第8話:太陽熱人気終焉と太陽光発電の夜明け2

文字数 1,370文字

 しかしスキーブームとリゾートマンション建設も1995年から潮が引くように急激に去り、それに伴い加藤工業の新規の仕事が減った。その時に山倉光男は、この仕事は新規開拓でなく既存設備のメンテナンス事業を重点にする事を提案し、他社が施工した太陽熱温水器、ソーラー設備のメンテナンスも引き受け、他社製品から切り替えていく作戦をとった。そのために修繕費用を安くして、その後のメンテナンスの料金で儲けようと考えた。

 これがあたりスキーブーム、リゾートマンションブーム崩壊後、鉄くずになり老朽化してきた設備のメンテナンスを次々と加藤工業が請け負って市場占有率を上げた。太陽熱の終焉と太陽光発電の夜明けしかし、太陽熱温水器は1979年に日本で44万台売り上げ、翌年1980年に過去最高の80万台をピークに1981年、51万台、1982年、43万台、1983年41万台、1984年37万台を最後に、減少し続け、1998年には7万台と完全に熱は冷めたと言わざるを得なくなった。

 その頃、太陽光発電という新技術が脚光を浴びても膨大な費用がかかり、とても採算が合う状態になかった。しかし新しもの好きの都会の富裕層にこの技術の評判が良く太陽光発電装置をつける人が増え始めた。その肝は個人のお宅訪問の時には自然を愛している良い人、先進技術を導入してるという優越心、この地区で最初という虚栄心、この3つでセールスするように繰り返し商談、説明会の練習をさせた。実力のあるセールスには大都市圏の大企業に環境に配慮している未来指向の企業だとアピールできる点を強調して、飛び込みセールスをさせ、加藤機械としては新聞広告に個人、企業向けに頻繁に宣伝を繰り返した。

 個人向けは首都圏、大阪、神戸、京都、福岡、札幌、仙台、新潟、広島と富裕層の集まる地域を重点的に絞り込んで営業を展開した。まず旧財閥系の商社、自動車会社、系列の会社に太陽光発電システムを導入させライバルの企業を攻める作戦で、次々と企業の大きなビルに太陽光発電システムを採用させ、次にデパート、大型スーパーに太陽光発電システムを導入させた。この結果、大企業の太陽光発電の方が勢いよく増えていき徐々に個人のお客さんが増えてきた。1995年に太陽光発電1kwh当たりの装置のコストが1998年には60%まで下がり1kwh当たり74円に発電装置の価格も約半分になり1kwh当たり100円となった。

 そう言う訳で1998年から太陽光発電が徐々に増えてきて2000年頃から太陽光発電の補助金制度が始まった。2000年から急速に補助金の影響で設置に弾みがついてきた。そして、一時、下がっていて売上、利益が2000年には過去最高となった。京都議定書とは第3回の気候変動枠組条約締結国会議「COP3」が京都で開催された時に会議が開かれて採択されたため、京都議定書と呼ばれる。

 この会議はその後も開催が継続されているが京都会議において重要な決定がなされたため1997年に採択された議定書が現在でもニュースに使われる。その決定事項とは、地球温暖化の大きな原因とされている温室効果ガスの排出を削減する具体的な数値目標を設定し、実現に向けて条約締結国が努力する事。温室効果ガスはいくつかあるが、その中でも最も問題視されているのが二酸化炭素です。
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