第16話:巨大台風の弱体化作戦2

文字数 1,386文字

 つまり人工降雨の方法の応用。アメリカでは第二次大戦後から本格的な巨大台風の弱体化計画の実験が試みられた。最初が1947年の最初の熱帯低気圧制御の本格的な実験はアメリカ陸軍通信隊と海軍調査所を中心としたシラス・巻雲計画で1947年10月13日フロリダ半島のマイアミを襲ったあと太平洋を北東進している台風に対して行われた。B17爆撃機がこの台風の中を3回通過し合計80キログラムのドライアイスを散布し、それによって台風の風が弱くなったという確証はつかめなかったが台風の雲頂部の表面にはっきりした変化が表れるという成果があった。実験時の台風はアメリカ東岸から500キロメートル以上も離れており、しかもアメリカ合衆国から離れるように進んでおり勢力は衰え始めた。

 しかし実験後台風は勢力を盛り返しヘァーピン・ターンをしてジョージア州を襲い倒れた木の下敷きとなって1人が無くなるなど被害が発生しています。このためシラス、巻雲計画は大問題となった。この実験を行った時、既に台風は進路を変えたこと1906年10月にも全く同じコースをとった台風があったことなどが明らかになり、実験と台風襲来には関係がなかったことが認められている。この後、この種の実験は中止された。その次の試みはアメリカ気象局は昭和1956年に「全国台風計画」をたて飛行機で台風上でヨウ化銀を播くという実験を昭和1958年8月末に台風「デイジー」に対して行ったのを始め、何回かの実験をしたが良い結果は得られなかった。

 テクの雑学:第101回 雨を降らせて晴れを作る 
-人工降雨の技術-、板垣朝子著を参照させていただきました。
 昭和1962年、アメリカ気象局と海軍は「ほえるあらし計画」をたて台風の制御をめざした大がかりな実験をスタートさせた。この計画では昭和1947年の教訓から「24時間以内に人口密集地から100キロメートル以内に来る可能性が10パーセント以上ある台風に対しては実験対象としない」と決めた。昭和1965年8月末の台風「ベシー」は、小型で眼の壁がはっきりして、実験に適していたので実験準備が開始された。しかし台風進路が北西から西に変わり人工密集地へ近づく可能性が出て来て9月1 日に実験準備が中止された。台風「ベシー」はアメリカ南部を襲い大きな被害が出たが、この時の実験中止が全ての報道機関には伝わらず一部で実験中と報じられたため大騒ぎになった。

 悪戦苦闘だった熱帯低気圧の制御計画が最初に成功したのは昭和1969年の台風「デビー」に対しての実験。1969年8月18日、プエルトルコの基地からヨウ化銀の人った散弾筒を積んだ飛行機5機と観測器を積んだ飛行機8機が、1000キロメートル先のデビーに向かって次々に飛びたった。散弾筒はデビーの眼の壁の外側の雲にヨウ化銀の煙をまき散らすために投下され、高度11000mで爆発した。実験の結果はデビーの最大風速が毎秒50メートルから35メートルへと30パーセントも弱体化した。建物等に対する被害は風速の2乗に比例「風圧に比例」するため風速が30パーセント低くなると風の破壊力が約半分に減ったことになる。台風「デビー」は翌8月19日に最大風速が毎秒50mへと発達したが8月20日に同種の実験を実施した結果、最大風速は毎秒42mに再び減少し16パーセントの減少となった。
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