第11話 ライン方面軍
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そんな中、若い将校らが頭角を現し、自ら軍の先頭に立って勇敢に戦うことで、軍を牽引していく。しかし、彼らは、決定的な勝利を収めることができないでいた。
93年末、モーゼル軍左翼*を率いて、オッシュが派遣されてくる。当時のライン軍司令官はピシュグリュだった。ピシュグリュは、オッシュと馬が合わず、オランダ方面に転出してしまう。**
*オッシュの後、ジュールダンが引き継ぎ、94年6月、サンブル=エ=ムーズ軍に
**その後のピシュグリュの活躍は、10話「フランス革命戦争3」、参照
オッシュは、自軍に加え、ピシュグリュのライン軍の指揮を引き継ぎ、その年の暮れまでにライン河左岸のほぼ全域を掌中に収めた。
(オッシュのその後については、ブログ「ルイ=ラザール・オッシュ」参照)
94年、ライン軍の新しい司令官となったのが、ミショーである。恐怖政治の只中、彼は、歴代の司令官が処刑されてきたライン軍の司令官を引き受けた。
プロイセン、ドイツ諸邦、オーストリア。これらの強敵と、小競り合い(とよく言われる)を繰り返しつつ、ライン・モーゼル軍は、遮二無二前進し、ついに、マインツの橋頭保*まで到達する。
*橋の対岸を守る為の砦
しかし、翌93年。マインツは、プロイセンやドイツ諸侯の軍に包囲され、フランスは、マインツから撤退を余儀なくされた。
なお、この年末(93年末)、ライン左岸(西側)をほぼ掌握したオッシュですが、マインツ左岸とルクセンブルクは征服できませんでした。
そして、94年秋。総司令官ミショーの元、ライン軍とモーゼル軍は、マインツ橋頭堡に到達(上記)、マインツのライン左岸(西側)を包囲する。
*10話「フランス革命戦争3」、参照
この年の7月に恐怖政治は終わったのだが、まだどんな政権が樹つのか、わからなかった。そうでなくても、ライン軍の総司令官は、代々、ギロチンにかけられているし。将校もな。
特に、戦争に負けると、敵に密通してわざと負けた、とか、因縁をつけられて。
もちろん、ドゥゼ将軍は、クレベールの後任を拒否。