第11話 宮本浩次~ROMANCEから昭和歌謡曲を語る2~
文字数 2,395文字
みなさんこんにちは。こちらは宮本浩次・エレカシさんと同学年の私が、50過ぎるまで見事なまでにエレカシの楽曲をスルーし続け、ようやく2020年に沼った経緯を書いてきているのですが、前回(第10話)からアルバム【ROMANCE】から昭和歌謡曲を語る番外編をお送りしています。あの頃、私も子供でした。その時目線で思い出を振り返りたいと思います。
●あなた/小坂明子(1973年/作詞・作曲 小坂明子)
1966年生まれの宮本浩次さん(以下宮次)7歳の時の小坂明子さんのデビュー曲。
ウィキペディア先生によると、1973年第6回ヤマハポプコンでグランプリを受賞してデビュー。それがそのまま大ヒットしてしまった。当時小坂さんは16歳。
ランドセル背負った私の耳にも【あなた】はどこからともなく入り込んでいました。主な情報源はラジオだったと思う。
メロディーがやさしく壮大で「ちいさな家、暖炉、真っ赤な薔薇、白いパンジー、子犬、ぼうや、レース」50音を覚えたばかりの脳細胞にこれらの単語はかなりのインパクトだった。「あなたにいてほしい」というオチもまた、国語に足を踏み入れたばかりの子供だったのに【この人はまだあなたに出会っていないのだ】ということがおぼろげに理解できたから不思議だ。
それはもう少し年齢がいってから、少女漫画雑誌【なかよし、りぼん、ちゃお】を読み始めたあたりで鮮明になってくる。
少女漫画は1980年代まではキスがゴールだった(たぶん)。ともかく両思いが確認できればエンドマークを付けることができていた。
その先に待つ愛のかたちなど(略)である。恋愛なんていいことばかりではないという続きは当時の少女漫画において存在しなかった。
両想い確定=幸せ。というゴールに焦がれる【乙女の祈り】があなただった。
ピュアな幼心にピュアが刺さった。
あの頃のピュアな心は今どこに……。というのが現在50過ぎた女の正直な意見だが、そのピュアがいまだに残っている【なに乙女してんだよ、そこの、そこのおめぇだよ!】同じ年齢の男性に嫉妬まがいの悔しさを覚える。宮次の乙女メーターって一体……。
●異邦人/久保田早紀(1979年/作詞・作曲 久保田早紀)
宮次13歳。久保田早紀デビュー曲とウィキ先生が語っている。
元歌を知らない世代からしたら、年上の大人たちが「中東中東」というのがうるさいと思うだろうと笑ってしまうのですが、それくらい異邦人は当時を知る者に洗脳ともいえる中東イメージを植え付けています。
それは副題に~シルクロードのテーマ~とつけられたこと。壮大な長いイントロが砂漠のなかの幻(オアシス)を見せつけた、タイアップのTVCMが砂漠とか【中東でええやん!】という画像をドカンと写したことにある。
プロモーションが成功しすぎて関係者みんなウハウハだったことだろう。久保田さん本人はわからないが。
ベスト10番組でピアノを弾きながら歌い上げる久保田さんを見ていた13歳の私は【これは失恋の深層心理の風景を伝えているんだよね?】と漠然と受け止めていました。
そもそも、久保田さん自体が美しくてエキゾチックだったので、ますます中東感が増したものです。【ちょっと 振り向いて みただけの異邦人】のちょっとの歌い方が大人の女を感じたものです。【私を置き去りに過ぎていく白い朝】という言葉が好きです。
一方。宮次からアレンジを引き受けた小林武史さんは速攻で【中東イメージを排除しなければ】と思ったに違いない。私が知っている異邦人は出だしで雄叫びなどあげないし、SF感もなかった。
どこに連れていかれちゃったの⁉ と宮次版には衝撃を受けたが、本来異邦人は心に受けた傷を再生しようとしている女性の心情風景であって、その場所は中東である必要はなかったのである。
とはいえ、「中東中東」言ってしまうのは世代だからしょうがない。
●二人でお酒を/梓みちよ(1974年/作詞 山上路夫・作曲 平尾昌晃)
宮次8歳。梓みちよさんは1963年に【こんにちは赤ちゃん】という楽曲が大ヒットしたが、幸せいっぱいな歌のイメージからどうしても抜け出せなかったところからのこの楽曲だったとウィキ先生がおっしゃっています。
「母が大好きで」と宮次が言っていますが。私の母も大好きでした(らかん母は2020年現在存命中80代)。この楽曲がなのか、梓みちよさんそのものなのかはわからないのですが、母親世代のほうが思い入れがあるように感じます。
「胡坐かいて歌うところ、カッコいいわ~」と私の母は酒を飲みながらテレビに釘付けになっていました。
見ればオールバックに髪をなでつけたロングドレスの梓みちよさんがお酒片手に胡坐かいて2番に入るところ。
【カッコいい】
8歳の私もたしかにそう受け止めていました。
歌の中に【決して男に媚びない、自立した女の姿】を見ていました。
母親世代は「女性は結婚して家庭に入るべき」「黙って旦那をたてていろ」「子育ては女の仕事」「同居の舅姑に逆らうことは許されないし、世話も当たり前」「離婚は恥」「女は自立して生きていけない」というがんじがらめの生き方しか用意されていなかったと思う。
なにしろ迷信に従って1966年に子供が作れなかった世代なのだから。(本作第1話参照)
それを常識と受け止めて幸せだという家庭もあったろうが、荒れた両手を見つめて「自由になりたい」と思っていた母親もいただろう。
どうやら私の母は後者だったようで、泣きたいところをこらえて気を張る女を演じる梓みちよさんに自分を重ねていたのではなかろうか。
