二十二、

文字数 1,307文字

二十二、
 訓練に懐剣を持ち出すなど当然あってはならぬから、女生徒との勝敗は私が白星という風に記録された。しかしもしこれが戦場であったら、話は別である。戦いに不意討ちは付き物。無機質なまでに死生をやり取りする戦場において、騎士道もへったくれもないのは傭兵である私が一番よく知っているはずだった。その事実が長年戦場を渡り歩いた傭兵としての私の誇りに傷痕を残した。そしてそれは私に限らず周囲もおよそ認めているらしかった。私の評価は地に落ちるとまではいかないまでも、以前までの完璧なものとは比べるべくもないほどになっていた。記録では敗けたはずの彼女は、初めてあの灰色の悪魔に剣術で土を付ける快挙を成し遂げたと担ぎ上げられていた。
 私は遮二無二振っていた木剣を降ろした。誰も居ない訓練室には私の荒い息遣いだけが響いている。訓練室の空く時機を見計らい、先日の様な不慮が二度と無いようにと鍛錬に励んでいた。しかしどうにも身が入らなかった。こう集中を欠いたままでは非効率的だろうと思った私は少し休むことにした。扉に背を預けて座り込み、そのまま目を閉じる。たらりと額を伝う汗に、私はあの時流した冷や汗を思い出していた。
 もし彼女の中の殺意がほんの少しでもあれより大きければ、きっとこの土手っ腹には短刀が突き刺さっていたことだろう。懐剣での傷害となると流石に殺意ありと認められて彼女は罰されたはずである。あわや退学という所まで発展するかもしれない。もし一命を取り留めたなら、私を哀れむ声も生じたことだろう。そうなればさぞ気分が良かろうと思った。私は実感的な痛みより、精神を突き刺す周囲の目線の方がどうにも堪え難く感じていた。
 やにわに外が騒がしくなった。どうやら授業に向かう生徒たちの声で、しかも先日の決闘訓練についての話らしかった。扉にもたれている私は息を押し殺して耳を傾けた。
「――私は思わず拳を握ったよ!」
「伸びなんかして余裕ぶった顔が一瞬で歪んで……ねえ、ざまあみろと言った感じだったわ」
「ちょっと、言葉が乱暴ですことよ。そういう時は『いい気味』とでも言うのが適切ですわ」
「その方が意地が悪く感じるけど……。ともかく、いつもああして澄ました顔をしているからあんな目に遭うのよ」
「全くよねぇ。あれで弟も手籠めにしたに違いないわ」
「まあ、本当ですの?」
「きっとそうよ。あれだけずっと引っ付いているんですもの、裏で何してるか分かったものじゃないわ」
「やだー! 気持ち悪いよ」
 私は扉を開けて反論したい気持ちに駆られた。しかしそれがどうしても不可能だということも知っていた。私たちの関係の清廉さを証明する手立てなどどこにもないのだ。何を言っても信じてもらえるはずがなかった。
「うえ、次あいつの授業だ。嫌だなあ」
「あんなのがまだ教師でいられるなんて信じられないわ」
「本当、……あのまま刺されて死んでしまえば良かったのに」
 私は音を立てぬようにして立ち上がり外套を羽織った。女子らのきゃはは……という黄色い声が遠のいたのをきっかけに、私は訓練室を出た。身震いが止まらなかった。十分なほどに動かして温まったはずの体が凍えてしょうがなかった。
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