第20話

文字数 1,539文字


 矢吹が、自宅待機をはじめて三日後。
 その事実を知らない安河内蓮は「ヒロちゃん、矢吹警部に電話をかけて、事件の進捗状況を確認してくれる」と、担当編集者の山本浩子に頼んだ。
「はい、先生」
 ほどなく、浩子が電話を終えて、蓮の前に姿を現した。
「で、どうだった、ヒロちゃん」
「そ、それが……」
「どうしたの?」
 浩子の顔色が悪いのを見て、けげんそうに蓮は首をかしげた。
 訊かれた浩子は、矢吹が新型コロナウイルスに感染して自宅待機を余儀なくされている旨を、蓮に伝えた。
「矢吹警部でしたら」
 浩子が唇を嚙んで言う。「事件の進捗状況を教えてくれたのでしょうが……ですが電話に出た刑事さんは……」
 そこで浩子はことばを切ると、眉をひそめて、力なく首を振った。
「そう……」
 うなずいた蓮も、同じように眉をひそめた。
「……なにしろ、部外者には事件のことは一切洩らせないの、その一点張りでして」
 ふう、と息をついて、蓮がひとりごとのようにつぶやいた。
「困ったわね……なんとしてでも結花さんの無念をはらさないといけないのにね……」
 少し間をおいて、「先生」と浩子が語気を強めて言った。「先生が、そこまで責任を感じられなくてもいいんじゃないですか」
 一瞬の間、沈黙が降りる。
 その沈黙を破って、蓮が言う。
「そうもいかなのよ。わたしには無念をはらさないといけない理由があるのよ」
「以前も同じようなことを、先生はおっしゃってました。いったい、どんな理由があるというんです。警察にも、その理由(わけ)はおっしゃってませんよね」
「え、ええ……まあ、そうなんだけど」
 めずらしく、いつもは歯切れのいい蓮が、煮え切れない口調で言い澱んでいる。
 これはきっと、何かあるわね。それも、そうとうなわけが――そう睨んだ浩子はけれど、このままでは埒が明かないと思って、首を垂れながら、蓮に頼んだ。
「だれにも言いません。ですから、せめてわたしにだけはおっしゃっていただけませんか、先生」
 真剣な口ぶりと眼差し。浩子の頼みは、実に切実だった。
 しょうがないわね――蓮も、さすがに根負けした。
「わかったわ、言うわ。でもこれを聞いて、わたしの作品はキライになっても、わたしのことはキライにならないでね」
「え、あ……は、はい」
 いささか鼻白んだ様子で、浩子はうなずいた。
 
 
「実を言うとね……」 
 そう切り出した蓮は、事の顛末を、浩子に、縷々、こう語って聞かせた。
 ――わたしから、恵風涼に男がいると聞いた結花さんは、これはとんでもないスクープだと、心弾ませていたわ。でもね、わたしは釘を刺したの。わたしから聞いたって絶対に口外しないでね、って。
 それだと、情報の信憑性が薄い、そう思った結花さんは、そこで考えたというのよ。虎穴に入らずんば虎子を得ず――つまり、自分がそのマンションの住人になればいいんじゃないか、ってね。ただ、これにもネックがあったわ。
 いかんせん、超がつくほどの高級マンションよ。賃料が半端ないわ。とても、芸能レポーターの結花さんのお給料では手が出ない。結花さんが、そこで思いついたのが、彼女が出演していたワイドショーのプロデューサー。彼を口説いて、テレビ局の方で賃貸契約してもらえばいいんじゃないか、ってね。
 ところが、これにもネックがあったのよ。テレビ関係者とは契約を結べない、と不動産屋が首を縦に振らなかったらしいの。困った結花さんが、そこで考えたのが、わたしだった。
 彼女は、言ったわ。賃料はこっちで持ちます。だから再度わたしに、あの部屋の契約を結んでくれないか、ってね。もちろん、断ったわ。
 ただね――そこで、連は口ごもる。
 よほど言いづらいことみたいね。
 そう思いながら、浩子は黙って、蓮の次の言葉を待った。


つづく
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