§10 07月14日(木) 10時頃 桃の花が一面に咲いている

文字数 4,578文字

 去年の事故のあとに比べるとさすがにずいぶんと様子が違うものだと衛は思った。あのときは自分で上体を起こすこともできなかった。ギリギリまで小便を我慢していたのを思い出す。今度はそれくらい軽々とできるし、一人でやってはいけないと言われないばかりか、一人でできることはやりなさいと言われてしまった。木之下も佐々木も尿瓶をあてがってくれることはない。そこは少し残念なような気もするが、他方でいま尿瓶をあてがわれて気持ちよく小便が出るものか怪しくもある。
 この日の朝、おしゃべりな作業療法士と口数の少ない義肢装具士がやってきて、衛の断端を確かめたり太股の周りや股下の長さを測ったりして去った。義肢装具士は例によって極めて実際的なことしか口にしなかったが、作業療法士は衛の今後の生活について、もっと言えば間もなく十八歳になる少年の将来について、あれこれと好き勝手な御託を並べた。左の耳から入って右の耳へと抜けて行くあいだに脳の襞の上を滑るだけの、貧相なことこの上ない将来イメージの数々を衛はその場ですべて忘れることにした。いつか見たのと同じ景色である。
 余計なお世話だと腹を立てたところで意味はない。彼女はそれを仕事にしているのであり、どうやらそれも国家資格であるらしく、彼女なりにどうやら矜持とでも呼ぶべきなにごとかを持っている様子だったので、おとなしく聞き流しておいたほうが面倒が少なくて済むだろうと思った。運動神経の鈍い少年にとってスポーツはあくまでも観て楽しむものであり、それも選び抜かれた人間が見せてくれる圧倒的な身体能力こそが醍醐味だとか口にすれば、きっと酷く彼女を傷つけることになる。
「やっぱりね、どうせまたそんなこと考えてるんだろうなあ、て思ったよ」
「あのタイプってさ、僕がいくら違うって言っても明日にはまた同じことを口にするだろう? お下がりのお下がりのそのまたお下がりのランドセル背負ってきた一年生にも、物心がついた頃に目の前で姉や両親を惨殺された少年に対しても、子供は明るく元気に!とか言っちゃうんだよ。お天気のいい昼休みに図書室の隅っこに引きこもって『杜子春』のラストに呆然としてる少年なんていうのは許せないわけさ」
「『トシシュン』て聞いたことある気がする」
「仙人は杜子春にもしそこで「お母さん!」て叫ばなかったら命を絶ってしまうつもりだったって言うんだけど、最後に家と畑をくれる。周りに桃の花が一面に咲いている家を。でもね、そこはもう仙人が住む家なんだよ。なにしろ一面に桃の花が咲いているわけだから」
「そのお話知ってる!」
「なんだやっぱり仙人になっちゃうんじゃないかと思って、僕ちょっと呆然としたんだよね」
「あゝ、そこを先生に見つかって、表で元気よく遊んできなさい!なんて言われちゃったんだ」
「そういうこと。あの作業療法士の人にも同じ匂いがする。僕に必要なのはちょっとした畑のある小さな家なのに。僕はそこで毎日こつこつと畑を耕して暮らすわけさ、友香里さんと一緒にね。年に一回くらい友達が遊びに来て、年に一回くらい友達に会いに行く。年に一回ずつでいい。――真由ちゃん、僕の言ってることおかしい?」
「ぜんぜんおかしくない。私きっと遊びに行くよ、お酒持ってね」
「酔っぱらったら急に脱ぎだす悪い癖とかない?」
「ないよ!」
 断端にはまだ痛みがある。あくでも離断手術に伴う痛みであり、残された大腿部の神経が正しく報告を上げる痛みだ。これまでに経験したことのない、存在しないはずのなにかが痛む痛みではない。療法士も装具士も慎重に丁寧に扱ってはくれたけれど、ジンジンと奥深くから痺れるような痛みがある。いま、木之下はベッドの脇に座り衛の腿から断端にかけて左右交互に慰めるように撫でてくれている。マッサージというほどのものではない。転んで泣いている子供の膝を撫でてあげるのと変わらない。それが人の手の感触であるところに意味があり、なおかつ信頼できる人間の、心を寄せている人間の手でなければ、その意味は途端に薄れてしまう。看護師であれば衛にとって木之下がベストであり、佐々木がセカンドベストであり、三番目はいない。三人目にそれを求めることはしない。
「真由ちゃん、二時頃って暇?」
「衛くんの要請が最優先だから」
「学校の友達が来るんだよ。それも三人も」
「三人? それってもしかして佐々木さんが言ってた修羅場を演じた三人?」
「修羅場を演じた三人のうちの二人とそれを眺めていた一人」
「怖いから同席しろってことね?」
「こっち側に座っててほしいんだけど……」
「友香里さんの椅子に? いいの?」
「こんなふうになんとなく撫でててほしいんだよね。なにしろ彼らはきっと生まれて初めて間近に見ることになるわけだから、正直どんな空気になるのか想像がつかない」
「あゝ、そうだね。いいよ。そうしよう。私がいたほうがいいかもね」
「バレー部とバスケ部の背の高いカッコいい連中が来るけど色目を使ったりしちゃダメだよ?」
「誰かさんと一緒にしないでくれる?」
「はて? 誰のことを言ってるんだろう?」
「落ち着いたらストレッチしようか」
「うん、そうだね。あの人たちが来ると僕はちょっと緊張するみたいだ」
 それは木之下も気づいていた。衛はあれこれと理屈を捏ねているけれど、大袈裟に言えば怯えているようにさえ感じた。素直に解釈すればそれはおしゃべりな作業療法士が描いてみせる「素晴らしい将来」への警戒なのだろう。なにかおかしなものを引き連れてやってきた人間への警戒心だ。その人間が描いてみせる景色への疑念、いや嫌悪だ。なにも衛はその景色を疑っているのではない。そんな将来が待っていることなどあり得ないと思っているのではない。衛はただ忌み嫌っているのだ。天気のいい昼休みには校庭に出て遊ぶのが最善であると主張してまったく譲らないタイプの人間が、ただただ嫌いなのだ。そうした人間が口にすることを否定するのは難しいものだから。
