第8話 フランス革命戦争1
文字数 1,174文字
フランスに革命が起きても、ヨーロッパ諸国は、静観の構えだった。当初の革命政府が、立憲君主制を目指していたことも、その一因だった。
しかし、1791年6月、国王一家の逃亡事件(ヴァレンヌ事件)が起きると、事態は一変する。国民は憤慨し、立憲君主派の立場は悪くなる一方だった。
事態を重く見たフランス革命政府は、翌92年4月、オーストリアに宣戦布告、7月には、「祖国は危機にあり」の国会宣言が出される。これにより、多くの義勇兵が集まった。
王党派の将校と、共和派の兵士(多くは平民)の間で、混乱が生じた。貴族出身の将校の、ある者は、エミグレ(亡命貴族)軍に身を投じ、国外へ出た。また、ある者は、革命思想に共感し、軍に残った。
結果、義勇兵は集まっても、指揮する人間が圧倒的に足りないという、深刻な人材不足に見舞われた。
開戦してすぐ、ロンウィ要塞(8.23)、ヴェルダン要塞(9.1)が、相次いで破られた。パリへ至る行路に、もう、要塞はない。