将校の中に、後にエジプトでドゥゼの下で戦うことになるフリアンがいる。また、負傷からの復帰という形だが、同じくエジプトでドゥゼ師団に入るモランもこのころ、イタリアへ派遣された。フリアンとモランは、後のダヴーの「不滅の3人」の中の二人。特にフリアンは、24話に出てくるルクレールの姉妹の一人と結婚し、ダヴーの義兄弟となる。