「でもさ、しばらく週二、週三で通うことになるよ?」
「そうなんだよね。こないだはまだよかったんだよ、着替えとかトイレとかお風呂とか絶対に必要なやつの訓練だったからさ、誰もおかしなことは言わなかった。ちょっとは言われたけど気にならなかった。でも今度はなんだか空気が違うよね。入学式でご来賓の方々が口にする愉しい学校生活みたいなやつに近い。クンデラが言う共産主義の高官や上院議員の微笑みと一緒だよ。あの人たちは子供たちの笑顔が見たいんじゃない。笑顔のほかは見たくないと言っている。見せるなと言っている。今度もあれと同じ匂いがするんだ」
「ほんと、ひねくれてるよね。まあ、当たらず言えども遠からず、かもしれないけど」
「真由ちゃん今きっと漢字変換を間違えてるでしょ? 『あたらず』は『中』で、『いえども』はこう書くんだよ」
 衛はスマートフォンを手に取ると「中らずと雖も遠からず」の検索結果を木之下に見せた。
「こんな漢字見たことないなあ」
「でも『中らずと雖も遠からず』というセリフが出てきたところは大いに褒めてあげよう。ご褒美はなにがいい?」
「早く衛くんから解放されたい」
「あゝ、そうか。それは思い至らなかった。確かに目の前で友香里さんとイチャイチャしてるのを見せられるのは、真由ちゃんにとってはずいぶん胸が苦しいことだよね」
「いや、そうではなく」
「そうでなくともおっきいから持て余し気味だってことか」
「はい、おしまい! さ、ストレッチやるよ」
 衛の脚から手を離して腰を上げた木之下は、ベッドの頭に立つと、上体を少し持ち上げ腕を上げた衛の手首をつかんだ。衛が背中を伸ばしたり体を左右に捻ったりするのに合わせ、手首から肘、肩や顎へと押さえたり引っ張ったりする部位を動かしていく。時々わざと強めに力を入れると衛が大袈裟に呻き声を上げるのを、木之下はしばらく愉しんだ。
 衛のこれは生まれ持った性格なのだからどうしようもない。これ、というのは、たとえば理学療法士がリハビリのモチベーションを高め維持しようと考えて口にする、「素晴らしい将来像」みたいなものへの拒絶のことだ。やり方が間違っているとは木之下は思っていない。ただ衛にはそれは受け入れてもらえないのだということに早く気づいて欲しいとは思う。衛は歩けるようになったらこんなことができるようになるといった希望や期待には興味を抱かない。彼はただ「義足」という不可思議な道具を使うとまるで歩いているかのように体を前に進めることができるそのメカニズムに関心を寄せる。たとえば膝や足首の間接部分はどうなっているのか。なぜそうなっているのか。誰でも同じなのか違いがあるのか。違うならどこが、どう、なぜ違うのか。それを聴き、おもしろいなあと本当に嬉しそうに笑うのが、久瀬衛という少年なのである。
 衛にはモチベーションなどといったものは必要ない。むしろそんなものを提示されるとせっかくの玩具(義足のことだ)の面白味が色あせてしまうと言って拗ねる。なにかの役に立つかもしれないと言われた途端に意欲を失ってしまう研究者のようなものだ。美味しいから好んで食べていたものに健康にいいという価値を付加された途端に美味しく感じなくなってしまうのだ。どうして美味しいだけのままに放っておいてくれないのか、どうしておもしろいだけのままに放っておいてくれないのか。体にいいだとか役に立つだとか、どうしてそんなものが必要なのか。そんなものを持ち出されたら美味しいものは不味くなるし、おもしろいことがつまらなくなるじゃないか。なぜ「素晴らしい目標」が必要なのか。なぜ目標はおっぱいの大きな看護師とデートすることではいけないのか。犯罪のような悪でさえなければ、あとはすべて価値の優劣などないはずだ。
 衛の主張はとても単純で、歩くことそのものに価値があると言っているに過ぎない。その先に目標なんて要らない。目標なんて立てなくたって僕は歩くよ。歩くことが楽しいのであればね。そう言っている。いつだったか、最初に急性期病棟にいたときの或る夜に、歩けないことで選択肢から強制的に消える職業を数えてみるという作業を一緒にやったことがある。衛は職業リストを一割くらい検討したところでやめてしまった。こんなにいっぱい残ってるならぜんぶ見る必要なんてないや、と言って。
 実際、歩けなくてもできる仕事なんて数えきれないほどにある。そうであれば数え上げることに意味はない。生まれつき音痴なら歌手にはなれない。生まれつき小さければ相撲取りにはなれない。生まれつき飽きっぽいなら三千ピースのパズルは完成させられない。それとまったく同じように生まれつきではなくても走れないのであればサッカー選手にはなれない。ただそれだけのことだと衛は言った。そのことを発見して嬉しそうだった。
 衛のこれは生まれ持った性格なのだからどうしようもない。私たちはそのことに気づいてあげなくてはいけない。車椅子にもサッカーがありますよ、なんて言ったところで衛はただ肩をすくめて見せるだけだ。どうしてそれを素晴らしいことであるかのように嬉々として教えてくれるのか、衛という少年にはさっぱり理解できないのである。ほんと、どうしようもないことなのだ。
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