その8 一人称小説は語り手の「キャラ脳」で書く!(めずらしく言いきった)
文字数 1,033文字
あくまで 的に です。
正確に言えば、地の文は、語り手の、
心の中のつぶやき ではないわけで。
読者に向かって、語りかける言葉なわけで。
でも、書き言葉なわけで。
この二つを兼ねてるということは、
どんなに自然に見えても、人工的な言葉なわけで。
ここ本当はすっごく大事なんだけど、
深掘りしはじめると沼なので、
いちおう押さえたってことで、話進めますね。
正確に言えば、地の文は、語り手の、
心の中のつぶやき ではないわけで。
読者に向かって、語りかける言葉なわけで。
でも、書き言葉なわけで。
この二つを兼ねてるということは、
どんなに自然に見えても、人工的な言葉なわけで。
ここ本当はすっごく大事なんだけど、
深掘りしはじめると沼なので、
いちおう押さえたってことで、話進めますね。
心配なんでまあちょこっと説明しておくと、例えば「その5の補足」で挙げた『武器よさらば』のシーンだと、愛する女性を亡くした直後の主人公の心の中のリアルなつぶやきは
「まるで彫像に向かって別れを告げるようなものだった」
とは絶対ならないよねって話です。
「キャサリン! ううっキャサリン、おれのキャサリン……返事してくれよおーってするわけねえよなクソああっあのヤブ医者のクソ野郎死ねよてめえが死ねっぐおおおおキャサリイイーンーーー!!!」
とかなるはずだけど、ヘミングウェイ大先生はもっと格調高くお書きになったわけで。
「まるで彫像に向かって別れを告げるようなものだった」
とは絶対ならないよねって話です。
「キャサリン! ううっキャサリン、おれのキャサリン……返事してくれよおーってするわけねえよなクソああっあのヤブ医者のクソ野郎死ねよてめえが死ねっぐおおおおキャサリイイーンーーー!!!」
とかなるはずだけど、ヘミングウェイ大先生はもっと格調高くお書きになったわけで。
地の文を「私」で書くときには、
その語り手=語りを担当するキャラクターの、
「人格」や「知能」に、つまり「脳」に、
私たち書き手が、自分自身をセッティングする必要があります。
よね。
この「キャラ脳」って何かと言うと、ようするに
そのキャラクターが使用可能な
語彙と文法
です。
よね。
その語り手=語りを担当するキャラクターの、
「人格」や「知能」に、つまり「脳」に、
私たち書き手が、自分自身をセッティングする必要があります。
よね。
この「キャラ脳」って何かと言うと、ようするに
そのキャラクターが使用可能な
語彙と文法
です。
よね。