二十五、

文字数 780文字

二十五、
 そうして心身に良い生活をしていたからか、思ったよりすぐに熱が引いて復帰できるようになった。制服を着た私を見て弟はひどく寂しそうな顔をした。私も精の出ない仕事などより弟と一緒に居たかった。生徒や教師たちに軽蔑の目で見られるより、弟の温かい眼差しを受けて過ごしたかった。そんな思いを抱えていたせいか、以前にも増して私は業務に集中できずにいた。弟とひたすらに愛し合いたいという気持ちが際限なく膨れ上がっていた。
 弟もそれはほとんど同じだったようで、寮の入り口で出会った時、いの一番に抱き締められた。私もそれに篤く応えた。何人かの生徒や教師が通り過ぎて眺めてきたが、私たちは気に留めなかった。
 寝床に就いたさなか、私は隣から「逃げようか」という声が起こるのを耳にした。その声は初め、諦めや願望の色を多分に含んでいたが、続く言葉にははっきりとした意志が秘められていた。
「逃げよう、二人だけで。誰もいない所へ」
「他の人たちはどうするの? 生徒たちは……父さんはどうするつもり」
 こう訊くと弟は、その銀色の瞳を私のそれへ向けた。彼の双眸がまばゆく光っているのは窓の外の月明かりが映っているからか、それとも彼の覚悟がそう見せているのか。
「俺には姉さんしかいない。これまでも、これからも」
 はっきりとした独占の宣言に私は胸を躍らせた。何を隠そうか、私とて同じなのだ。私には弟しかいない。弟がいればそれで充分だった。そのあまりに無責任な選択が、私と弟を救う唯一の手段に思えた。けれどそこまでする勇気と大胆さのない私には、どうにも決心がつかなかった。教職や戦いにもう興味はなかったが、心の奥底ではまだ優しいはずの父まで裏切ってしまうのにはどうしても怯えた。弟も無理に私を連れ出すのは心苦しいと見えて、それ以上何も言わなかった。二人はいつもの如く黙って互いに抱き合っていた。
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