その5 「しゃべるとおりに書かなきゃ」もゼロにしてみるといいと思う
文字数 1,105文字
だって、地の文を「私」で書くって、ようするに、
「地の文も台詞」
ってことです。
地の文なのに、
台詞と同じく、登場人物のひとりがしゃべっているわけです。
だから、(ヒツジとは反対に、)
もともと「台詞」を書くのがあまり好きでない人が、
無理して地の文まで「私」で書こうとしたら、
きっととても苦痛なんじゃないかなと思います。
え~、ちょいと昔、おフランスに、レーモン・クノーさんて方がいらっしゃいました。とんかつ定食に付いてくるレモンをカツにかけるかキャベツにかけるか苦悩なさってた人、ではないようでございますがね、ええ。詩とか小説なんぞを書いておりましたが今からだいぶ前におっちんで……いや、お亡くなりになってらっしゃる。そのクノーさん、クー公が書いた『文体練習』てえ本がありましてェこれがもう、どうにもこうにも知的ときたもんだッこんちくしょゥ! あたしが得意のいんぐりっしゅで言うとクリエイティブってェんでしょうか。街なかで起こったなんでもない情景、があるとしやしょう。そのシーンを99通りの文体で書き分けていく、究極の文体遊びってェ風情でございましてね。オツムが1通りっきゃないあたしがここでくっちゃべってったってみなさんわかりゃしねえってもんでしょうから、(以下略)
これ、あるベストセラー※の最後に付いてる「解説」なんですけど、
さすがに、
やりすぎというか、
はしゃぎすぎじゃないでしょうか。
※『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』
著:神田桂一、菊池良 解説:石黒謙吾
(宝島SUGOI文庫、2018年)
さすがに、
やりすぎというか、
はしゃぎすぎじゃないでしょうか。
※『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』
著:神田桂一、菊池良 解説:石黒謙吾
(宝島SUGOI文庫、2018年)
こういうような、極端な一人称の地の文を読んで、
「うわぁ……」
と思ってしまって、
「ここまでやらなきゃならないの?」
「うわぁ……」
と思ってしまって、
「ここまでやらなきゃならないの?」
「だったら一人称なんて絶対やだ」
と思ってしまっているかた、
けっこういるのでは?
残念です。