母が元気なうちに二人でお酒をのどこがよかったのか、聞いておくべきか。母の思いだからそっとしておくべきか。
ちなみに。ワタクシ自身は【一人っきりは子供のころから慣れて】しまいました。イエ~イ。
~続く~
●あなた/小坂明子(1973年/作詞・作曲 小坂明子)
1966年生まれの宮本浩次さん(以下宮次)7歳の時の小坂明子さんのデビュー曲。
ウィキペディア先生によると、1973年第6回ヤマハポプコンでグランプリを受賞してデビュー。それがそのまま大ヒットしてしまった。当時小坂さんは16歳。
ランドセル背負った私の耳にも【あなた】はどこからともなく入り込んでいました。主な情報源はラジオだったと思う。
メロディーがやさしく壮大で「ちいさな家、暖炉、真っ赤な薔薇、白いパンジー、子犬、ぼうや、レース」50音を覚えたばかりの脳細胞にこれらの単語はかなりのインパクトだった。「あなたにいてほしい」というオチもまた、国語に足を踏み入れたばかりの子供だったのに【この人はまだあなたに出会っていないのだ】ということがおぼろげに理解できたから不思議だ。
それはもう少し年齢がいってから、少女漫画雑誌【なかよし、りぼん、ちゃお】を読み始めたあたりで鮮明になってくる。
少女漫画は1980年代まではキスがゴールだった(たぶん)。ともかく両思いが確認できればエンドマークを付けることができていた。
その先に待つ愛のかたちなど(略)である。恋愛なんていいことばかりではないという続きは当時の少女漫画において存在しなかった。
両想い確定=幸せ。というゴールに焦がれる【乙女の祈り】があなただった。
ピュアな幼心にピュアが刺さった。
あの頃のピュアな心は今どこに……。というのが現在50過ぎた女の正直な意見だが、そのピュアがいまだに残っている【なに乙女してんだよ、そこの、そこのおめぇだよ!】同じ年齢の男性に嫉妬まがいの悔しさを覚える。宮次の乙女メーターって一体……。
●異邦人/久保田早紀(1979年/作詞・作曲 久保田早紀)
宮次13歳。久保田早紀デビュー曲とウィキ先生が語っている。
元歌を知らない世代からしたら、年上の大人たちが「中東中東」というのがうるさいと思うだろうと笑ってしまうのですが、それくらい異邦人は当時を知る者に洗脳ともいえる中東イメージを植え付けています。
それは副題に~シルクロードのテーマ~とつけられたこと。壮大な長いイントロが砂漠のなかの幻(オアシス)を見せつけた、タイアップのTVCMが砂漠とか【中東でええやん!】という画像をドカンと写したことにある。
プロモーションが成功しすぎて関係者みんなウハウハだったことだろう。久保田さん本人はわからないが。
ベスト10番組でピアノを弾きながら歌い上げる久保田さんを見ていた13歳の私は【これは失恋の深層心理の風景を伝えているんだよね?】と漠然と受け止めていました。
そもそも、久保田さん自体が美しくてエキゾチックだったので、ますます中東感が増したものです。【ちょっと 振り向いて みただけの異邦人】のちょっとの歌い方が大人の女を感じたものです。【私を置き去りに過ぎていく白い朝】という言葉が好きです。
一方。宮次からアレンジを引き受けた小林武史さんは速攻で【中東イメージを排除しなければ】と思ったに違いない。私が知っている異邦人は出だしで雄叫びなどあげないし、SF感もなかった。
どこに連れていかれちゃったの⁉ と宮次版には衝撃を受けたが、本来異邦人は心に受けた傷を再生しようとしている女性の心情風景であって、その場所は中東である必要はなかったのである。
とはいえ、「中東中東」言ってしまうのは世代だからしょうがない。
●二人でお酒を/梓みちよ(1974年/作詞 山上路夫・作曲 平尾昌晃)
宮次8歳。梓みちよさんは1963年に【こんにちは赤ちゃん】という楽曲が大ヒットしたが、幸せいっぱいな歌のイメージからどうしても抜け出せなかったところからのこの楽曲だったとウィキ先生がおっしゃっています。
「母が大好きで」と宮次が言っていますが。私の母も大好きでした(らかん母は2020年現在存命中80代)。この楽曲がなのか、梓みちよさんそのものなのかはわからないのですが、母親世代のほうが思い入れがあるように感じます。
「胡坐かいて歌うところ、カッコいいわ~」と私の母は酒を飲みながらテレビに釘付けになっていました。
見ればオールバックに髪をなでつけたロングドレスの梓みちよさんがお酒片手に胡坐かいて2番に入るところ。
【カッコいい】
8歳の私もたしかにそう受け止めていました。
歌の中に【決して男に媚びない、自立した女の姿】を見ていました。
母親世代は「女性は結婚して家庭に入るべき」「黙って旦那をたてていろ」「子育ては女の仕事」「同居の舅姑に逆らうことは許されないし、世話も当たり前」「離婚は恥」「女は自立して生きていけない」というがんじがらめの生き方しか用意されていなかったと思う。
なにしろ迷信に従って1966年に子供が作れなかった世代なのだから。(本作第1話参照)
それを常識と受け止めて幸せだという家庭もあったろうが、荒れた両手を見つめて「自由になりたい」と思っていた母親もいただろう。
どうやら私の母は後者だったようで、泣きたいところをこらえて気を張る女を演じる梓みちよさんに自分を重ねていたのではなかろうか。
母が元気なうちに二人でお酒をのどこがよかったのか、聞いておくべきか。母の思いだからそっとしておくべきか。
ちなみに。ワタクシ自身は【一人っきりは子供のころから慣れて】しまいました。イエ~イ。
~続く~