第5話 TM NETWORK~1985年日本青年館~
文字数 2,428文字
みなさんこんにちは。こちらは50過ぎて同学年の宮本浩次・エレカシ沼に入るまでの音楽経歴を淡々と語るエッセイになります。
今回は人生でいちばん推し時間を費やしたTM NETWORKさんについて語ります。
【古参フアン】と呼ばれて「はい、その通りです」と言える唯一のバンドです。
初めて参加したライブが1985年、日本青年館で行われたDORAGON THE FESTIVAL TOUR。翌日にはファンクラブに入会していました。
ここから、小室さんがあんなことになって、「青春返せ!」と持っていたCDやパンフレットの類をすべて捨ててしまうまで、TM NETWORKは確実に人生の一部でした。
人としては顔をそむけたくなるけれど、楽曲は永遠に胸に残る。
TM NETWORKがいてくれたから、死にたくなるようなつらいことがあってもなんとか這いつくばることができた。
【推しはいつの時代にも生きる指針です】
1984年にデビューしたTM NETWORK。
いままで聞いたことがなかったメロディーや不思議な歌詞(1stアルバム:RAINBOW RAINBOW)やピコピコアレンジやビジュアル、すべてに衝撃を受けた。
テレビ神奈川「ミュージックトマトジャパン」ありがとう。あの番組はたくさんのJ-POP情報をくれました。
当時高校3年生、ビリージョエル武道館が終わって、興奮ひと段落ついていた時です。
*
余談ですが、エレファントカシマシのデビューは、TMデビュー4年後の1988年で、レコード会社も同じEPICソニーであるが、私は絶賛TM NETWORKにドはまり中であったので、そのような【モンスター級に我が道をゆく物凄いバンド】がデビューしたことを知らなかった。
それが幸か不幸かはわからないが、TM NETWORKに夢中になっていた当時の自分がまったくタイプの違う【実はEPIC時代が最高なエレカシ】のフアンになっていたとは到底思えないので、TPOというか、ハマるにはそのときにふさわしい状況と時期があるのだなと思う次第。
*
TM NETWORKについては思い出が多すぎるので、ちょくちょく分けて語ることになるかもしれないが、今回ははじめてのライブだ。
MV【金曜日のライオン】【1974】を見たとき脳天に雷が落ちた。
いままで聞いてきた音楽(主に歌謡曲)は「あなたが好き」とか「どうしてこんなことになったの」など恋愛中心にまわっていた。男女の関係があったうえでの、だれもがたどるような物語がつづられていく。それはそれで、時代を反映というか、古き良きなのですが。
そこに来て、想像力を求められるような歌詞とピコピコデジタルサウンド。今ではぜんぜん珍しくないけれど、初めて聞かされたあなたへの衝撃を私は何に例えよう。
【1974】でいうところの「優しくなれるLOOKIN FOR YOU」肉眼では見えないあたたかなものが迎えに来た、というような。これからファンタジーを見せてあげるといわれたような。
赤い髪をバックに流す宇都宮隆さんと洋楽意識感半端ない金髪小室哲哉さん、そしてこのときからいまだに変わらない普通感満載の木根尚登さん。
この3人は、いったいなんなのだ!?
TM NETWORKの動向が気になって仕方がない。
追いかけざるを得ない。
インターネットがまだ動き出さない時代、フアンがアーティストを追いかける手段はテレビ、ラジオ、音楽雑誌くらいしかなく、デビューしたての彼らの情報のほとんどはテレビ神奈川に頼っていたと思う。
*
いてもたってもいられなくなり、ゲットした日本青年館のチケット。いちばん後ろの席でした。青年館のキャパがそんな広くなかったので豆ではありませんでしたが、はじめてのTMはいちばん後ろの席。そんなことさえ今では思い出の1ページです。
DORAGON THE FESTIVALから始まった熱気と高揚感。最初から最後まで踊りっぱなしだった。「私はここにいます!ここにいてもいいんですよね!」という、TV版エヴァンゲリオン最終回よろしく周囲から「おめとう」と拍手された的なパワーがあふれていた。
彼らはこの先どこへ連れて行ってくれるのだろう。そんな期待しかなかった。「全人類このTM NETWORKを見て!」と全身で叫ぶ自分がいた。私のような人間でも生きていてもいいと咆哮する心が日本青年館いちばん後ろの席にあった。
*
時は流れて、小室さんのソロ活動が派手になっていき、1990年の【RHYTHM RED】あたりからライブにはいかなくなったのですが、人生のいい時期(主に20代)を共に過ごしたアーティストさんです。
【1974】【YOUR SONG】【TWINKLE NIGHT】が推し曲ベスト3ですが、ライブで【YOUR SONG】【TWINKLE NIGHT】をなかなかやってくれない。生で聞くまでライフポイント削るわけにはいかないとばかりにライブのたびに期待するのですが、この2曲を生で聞けたのは1~2回だったと思う。小室さんはあまりいい思い出がなかったのか、好きではなかったのか。私が好きなのに(笑)。
もうひとつ語りたい。
音源化しないで有名だった【タイムマシン】という楽曲がある。私がそれを生で聞いたのは、それこそ古参ファンのいい思い出ファンミーティングでのことだった。会場は渋谷のライブハウス。100人いたかいなかったかというファンに見守られながら至近距離で楽しいトークを聞き、帰り際には握手までできて、ゲストとして松本孝弘さん(TMでギター弾いていたのは有名な話)が現れて「近日デビューします」と、これからB’Z始めますと紹介されたり(稲葉さんは来なかったですよ)。そのときに「じゃあ1曲だけ」と歌ったのが【タイムマシン】でした。私が最初で最後に聞いた生タイムマシンです。
胸に手、目頭には光るものだった。よかったな。
~第5話 終わる~
今回は人生でいちばん推し時間を費やしたTM NETWORKさんについて語ります。
