第19話
文字数 1,946文字
「あす、小西に任意同行求めて、署で洗いざらいぶちまけてもらうぜ、だはは」
ふたたび、新丸ビルのテラス。
さも愉快そうに高笑いした矢吹は、美味しそうに赤ワインをすすった。
やれやれ――テーブルの上で頬杖をついて、浮かれている矢吹を目の端で覗いている森村陽子は一瞬、かるい眩暈をおぼえた。
ジッポのライターがダイニングメッセージと言ったのはうかつだった、と反省したばかりなのだ。その舌の根のも乾かぬうちに、手のひらを返すように、いとも簡単に前言撤回している。だとしたら、陽子が鼻白むのも無理はない。
「それにしても、あれだな」
そう言って、矢吹は、いささか眉をひそめて、ことばをつづけた。
「いまいましいが、田所の奴も、なかなか洒落たことを言いやがるぜ」
「田所? って、あの特捜の?」
「そ、あの特捜の」
「あら、めずらしいじゃない。犬猿の仲なのに、彼をほめるなんて……で、彼は、なんて言ったの?」
「え、ああ」
小さくうなずいて、矢吹が口を開く。
「ガイシャの身元が判明したのは、プロダクションの社長が彼女の捜索願いを出してくれたのがきっかけだった。それを、田所の奴は鴨が葱を背負ってきた、って言ったのよ。そして、恵風涼の件は安河内先生が。また、こん回の小西の件は、奴をねたんでるディレクターからの情報だ。鴨が葱を背負ってるどころか、鍋やコンロまで背負ってやってきたって感じじゃないか。こんな幸運は、めったにないぜ。なんかオレ怖い気さえしちまうぜ、だはははは」
あら、そう――相変わらず、テーブルの上で頬杖をついた陽子は内心ため息交じりにつぶやきを洩らす。
科捜研に依頼された恵風涼のマンションの防犯カメラの解析――どうするのかしらね、あれは、と思いながら。
それにね――苦笑を含みながら、陽子は思う。
好事魔多し、って言うわ。こういうふうに、何事も上手くいっているときに限って、おうおうにして足元をすくわれるものよ。特にあなたの場合はね、と。
そう思ったとたん、陽子の頬を一陣の風が、さっと撫でていった。
わ! さぶ〜。
背中に悪寒が走って、思わず陽子は肩をすぼめた。
おりしも余寒の候。春とはいえ、まだまだ、冬の寒さの名残が、身にしみる時節だ。
「ねぇ、警部。わたし寒いわ。今夜は、このあたりで切り上げて帰りましょうよ」
さも寒そうに、震える声で、陽子は言った。
「そ、そっか……」
まだ飲み足りなさそうな、矢吹だった。
だが、つぶやいたとたん、は、は、はーくしょん! と大きなくしゃみが……。
「そ、そうするとするか」
これには、さすがの矢吹も観念して、肩をすぼめてテラスをあとにした。
「そ、そうか……う、うん、わかった……しょうがない」
翌朝、山縣管理官に矢吹から「ちょっと熱があるんで病院によって、それから出署します」という連絡が入った。小西の取り調べは宇喜多主任に一任する――というようなメッセージと共に。
だが、恵風涼の周辺の聞き込みをしている小川班への指示がなかった。彼らは、だから途方にくれてしまった。
「きみたちは、署で待機しておいてくれ」
とりあえず、宇喜多は彼らにそう伝えて汐留のテレビ局に向かった。やがて、宇喜多は小西を連行して、東葛西警察署へと戻ってきた。
小西への取り調べがはじまった。
がしかし彼は、こう言い張って、犯行を頑なに否定した。
「オレには、むしろ結花が必要だったんだ。あいつのスクープがあれば、オレの番組は安泰だったんだ。だから、オレには結花殺す理がない……」
「どうだ、宇喜多、奴の反応は?」
小西の取り調べを終えた宇喜多に、山縣管理官が訊いた。
「そうですねぇ……」と言って、宇喜多は腕をくんで首をひねると「まだ、なんともいえませんねぇ」とため息をついた。
「矢吹は自慢満々に、あいつが犯人に間違いないって豪語してたんだけどな……その当の本人が病院に行ってるんだから話にならんよ」
苦笑交じりに、山縣管理官がつぶやいたとき――。
「管理官、その矢吹警部から、電話です」と、ある刑事が告げた。
「え、なんだって……」
電話に出た山縣管理官は思わず、叫んでいた。
いったい、何事か?
