その6 クールな一人称小説もあるし、ホットな三人称小説もあります
文字数 1,019文字
メロスは激怒した。
私は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、みじんも無かった。神も照覧、私は精一ぱいに努めて来たのだ。動けなくなるまで走って来たのだ。
セリヌンティウスよ、ゆるしてくれ。君は、いつでも私を信じた。私も君を、欺かなかった。[…]いまだって、君は私を無心に待っているだろう。ああ、待っているだろう。ありがとう、セリヌンティウス。よくも私を信じてくれた。それを思えば、たまらない。
でもね。
やっぱり、
『武器よさらば』が、がっつり一人称なのと同じくらい、
『走れメロス』はどこまでも、三人称なんですよね。
『武器よさらば』の「けっこうです」というくりかえしが、
語り手の「ぼく」の押し殺した怒りと悲しみを表して、
ひしひしと心にせまってくるのと同じくらい、
「君は私を無心に待っているだろう。ああ、待っているだろう。」
というくりかえしって、
やっぱり、
『武器よさらば』が、がっつり一人称なのと同じくらい、
『走れメロス』はどこまでも、三人称なんですよね。
『武器よさらば』の「けっこうです」というくりかえしが、
語り手の「ぼく」の押し殺した怒りと悲しみを表して、
ひしひしと心にせまってくるのと同じくらい、
「君は私を無心に待っているだろう。ああ、待っているだろう。」
というくりかえしって、
陽は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も、消えようとした時、メロスは疾風の如く刑場に突入した。間に合った。
「待て。その人を殺してはならぬ。メロスが帰って来た。約束のとおり、いま、帰って来た。」
「待て。その人を殺してはならぬ。メロスが帰って来た。約束のとおり、いま、帰って来た。」
――と大声で刑場の群衆にむかって叫んだつもりであったが、喉がつぶれて嗄[しわが]れた声が幽[かす]かに出たばかり、群衆は、ひとりとして彼の到着に気がつかない。