【古参フアン】と呼ばれて「はい、その通りです」と言える唯一のバンドです。
初めて参加したライブが1985年、日本青年館で行われたDORAGON THE FESTIVAL TOUR。翌日にはファンクラブに入会していました。
ここから、小室さんがあんなことになって、「青春返せ!」と持っていたCDやパンフレットの類をすべて捨ててしまうまで、TM NETWORKは確実に人生の一部でした。
人としては顔をそむけたくなるけれど、楽曲は永遠に胸に残る。
TM NETWORKがいてくれたから、死にたくなるようなつらいことがあってもなんとか這いつくばることができた。
【推しはいつの時代にも生きる指針です】
1984年にデビューしたTM NETWORK。
いままで聞いたことがなかったメロディーや不思議な歌詞(1stアルバム:RAINBOW RAINBOW)やピコピコアレンジやビジュアル、すべてに衝撃を受けた。
テレビ神奈川「ミュージックトマトジャパン」ありがとう。あの番組はたくさんのJ-POP情報をくれました。
当時高校3年生、ビリージョエル武道館が終わって、興奮ひと段落ついていた時です。
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余談ですが、エレファントカシマシのデビューは、TMデビュー4年後の1988年で、レコード会社も同じEPICソニーであるが、私は絶賛TM NETWORKにドはまり中であったので、そのような【モンスター級に我が道をゆく物凄いバンド】がデビューしたことを知らなかった。
それが幸か不幸かはわからないが、TM NETWORKに夢中になっていた当時の自分がまったくタイプの違う【実はEPIC時代が最高なエレカシ】のフアンになっていたとは到底思えないので、TPOというか、ハマるにはそのときにふさわしい状況と時期があるのだなと思う次第。
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TM NETWORKについては思い出が多すぎるので、ちょくちょく分けて語ることになるかもしれないが、今回ははじめてのライブだ。
MV【金曜日のライオン】【1974】を見たとき脳天に雷が落ちた。
いままで聞いてきた音楽(主に歌謡曲)は「あなたが好き」とか「どうしてこんなことになったの」など恋愛中心にまわっていた。男女の関係があったうえでの、だれもがたどるような物語がつづられていく。それはそれで、時代を反映というか、古き良きなのですが。
そこに来て、想像力を求められるような歌詞とピコピコデジタルサウンド。今ではぜんぜん珍しくないけれど、初めて聞かされたあなたへの衝撃を私は何に例えよう。
【1974】でいうところの「優しくなれるLOOKIN FOR YOU」肉眼では見えないあたたかなものが迎えに来た、というような。これからファンタジーを見せてあげるといわれたような。
赤い髪をバックに流す宇都宮隆さんと洋楽意識感半端ない金髪小室哲哉さん、そしてこのときからいまだに変わらない普通感満載の木根尚登さん。
この3人は、いったいなんなのだ!?
TM NETWORKの動向が気になって仕方がない。
追いかけざるを得ない。
インターネットがまだ動き出さない時代、フアンがアーティストを追いかける手段はテレビ、ラジオ、音楽雑誌くらいしかなく、デビューしたての彼らの情報のほとんどはテレビ神奈川に頼っていたと思う。
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いてもたってもいられなくなり、ゲットした日本青年館のチケット。いちばん後ろの席でした。青年館のキャパがそんな広くなかったので豆ではありませんでしたが、はじめてのTMはいちばん後ろの席。そんなことさえ今では思い出の1ページです。
DORAGON THE FESTIVALから始まった熱気と高揚感。最初から最後まで踊りっぱなしだった。「私はここにいます!ここにいてもいいんですよね!」という、TV版エヴァンゲリオン最終回よろしく周囲から「おめとう」と拍手された的なパワーがあふれていた。
彼らはこの先どこへ連れて行ってくれるのだろう。そんな期待しかなかった。「全人類このTM NETWORKを見て!」と全身で叫ぶ自分がいた。私のような人間でも生きていてもいいと咆哮する心が日本青年館いちばん後ろの席にあった。
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時は流れて、小室さんのソロ活動が派手になっていき、1990年の【RHYTHM RED】あたりからライブにはいかなくなったのですが、人生のいい時期(主に20代)を共に過ごしたアーティストさんです。
【1974】【YOUR SONG】【TWINKLE NIGHT】が推し曲ベスト3ですが、ライブで【YOUR SONG】【TWINKLE NIGHT】をなかなかやってくれない。生で聞くまでライフポイント削るわけにはいかないとばかりにライブのたびに期待するのですが、この2曲を生で聞けたのは1~2回だったと思う。小室さんはあまりいい思い出がなかったのか、好きではなかったのか。私が好きなのに(笑)。
もうひとつ語りたい。
音源化しないで有名だった【タイムマシン】という楽曲がある。私がそれを生で聞いたのは、それこそ古参ファンのいい思い出ファンミーティングでのことだった。会場は渋谷のライブハウス。100人いたかいなかったかというファンに見守られながら至近距離で楽しいトークを聞き、帰り際には握手までできて、ゲストとして松本孝弘さん(TMでギター弾いていたのは有名な話)が現れて「近日デビューします」と、これからB’Z始めますと紹介されたり(稲葉さんは来なかったですよ)。そのときに「じゃあ1曲だけ」と歌ったのが【タイムマシン】でした。私が最初で最後に聞いた生タイムマシンです。
胸に手、目頭には光るものだった。よかったな。
~第5話 終わる~