室内にいた刑事の目が、いっせいに、山縣に注がれる。
「ちなみに、科捜研の森村陽子もですね……」
「…………」
「あーっ、いま、管理官、不埒なこと想像したでしょ。濃厚接触者って、ことば聞いて」
「し、してないよ」
「ほんとうに? だったら、まあ、いいですけど。とにかく、そういうことなんで、あとは宇喜多にまかせます。すいません。それでは」
問わず語りに、山縣が力なく言った。
「矢吹警部は新型コロナウイルスに感染したため、一週間の自宅待機だそうだ……あ! それからみんな、いまから、PCR検査だ」
つづく
ふたたび、新丸ビルのテラス。
さも愉快そうに高笑いした矢吹は、美味しそうに赤ワインをすすった。
やれやれ――テーブルの上で頬杖をついて、浮かれている矢吹を目の端で覗いている森村陽子は一瞬、かるい眩暈をおぼえた。
ジッポのライターがダイニングメッセージと言ったのはうかつだった、と反省したばかりなのだ。その舌の根のも乾かぬうちに、手のひらを返すように、いとも簡単に前言撤回している。だとしたら、陽子が鼻白むのも無理はない。
「それにしても、あれだな」
そう言って、矢吹は、いささか眉をひそめて、ことばをつづけた。
「いまいましいが、田所の奴も、なかなか洒落たことを言いやがるぜ」
「田所? って、あの特捜の?」
「そ、あの特捜の」
「あら、めずらしいじゃない。犬猿の仲なのに、彼をほめるなんて……で、彼は、なんて言ったの?」
「え、ああ」
小さくうなずいて、矢吹が口を開く。
「ガイシャの身元が判明したのは、プロダクションの社長が彼女の捜索願いを出してくれたのがきっかけだった。それを、田所の奴は鴨が葱を背負ってきた、って言ったのよ。そして、恵風涼の件は安河内先生が。また、こん回の小西の件は、奴をねたんでるディレクターからの情報だ。鴨が葱を背負ってるどころか、鍋やコンロまで背負ってやってきたって感じじゃないか。こんな幸運は、めったにないぜ。なんかオレ怖い気さえしちまうぜ、だはははは」
あら、そう――相変わらず、テーブルの上で頬杖をついた陽子は内心ため息交じりにつぶやきを洩らす。
科捜研に依頼された恵風涼のマンションの防犯カメラの解析――どうするのかしらね、あれは、と思いながら。
それにね――苦笑を含みながら、陽子は思う。
好事魔多し、って言うわ。こういうふうに、何事も上手くいっているときに限って、おうおうにして足元をすくわれるものよ。特にあなたの場合はね、と。
そう思ったとたん、陽子の頬を一陣の風が、さっと撫でていった。
わ! さぶ〜。
背中に悪寒が走って、思わず陽子は肩をすぼめた。
おりしも余寒の候。春とはいえ、まだまだ、冬の寒さの名残が、身にしみる時節だ。
「ねぇ、警部。わたし寒いわ。今夜は、このあたりで切り上げて帰りましょうよ」
さも寒そうに、震える声で、陽子は言った。
「そ、そっか……」
まだ飲み足りなさそうな、矢吹だった。
だが、つぶやいたとたん、は、は、はーくしょん! と大きなくしゃみが……。
「そ、そうするとするか」
これには、さすがの矢吹も観念して、肩をすぼめてテラスをあとにした。
「そ、そうか……う、うん、わかった……しょうがない」
翌朝、山縣管理官に矢吹から「ちょっと熱があるんで病院によって、それから出署します」という連絡が入った。小西の取り調べは宇喜多主任に一任する――というようなメッセージと共に。
だが、恵風涼の周辺の聞き込みをしている小川班への指示がなかった。彼らは、だから途方にくれてしまった。
「きみたちは、署で待機しておいてくれ」
とりあえず、宇喜多は彼らにそう伝えて汐留のテレビ局に向かった。やがて、宇喜多は小西を連行して、東葛西警察署へと戻ってきた。
小西への取り調べがはじまった。
がしかし彼は、こう言い張って、犯行を頑なに否定した。
「オレには、むしろ結花が必要だったんだ。あいつのスクープがあれば、オレの番組は安泰だったんだ。だから、オレには結花殺す理がない……」
「どうだ、宇喜多、奴の反応は?」
小西の取り調べを終えた宇喜多に、山縣管理官が訊いた。
「そうですねぇ……」と言って、宇喜多は腕をくんで首をひねると「まだ、なんともいえませんねぇ」とため息をついた。
「矢吹は自慢満々に、あいつが犯人に間違いないって豪語してたんだけどな……その当の本人が病院に行ってるんだから話にならんよ」
苦笑交じりに、山縣管理官がつぶやいたとき――。
「管理官、その矢吹警部から、電話です」と、ある刑事が告げた。
「え、なんだって……」
電話に出た山縣管理官は思わず、叫んでいた。
いったい、何事か?
室内にいた刑事の目が、いっせいに、山縣に注がれる。
「ちなみに、科捜研の森村陽子もですね……」
「…………」
「あーっ、いま、管理官、不埒なこと想像したでしょ。濃厚接触者って、ことば聞いて」
「し、してないよ」
「ほんとうに? だったら、まあ、いいですけど。とにかく、そういうことなんで、あとは宇喜多にまかせます。すいません。それでは」
問わず語りに、山縣が力なく言った。
「矢吹警部は新型コロナウイルスに感染したため、一週間の自宅待機だそうだ……あ! それからみんな、いまから、PCR検査だ」
つづく