その7 三人称小説にもざっくり分けて2種類あるらしい

文字数 1,449文字

そうそう、
ひと口に「三人称小説」と言っても、じつは2種類あって、
人によって違うほうを想像してしまっている、

ような気がします。
それで話がかみあわなくなることが多い、ような気がします。

なので、そこのところをちょっと。
どういう2種類かというと、

◇三人称・一元視点
◇三人称・多元視点


です。
「三人称多元視点」のほうが、形としては古くからあって、
いわゆる「神視点」がこれです。
複数の登場人物の心の中を、語り手が(ということは読み手も)、
自由自在にのぞけるしくみです。

「三人称小説」というと、この「三人称多元視点小説」のことだと、
自動的に思っているかたが多いのではないでしょうか。
でも、もう1種類あるんですね。
「三人称一元視点小説」

登場人物が複数いても、一人の人物の心の中しかのぞけない。
その人物の視点を通して、物語のすべてを体験する、というしくみです。
『走れメロス』なんて、典型的な三人称〈一元〉視点ですね。
視点人物はもちろんメロス。
じつは、たった一箇所だけ、暴君ディオニスの内面が挿入される瞬間があります。始まってすぐ、メロスのアホぶりに王があきれて、これは勝ったわ、しめしめと思うところですね。でもあまりにさりげないので、ここだけ多元視点になってしまっていることにほとんど気づけないほどです。
一人の人物の心の中しかのぞけない、
その人物の視点を通して、物語のすべてを体験する。
そうすると、
ずっとその人物の心に寄り添っているから、
読者はすごく距離を近く感じます。
それが一元視点のメリットです。
じゃあデメリットは何かと言うと、
読者はその人物の知っていることしか、知れません。
メロスが走っているあいだ、セリヌンティウスが何を思っていたかは、
同時には書けないんです。
1台しかないカメラがメロスに固定している感じです。

同じ三人称でも、カメラが複数あって、
「一方そのころセリヌンティウスは」
って書けちゃう三人称〈多元〉視点とは、違うんです。
くりかえします。
三人称=神視点、ではありません。
三人称多元視点=神視点、です。

同じ三人称でも、
三人称一元視点は、神視点ではありません。
んん、ちょっと待って。
一人称には、〈一元〉と〈多元〉はないのでしょうか?
あります。
いろんな「私」がつぎつぎ交替で地の文を語るのが、
一人称〈多元〉視点です。
芥川龍之介の『藪の中』とか。
殺人事件が起きて、何人ものキャラクターが
「あのとき私は」
と語っていって、その証言がぜんぜん食い違うのが面白い!
でも、ちょっと難度高いんですよね。
「いま『私』って言ってるこの人誰?
さっきの『私』と同じ人、違う人?」
って混乱しがちです。
ミミュラもときどきやらかしそうになるので、気をつけてます。
ということで、
このへんで人称と視点を一覧表にしておきますね。
《「一人称/三人称」&「一元/多元」分類表》

一人称一元視点(=地の文が「私」で、心の中が見えるのはその「私」だけ)

三人称一元視点(=地の文が「彼/彼女」で、心の中が見えるのはその「彼/彼女」だけ)

一人称多元視点(=地の文が複数の「私」で、その人たちの心の中がみんな見える)

三人称多元視点(=地の文が複数の「彼/彼女」で、その人たちの心の中がみんな見える)

もっとくわしく知りたくなった、というかたは、
ぜひ、こちらを読んでみてください。↓

「『ル=グウィンの小説教室』をつまみ食いしちゃうのだ」
とくにPart 2、第7章と第8章。

ピンポイントならここ。↓
第7章「これが視点だ!」プロローグつづき
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登場人物紹介

ミミュラ


このチャットノベルの管理人。ときどきアマビエに変身する。

ヒツジのくせに眠るのが下手。へんな時間に起きてしまったり寝てしまったりする。
紅茶もコーヒーも、ココアも好き。(下戸)

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