第12話:1947年の日本発の電気自動車は「たま」

文字数 1,264文字


 型式名「えE4S-47I 型」「Eは電気4S」は4 人乗りセダン、47は年式、I 型は初期型の意味。 なお「たま」のブランド名は工場のあった多摩地区から命名され、ホイールキャップにも「たま」の文字をかたどったロゴが読み取れます。終戦直後の日本で電気自動車が走り、復興に一役買っていたことは、あまり広く知られてない。この車体は2010平成22年、量産型電気自動車「日産リーフ」の発表に合わせて社内の有志によってフルレストアされ1947年当時の正しい仕様に戻るとともに復帰した。2011年には東日本大震災を経験し太陽光発電のもつ自家発電の価値が改めて認識される様になった。また原発事故の影響で日本全国で原子力発電が停止され再生可能エネルギーの重要性が再認識された。

 そして制度の面でも2011年の補助金制度に「上限キャップ価格」という仕組みが導入された。「上限キャップ価格」は「この金額より高く太陽光発電を買った場合は補助金を出さない」というもので補助金を受けられるようにするためにさらに価格が下がるようになった。2002年ホンダがFCX、トヨタがFCHVを発表した。燃料電池車である。水素を燃料とし、走行中には一酸化炭素、炭化水素、窒素酸化物などの有害物質を排出しない。温暖化ガスの二酸化炭素さえもゼロで「究極のエコカー」と呼ばれた。21世紀に入った頃からFCVへの期待はふくらんだ。結果としてはFCVでも日本の自動車メーカーが先駆けることになった。

 ホンダもトヨタもFCVは市販せず、官庁などへのリース販売に限定した。開発には巨額の費用がかかっており、回収するため販売価格を設定することは不可能だった。日本では国土交通省や経済産業省、環境省などに貸し出され、アメリカのロサンゼルス市などでも使われることになった。1997年に京都議定書が採択されて以来、温暖化ガスの削減が強く求められるようになっており、FCVには行政からの関心も高かった。次世代車として開発を早めようという機運は高まったが市販化への道はなかなか見えてこなかった。克服しなければならない技術的難問が山積していたのである。燃料電池とは水素と酸素を化学反応させて電気を取り出す装置で、水の電気分解とちょうど逆のプロセスである。スタックと呼ばれるこの装置はまだ開発途上で効率の向上と小型化が課題となっていた。

 当時はカナダのバラード社がトップを走っていてホンダが最初に採用したのはこの会社の製品だった。これに対しトヨタは独自に開発したスタックを搭載しており、ホンダも2004年の改良版からは自社製のものを使うようになった。燃料としての水素をどうやって車内に収めるかも難しい課題だった。ガソリンのように金属や樹脂で作ったタンクに入れることはできない。水素分子は小さいので、わずかな隙間からも漏れてしまう。金属に吸着させたり、メタノール改質器を使ったり、さまざまな方法が試された。両社が採用したのは高圧タンク方式だったが、圧力は350気圧ほどで十分な量を確保できなかった。
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