その11 ヒツジだって書けた! 三人称小説(やや反則ムーブ?)

文字数 1,546文字

そんなわけで(ってどんなわけ)、
ヒツジはかなり長いこと、
「このまま一生、一人称でしか書けないのかもな。くすん」
と思ってたのですが(何すねてるんでしょうね)、
何をどう、まちがったのか(べつにまちがってないけど)、
突然、三人称で大長編を書きはじめてしまいました。
『ダブルダブル』。

もう、あられもない(って何)、三人称多元視点、
禁断の(禁断だったの?)神視点
になっちゃってます。
自分でもびっくりしてるんです。
なに私、自分で「一人称小説家」とか言ってなかった?
もしかして――
がまんしてただけ?

ヒツジごときが神視点なんておこがましいと、
自分で自分にしばりをかけて?
ぐるぐる巻きにして? 毛糸で? ヒツジだけに??
そうらしいですね!!
(認めちゃったよ!!)
この、再度の180度転換というか、
またまた逆方向にふりきれちゃったのは何だったんだろうという話です。
あくまでヒツジのケースですけれども、
とにかく一人称一元視点に固定して、書いてみました。
一年くらい。
何枚になるかなあ……、書き直し分を入れないで、
原稿用紙千枚は書きました。
ってマジで!?
(いま素で驚いた。改めて数えてみて)
〈ジークフリート〉シリーズの番外編まで書き終えたとき、
ふっと力が抜けて、
しばらく、何も書けなくなりました。

リハビリのつもりで、昔話ふうショートショート集『だれがどすたの物語』を書きました。

昔話なんだから、三人称のはずなのに……

ヒツジが書くと、なんだかちょこちょこ、
「語り手」が顔を出しちゃうんですよね。
「これは『私』がおじいさんから聞いた話で」とか。
(すみません、ああいうのだいたいウソです。笑)
もともと、書きながら自分にツッコむくせがあるんです。
いま書いてるこの文章もそうでしょ?
このページの上からもう一度見てみてください。

(そんなわけってどんなわけ)
(何すねてるんでしょうね)
(べつにまちがってないけど)
(あられもないって何)
(禁断だったの?)
やかましいわ。私よ。
ジークフリートくんやオデットちゃんの一人称で書いているときも、書きながらずっと、

「いいかげん彼女の気もちに気づいてあげなよー」
「ああそれNGだよ、男はそれやられたら傷ついちゃうよー」
なんて、ひとりでツッコみながら書いてました。

そのひとりごとがね。
『だれがどすた』では、表に出てきちゃったんですね。

思い返せば、そういう「おしゃべりな地の文」が好きでした。

太宰治の『お伽草紙』ってご存じですか?
「カチカチ山」や「こぶとりじいさん」の語り直しなんですけど、
地の文の(太宰先生本人らしい)口調がほんと楽しいんですよー。
「作者の私も書きながらため息が出る」とか、
「読者諸君も気をつけるがよい」とか。
ロシアの文豪(正確にはウクライナ出身)に、ブルガーコフという人がいます。
彼の代表作『巨匠とマルガリータ』。
美女が、愛する人のために、地獄の舞踏会に乗りこんで大魔王と対峙する!
その波乱万丈の旅がはじまるとき、地の文がきゅうに言いだすんですね。
「われに続け、読者よ! 真実の恋とは何かをお見せしよう!」
……
ああ、いいな。これ、うらやましいな。
でも、私には無理だろうな。私なんかがやっちゃいけないだろうな。
そう思ってました。

スベる、だろうなと……
いや、盛大にスベってるかもしれません、『ダブルダブル』!
でももういいんです。
始めちゃったんだから、最後まで行きます。
一人称小説家が手にした、三人称小説への切符。
それは、
「おしゃべりな地の文」
という、反則ムーブの武器でした。
「こう書かなきゃいけない」なんてことはないんですよね。
書くって、ほんとに自由なんだと思います。
故意や不注意で人を傷つけさえしなければ……
何をしても大丈夫。

あとは、自分のしばりを、
ひとつずつ、ほどいていくだけ。
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登場人物紹介

ミミュラ


このチャットノベルの管理人。ときどきアマビエに変身する。

ヒツジのくせに眠るのが下手。へんな時間に起きてしまったり寝てしまったりする。
紅茶もコーヒーも、ココアも好き。(下戸)

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