第8話 渡辺美里~TM NETWORKの妹分?~

文字数 2,510文字

 みなさんこんにちは。こちらは1970年代を歌謡曲で過ごし、1980年~をJ-POPで過ごしてきた私(甘らかん)がいかにして50過ぎた段階で宮本浩次・エレカシ沼に入り込んだのかをつらつらと語っていくエッセイになります。

 今回のアーティストは【渡辺美里】さんです。この方もエレカシさんと同年(1966年)生まれ。さらに東京都出身、EPICソニーつながりですが、20代当時「宮本君」「渡辺さん」と呼び合ったことあるのだろうか。あまり想像ができない(個人の意見です)。

 一度だけ高校時代の友人に誘われて【西武球場】に行かせていただきました。
渡辺美里さんのファンにとって、西武球場は特別な【お祭り】なんだということを肌で感じさせていただいた次第。横断幕とかありましたよね。
 観客もステージも、みなさん【楽しそう】という印象が残っています。
 生【My Revolution】は球場じゅうが一体化して、スタジアムから巨大ロボが現れ美里さんが乗り込んで地球の平和を守りにいくんじゃなかろうかと思うほどでした。



 ウィキペディア先生によると、渡辺美里さんのデビューは1985年とあります。出身コンテストも音楽会社主催ではなく【ミス・セブンティーンコンテスト】アイドル志望だったのでしょうか? 1984年のコンテストで最優秀歌唱賞を受賞。

 アイドルとしてデビューしたイメージがないのですが、だからと言ってデビュー当時はシンガーソングライターではなかったので(というイメージ)、20そこそこの彼女を20そこそこの私が(この人はどういう立ち位置なのだろうか?)と疑問に思って見ていました。

 アイドルなんだかそうじゃないんだか。周囲は彼女をどこへ向かわせたいのだろう?とかなんとか思っているうちに1986年【My Revolution】が爆発ヒットしていました。



 渡辺美里さんにはTM NETWORKフアンとしてありがとうと言いたい。
 あなたがいてくれなかったらTM NETWORKはEPICソニーから契約切られていたかもしれなかった(憶測)。
 TM NETWORKというバンドが存在していること、小室哲哉という才能があることを日本じゅうが知ることができたのは間違いなく渡辺美里【My Revolution】のおかげだ。

 ちょうど小室さんが音楽雑誌で「売れないと意味がないんです」「セールスをあげるには方向性を変えていかなくてはならない」と焦りを口にしていた時期だと思います。金色の夢のキャッチからFANKSへ移行したくらいです。小室さんは売れること、数字にこだわりを見せるようになりました。引退するまでこだわり続けていたのは、一貫した人生のテーマだったのか(遠い目)。

 エレファントカシマシがスパッとEPICソニーから契約切られたのは1994年のようですが、どんなにグッとくる曲を作ろうが、数字が出せないのでは存在してもらう意味がない。という業界の厳しい現実です。
 レコード会社は慈善事業団体ではない。株式会社です。
 スタッフの多くはサラリーマンで、【アーティストを育てたい】という意志の前に、自ら(家族)の【生活のために働いている】のです。だからアーティストには売れてもらわなくては困る。いくら才能があっても、いい曲であっても、数字がすべてという残酷な世界のなかにアーティストのみなさんはいるわけです。

 TM NETWORKは1987年【GET WILD】がヒットするまで、かなりの試行錯誤をしています。「なにをすれば売れるのか、どうすれば自分の音楽がわかってもらえるのか」そんな苦悩が楽曲の方向性に見え隠れしているときに、【My Revolution】の大ヒットが来ました。

 TMフアンとしてはTM NETWORKの楽曲で小室さんのことを知って欲しかったのですが、誰も損しないウィンウィンな状況になっていたので、渡辺美里さんにも小室哲哉さんにも代表曲のひとつになって、それはそれですべてよしなのですよね。
 おかげでじわじわとTM NETWORKも上昇気流に乗っていくわけですから。



 楽曲提供でTM NETWORKとは仲がよかったようで、音楽雑誌やラジオで「てっちゃん、ウツ、キネさん」と彼らをさらりと呼べるのがうらやましいなぁ、といちTMフアンは思っていました。
 西城秀樹さんの妹分が河合奈保子さんだったように、TM NETWORKの妹分。というイメージが私の中では定着しています。TM NETWORKのみなさんが還暦を迎え、渡辺美里さんが50半ばになった今でも、その先も、そうであって欲しいなと思うがどうなのだろう。
 それは置いておいて。

【My Revolution】が売れすぎたけれど、私は【死んでるみたいに生きたくない】のほうが好きです。こちらも小室さん作曲です。「だれも触らないで私のハートに」から始まるパンチのある楽曲。カラオケでもマイレボよりこっちのほうが歌ってスカッとします(個人的感想)。
 あと木根尚登さん作曲の【eyes】が名曲です。死んでるみたいに~と共にアルバム【eyes】に収録されています。



 ライブは西武球場の1回しか行ったことがないのですが、腹から声出ているというのは当たり前なのですが、声量が太かったという印象があります。日本家屋の大黒柱というイメージです。
バービーボーイズの杏子さんとは【違う組の姐御】というような。杏子さんがエロの国からやってきたオンナというのなら、渡辺美里さんは学ランの国から来た女。
 渡辺美里さんが男性に生まれていたら、どういうシンガーになっていただろうと思うことがあります。

 ソロシンガーだから解散がない。今でも元気で活動をしているようで、同年齢の東京出身者としてエレカシ同様頑張って欲しいと切に願うのです。

 最後にですが、渡辺美里さんは都立高校出身のようなので、私たちの年度から導入されたグループ制と5教科入試の社会科の問題についてどう思ったか、大いに聞いてみたい(其の1:1966年のこと参照)。マニアックな問題解けました? と聞いてみたいです(真顔)。

~第8話 終わる~
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