十、

文字数 797文字

十、
 その時と全く同じ色をした頭が、私の胸元に抱えられて泣いている。あれから随分成長して精悍な面魂を感じさせてきた姿が、姉に縋って赤子の様に泣きついている。私はやはりあの時と同じように、胸中にほとんど経験のない熱が生じているのを自覚した。肌を刺す寒風の中で私は、いつまでもこうして居たいような気持ちに駆られた。
 しばらくして落ち着きを取り戻した弟は、少し怒ったような顔を私へ向けた。
「どうしてあんな真似をしたんだ」
 もし俺が姉さんの腕を掴み損ねていたら、……と潤んだ声で私を責める彼の姿に、私は一層心臓の温度を高めた。返す言葉はそれこそ尽きぬ程に思いついたけれども、その中でも特に効きそうな言葉を選んだ。
「私の好きな人を貶すのが許せなかったから」
 弟は相当に驚いたようだった。好きという言葉に過剰に反応したのだろうが、すぐに私の不機嫌な表情を見て顔を曇らせた。
「すまない」
「いいよ、分かってくれれば。これからはもうしない?」
「ああ、もうしない。誓うよ」
「この涙に誓って、ね」
 私が弟の頬を伝う涙を指で払うと、彼はまたも驚いた。彼にしては珍しく随分狼狽えているようだった。
「俺は、泣いていたのか」
「だから言ったでしょう、あなたは優しい人だって。私のために泣けるんだから、十分立派な人間よ」
 私の言葉を受けても弟はまだ複雑な顔をしていた。そうしてほんの小さく、呟くように言った。
「……それでも俺が泣けるのは、きっと姉さんについてだけだ」
 そう言って目を伏せる彼の瞳に、私の喉をまたも熱い塊が通過した。その対象を限定する言い方に、少なからず胸を躍らせている自分が居た。通過した熱が何物かに変化し、言葉としてこみ上げてきたのを感じた。そしてそれをとうとう口に出してしまった。
「いいんだよ。私には、……私にだけは、優しく居てくれれば、それでいいんだよ」
 私は、自身の口から飛び出す言葉にひどく驚いていた。
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