第10話 宮本浩次~ROMANCEから昭和歌謡曲を語る1~
文字数 2,432文字
みなさんこんにちは。こちらは1970・80年代の昭和歌謡曲を語るエッセイになります。
もとい、宮本浩次・エレカシさんと同学年の私が、50過ぎるまで見事なまでにエレカシの楽曲をスルーし続け、ようやく2020年に沼った経緯を書いてきているのですが、今回は番外編です。
*
突然ですが。
【1970・80年代を昭和歌謡曲で過ごしました】という大人たちを無作為に選抜して東京ドームに放り投げたとして。
「え? なになに」「何する気だよ」とざわつくところに、昭和歌謡曲のイントロを流したとしたら、どうなるでしょうか。
東京ドームを埋め尽くしたオジサンオバサンは勝手に口が動き出します。
出だし忘れていても、サビは大合唱になります。
もちろん全員そらで歌えます。
フルコーラスいける人もいる。
振りつきの人までいる。
で、次はどうなるか。
推測するに、でっかい拍手の後にウエイブが起こります。
隣は知らない人なのに、肩組んだり。理由もわからず泣き出す人もいるだろう。
【それが、昭和歌謡曲の力です】
*
とんだ昭和ホイホイなアルバム【ROMANCE】を制作してくれた【宮本浩次】さんも立派なアラフィフ。昭和歌謡曲真っただ中で生きてきました。
上記で語った通り、同世代が誰でもそらで歌える【人生の一部】ともいえる昭和歌謡曲を令和の今、カバーするということは【並大抵の覚悟では挑めない】ことだったと思います。
元歌は当時を生きていた人たちすべてが、目をつぶっても見開いても、心からも瞳からも涙があふれる思い出詰まった宝です。
昭和人間の数だけある思い出を、がっかりさせることだけは、昭和人間としての宮本浩次さんもできなかったことでしょう。
完成したカバーアルバム【ROMANCE】は当時の元歌に関わったすべての人への敬意と大好きだという熱意が伝わるものになって世に出されました。
令和を生きる人々に昭和の熱量が、タイムカプセルを開けるかのように届けることができたと思うので、心から「お疲れさまでした、ありがとう」と言いたいのです。
*
昭和の名曲たちを厳選したというカバーアルバム【ROMANCE】を通しで12曲聞き終えたとき。
【私もあの頃子供だった。記憶をたどって昭和歌謡曲の思い出なにか言いたい】
と強く思ってしまい、ちょっと、記憶の引き出しの隅を突かせていただこうと思いました。
*
その前に、かなりの力量で12曲(候補作うなるほどあったそうだ)を歌い上げた宮本浩次さんについて。
エッセイの其の2で私は彼を【北島マヤ】タイプの天才だと書きました。
昭和の傑作演劇漫画【ガラスの仮面】(未完結)のヒロインですが、まさに【ROMANCE】というアルバムが北島マヤです。
元歌たち(歌手、作詞者、作曲者、編曲者)はひっくるめて【姫川亜弓】、芸能界のサラブレッドと思っていただきたい。
12曲の姫川亜弓と同じ舞台に立つというイメージはガラスの仮面を知っている人なら、その過酷さがイメージできるだろう。
そこで姫川亜弓と北島マヤがWキャストを演じた【奇跡の人】です。
姫川亜弓は完璧に奇跡の人『聞こえない、見えない、話せない』という三重苦を背負ったヘレンケラーを演じた。
ここで北島マヤが同じように完璧なヘレンケラーを演じていたら、どうだったろうか。
同じ人間、同じ役者は二人もいらない。そこになんの面白みも深みもない。
北島マヤは【独自の解釈】でヘレンケラーに挑んだ。
その結果、サリバン先生を演じた姫川歌子(亜弓の母親で大女優)までをも虜にしてしまったのだ。
姫川亜弓は衝撃を受けるけれど、ヘレンケラー本人に近づいたのは紛れもなく自分のほうだという誇りがあるし、マヤも亜弓の才能をわかっているので、ふたりのヘレンケラーは互いの健闘を称えあう。
そういう壮絶でいて美しいふたりのヘレンケラーのくだり。詳しくはガラスの仮面のどこかにあるのでご覧あれ(丸投げ)。
宮本浩次さんは【独自の世界観】で元歌を吸収し放出。
昭和生まれも平成生まれも揃って度肝を抜かれた。つまり、そういうことなのだ。
