十六、

文字数 1,223文字

十六、
 数日の間は何事もなく日が経った。年明けで幾らか慌ただしい部分もあったが、他には事件もなく平穏な日々を送っていた。
 私たちはこれまでと同様の距離感で接していた。意見交換や用事の手伝いで行動を共にして、それ以外は特に引っ付くこともない。それだから周囲からは変わった様子には見えなかったろう。しかし事あるごとに交わす目配せと人目を盗んで繋ぐ手からは、あの日願った思いが確かな熱として二人を伝わりあった。寮に帰ってもそれはほとんど同じことが言えた。人目を憚る必要こそないが壁の薄い寮ではあまり大仰なことはできない。暇になった後はただ黙って寄り添いあっていた。私も弟もそれで十分らしかった。一般的な男女はもう少し水っぽい関係になるのだろうが、何より私たちの中に根深く打ち込まれた血の絆が、それ以上の接触を必要としなかった。あるいは二人とも生来肉欲に乏しい人間だったからかもしれない。ともかくそうして互いの肌と唇から伝わる温度だけで二人は満足した。
 しかし世には禍福は糾える縄の如しという言葉があり、それは現実を極めて残酷なまでに精密に描写していた。私たちの日々は決して幸福のみで構成されているわけではなかった。
 私たちは年頃の男女として観察されるように、恋人を欲する人間からのアプローチを度々受けた。そしてそれに気のない返事をして相手を残念がらせた。理由などは当然秘めたままにしているので一層不満がられた。時には悪態さえ吐かれた。私たちは常に周囲の信頼を裏切っているような思いを抱えて過ごした。
 特に父の前へ出た時にはそれが顕著だった。私の過去の失敗を許している彼には、既に二人がただの仲の良い姉弟として映っているらしかった。一般より距離の近い間柄であることは知っていようが、兼ねてよりそうであったから特別の違和感を覚えなかったようだ。そろそろ良い相手の一人でもできる頃合いだろうと食事や酒の席で我々を茶化した。私たちは胸の中に凄まじい罪悪感を生じながらそれを笑って流した。私も弟も、父に正面から目を合わすのを躊躇っていた。
 ある時私は懇意にしている女性教員に、今度の休みの曜日に街へ出かけようと誘われた。同性の友達と出かける分には弟も反対しないだろうと思い、一旦はそれを承諾した。しかし後になって次の休みにデートに行こうと弟に誘われた。私は迷ったが、友と弟とを量る天秤は結局、弟の方へと傾いた。弟の期待を裏切るより、初めから裏切っている友の信頼を損なう方が私にとっては苦痛がなかった。友に断りを入れて謝った時、それが少し訝るような目つきをしたのはその時気にも留めなかった。
 それから私は度々弟と一緒に居ることを優先した。二人が結びついて以降、仲の良い教員や司祭との茶会などもほとんど足が向かないでいた。それで向こうも私を誘うことは滅多になくなった。私は静かに孤立していた。しかし弟との愛に目の眩んだ私は、それをはっきりと自覚する機会を逸していた。
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