第6話

文字数 1,471文字

 乾杯が終わり、美味な料理に舌鼓を打っていた蓮は、いったん、その箸を休めて、「ところで、結花さん」と話を切り出し、さらに言った。
「昼間の話のつづき――つまり、わたしと恵風涼の関係について尋ねたいってことでしたよね」
 待ってましたと言わんばかりに、結花は、身を乗り出すようにして「そうなんですよ」と、まん丸い顔をだらしなくゆるめてうなずいた。
「先生は昼間、彼女は知り合いだけど、素性までは、という感じでした。でもそれって、へんじゃないですか。知り合いなら、素性ぐらいは知ってるはずです。なのになぜか先生は、そうじゃないみたいでした。そこが、さっぱり合点がいかないんですよね」
 そのことが知りたいがゆえに、とりわけ高級な、それだけに、けっこうお値段も張りそうな、そのような老舗の日本料亭に招待してくれた――そういった大人の事情がわからない蓮ではない。
 したがって、蓮は、二人の関係をちゃんと説明するつもりで、この席に臨んでいる。
「実を言うと、彼女ね――」
 そう切り出した蓮は、言葉を、こう継いだ。
「かつて、わたしが住んでいた広尾のマンションの、そこの隣人だったのよ――」
 ぷ! 吞みかけていたビールを、ほとんど結花は吹き出すところだった。
 あの人気女優の恵風涼が隣人だったという事実に、結花は、脳天を打ちぬかれたような気分になったからだ。
 もちろん、詳しい場所までは知らない。ただ、広尾にある、超がつくほどの高級マンションに、恵風涼は住んでいるともっぱらの噂。
 その噂が、ふと結花の頭をよぎった。改めて、感心する。さすが時代の寵児、安河内蓮だわ、というふうに。
「昼間にも言ったように、わたしは彼女がいる世界のことについては、からっきし疎いの。だから、隣人である恵風涼とすれちがっても、単なる住人のひとりとして会釈していたわ。なのに、この子ったら、ねぇ……」
 ねぇ……をことさら強調して、連は、結花を上目遣いで見る。
「先生の心中はお察しします」
 そう言って、結花は、わざとらしく、ぺこっと(こうべ)を垂れる。
「そんな有名人とは露知らず、いつも、何の気なしにすれちがっていた――そりゃ、だれだって愕然としますし、なんだか損したような気持ちにすらなりますよ、ねぇ」
 結花は首を挙げて言うと、ビールをグイと煽って、喉を潤した。それから、やや改まった調子で言った。
「彼女がかつて隣人だったとしたら、先生に、どうしてもお聞きしたいことがあるんです」
「な、なにを?」
 身構える、蓮。
「それはですねぇ、彼女の私生活についてです」
 し、私生活⁈ だから、そんなに親しくないんだってば……。
「もちろん、超がつくほどの高級マンションです。なので、プライベートは干渉しないっていうのが不文律――だということは、重々承知しています。ですが、それでも、と思ってしまうんです、職業柄、どうしても」
「ふ~ん、職業柄ねぇ……」
「ええ。隣人ならなにか気づくことがあるんじゃないのかなぁ、って」
 ああ、そういうことね。
「たとえば、そう、男の匂いとか――これは下衆の勘繰りと思われるかもしれません。でもわたしは、そういう隠微なところをほじくりまわすのが仕事なもんですから……」
「ふーん、ほじくりまわすのが仕事ねぇ……男の匂いをねぇ」
 声に出して、ひとりごとのようにつぶやいた蓮は、ふと結花から目を離して、配膳されたばかりの料理に、その目をやった。そして、内心つぶやいた。
 ふふ、とっても、美味しそうな牡蠣だこと。わたしは、こういうのをほじくりまわすのを仕事にしたいもんだわ、へへ――。


つづく
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み