*
ライブになると彼のパフォーマンスは【大暴れ】になる楽曲がほぼある。
私も最初は「この人は大丈夫なのか?」と白目になったものだが、だからといって歌詞を間違えたり、飛ばしたりしたことがあっただろうか。(注:その後の調査でよく間違えることが発覚しました。たくさん練習してと念仏のように言っているのに……)
カメラから姿が消えても歌声、はっきり聞き取れる歌詞は届いているし、北島マヤなので魂が歌の中に入り込んでいる。
歌を演じているのだ。
こんな熱い50代がいたとは。
彼は真剣に暴れている。
悔しかったらてめぇも熱くなってみろよ、と言わんばかりに。
さて、姫川亜弓と北島マヤという関係性は、【エースをねらえ】における【竜崎麗香(お蝶夫人)】と【岡ひろみ】にも似ている。
エースをねらえ、は昭和の有名なスポコン少女漫画だが、最初のエピソードで選抜のメンバーから外された【音羽京子】という人物がいます。
【宗方コーチ】は彼女を外して可能性だけで1年生の岡ひろみを選手に選んだ。
音羽京子を外した理由を宗方コーチはこう言い放つ。(最初のアニメだと思う。原作で言ったかは不明)
「お前のテニスはお蝶の真似だ」
竜崎麗香はふたりもいらない。対戦相手を甘く見るな。
カラオケで高得点とるだけみたいなカバーは飽きた。そういう例です。詳しくはエースをねらえを読んでいただきたい(二度目の丸投げ)。
昭和の名作漫画2作語っていたらお時間がきてしまったので、本題は次回行かせていただきます。
ちなみに、北島マヤも岡ひろみも【根性はあるけれど、とてもじゃないけど放っておけない女の子】で、守ってあげたいという感じで、イケメンたちがよってたかってわちゃわちゃしてきます。そんなところが乙女です。ロマンスです。
一話完結できないので~続く~
もとい、宮本浩次・エレカシさんと同学年の私が、50過ぎるまで見事なまでにエレカシの楽曲をスルーし続け、ようやく2020年に沼った経緯を書いてきているのですが、今回は番外編です。
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突然ですが。
【1970・80年代を昭和歌謡曲で過ごしました】という大人たちを無作為に選抜して東京ドームに放り投げたとして。
「え? なになに」「何する気だよ」とざわつくところに、昭和歌謡曲のイントロを流したとしたら、どうなるでしょうか。
東京ドームを埋め尽くしたオジサンオバサンは勝手に口が動き出します。
出だし忘れていても、サビは大合唱になります。
もちろん全員そらで歌えます。
フルコーラスいける人もいる。
振りつきの人までいる。
で、次はどうなるか。
推測するに、でっかい拍手の後にウエイブが起こります。
隣は知らない人なのに、肩組んだり。理由もわからず泣き出す人もいるだろう。
【それが、昭和歌謡曲の力です】
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とんだ昭和ホイホイなアルバム【ROMANCE】を制作してくれた【宮本浩次】さんも立派なアラフィフ。昭和歌謡曲真っただ中で生きてきました。
上記で語った通り、同世代が誰でもそらで歌える【人生の一部】ともいえる昭和歌謡曲を令和の今、カバーするということは【並大抵の覚悟では挑めない】ことだったと思います。
元歌は当時を生きていた人たちすべてが、目をつぶっても見開いても、心からも瞳からも涙があふれる思い出詰まった宝です。
昭和人間の数だけある思い出を、がっかりさせることだけは、昭和人間としての宮本浩次さんもできなかったことでしょう。
完成したカバーアルバム【ROMANCE】は当時の元歌に関わったすべての人への敬意と大好きだという熱意が伝わるものになって世に出されました。
令和を生きる人々に昭和の熱量が、タイムカプセルを開けるかのように届けることができたと思うので、心から「お疲れさまでした、ありがとう」と言いたいのです。
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昭和の名曲たちを厳選したというカバーアルバム【ROMANCE】を通しで12曲聞き終えたとき。
【私もあの頃子供だった。記憶をたどって昭和歌謡曲の思い出なにか言いたい】
と強く思ってしまい、ちょっと、記憶の引き出しの隅を突かせていただこうと思いました。
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その前に、かなりの力量で12曲(候補作うなるほどあったそうだ)を歌い上げた宮本浩次さんについて。
エッセイの其の2で私は彼を【北島マヤ】タイプの天才だと書きました。
昭和の傑作演劇漫画【ガラスの仮面】(未完結)のヒロインですが、まさに【ROMANCE】というアルバムが北島マヤです。
元歌たち(歌手、作詞者、作曲者、編曲者)はひっくるめて【姫川亜弓】、芸能界のサラブレッドと思っていただきたい。
12曲の姫川亜弓と同じ舞台に立つというイメージはガラスの仮面を知っている人なら、その過酷さがイメージできるだろう。
そこで姫川亜弓と北島マヤがWキャストを演じた【奇跡の人】です。
姫川亜弓は完璧に奇跡の人『聞こえない、見えない、話せない』という三重苦を背負ったヘレンケラーを演じた。
ここで北島マヤが同じように完璧なヘレンケラーを演じていたら、どうだったろうか。
同じ人間、同じ役者は二人もいらない。そこになんの面白みも深みもない。
北島マヤは【独自の解釈】でヘレンケラーに挑んだ。
その結果、サリバン先生を演じた姫川歌子(亜弓の母親で大女優)までをも虜にしてしまったのだ。
姫川亜弓は衝撃を受けるけれど、ヘレンケラー本人に近づいたのは紛れもなく自分のほうだという誇りがあるし、マヤも亜弓の才能をわかっているので、ふたりのヘレンケラーは互いの健闘を称えあう。
そういう壮絶でいて美しいふたりのヘレンケラーのくだり。詳しくはガラスの仮面のどこかにあるのでご覧あれ(丸投げ)。
宮本浩次さんは【独自の世界観】で元歌を吸収し放出。
昭和生まれも平成生まれも揃って度肝を抜かれた。つまり、そういうことなのだ。
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ライブになると彼のパフォーマンスは【大暴れ】になる楽曲がほぼある。
私も最初は「この人は大丈夫なのか?」と白目になったものだが、だからといって歌詞を間違えたり、飛ばしたりしたことがあっただろうか。(注:その後の調査でよく間違えることが発覚しました。たくさん練習してと念仏のように言っているのに……)
カメラから姿が消えても歌声、はっきり聞き取れる歌詞は届いているし、北島マヤなので魂が歌の中に入り込んでいる。
歌を演じているのだ。
こんな熱い50代がいたとは。
彼は真剣に暴れている。
悔しかったらてめぇも熱くなってみろよ、と言わんばかりに。
さて、姫川亜弓と北島マヤという関係性は、【エースをねらえ】における【竜崎麗香(お蝶夫人)】と【岡ひろみ】にも似ている。
エースをねらえ、は昭和の有名なスポコン少女漫画だが、最初のエピソードで選抜のメンバーから外された【音羽京子】という人物がいます。
【宗方コーチ】は彼女を外して可能性だけで1年生の岡ひろみを選手に選んだ。
音羽京子を外した理由を宗方コーチはこう言い放つ。(最初のアニメだと思う。原作で言ったかは不明)
「お前のテニスはお蝶の真似だ」
竜崎麗香はふたりもいらない。対戦相手を甘く見るな。
カラオケで高得点とるだけみたいなカバーは飽きた。そういう例です。詳しくはエースをねらえを読んでいただきたい(二度目の丸投げ)。
昭和の名作漫画2作語っていたらお時間がきてしまったので、本題は次回行かせていただきます。
ちなみに、北島マヤも岡ひろみも【根性はあるけれど、とてもじゃないけど放っておけない女の子】で、守ってあげたいという感じで、イケメンたちがよってたかってわちゃわちゃしてきます。そんなところが乙女です。ロマンスです。
一話完結できないので~続く~