□ 四十一歳 冬②

文字数 8,159文字


 朝、うるさい電子音で目が覚めた。慌てて足元に蹴飛ばしたスマホを見る。目覚ましアラームかと思ったのに、主査からのコールだった。
「まさかまだ寝てるんじゃないですよね?」
「いや、少し前に起きたところ」
「ま、いいっすけど。今朝はちょっと打ち合わせたいコトあるんで、少し早く来てもらえますか?」
「あー、まあ」
 息子を送り出すのを夫に任せれば、早く出ることは可能だ。でも何を打ち合わせるのか。
「詳しくは後で話しますけど。先生、不安になると思うんで、さわりだけ話すと、在宅で亡くなった人がいるんす」
「・・・マジか」
「ちょっとヤバい感じなんで、早く来て下さい」
「分かった」
 一気に目が覚めた。臨床から離れて十年、こんなに不安な目覚めは久しぶりだ。心臓が不規則に脈打つ。胃が刺しこまれるように痛む。
 私より一時間以上早く起きていた夫が、部屋の扉から心配そうに覗き込んでいる。
「パパ、今日、タッくんを送り出してもらっていい?」
「何かあった?」
「在宅療養者が死んだ」
「・・・ママのせいじゃないんでしょ」
「多分・・・分からない」
「コーヒーは飲む?」
「飲まない」
 何か食べなよ、と言う夫の横をすり抜けて、真っ直ぐ洗面所へ行く。歯も磨く気になれない。ガムを噛みながら歩くことに決めて、化粧をする。と言っても、どうせマスクするんだからと適当に日焼け止めを塗ったら、ファンデーションも塗らずに眉毛を描いて終わる。
 髪が爆発しているのにも気付く。長年のカラーで細ったボブは放置しておけない。ヘアオイルをつけて座敷童子のような広がりを無理矢理落ち着かせる。
 着ていく服は片付けていない洗濯物の山の一番上から選ぶ。黒いシャツに真っ黒なニットプリントのスカート。まるで喪服みたいでかえって不謹慎な気がしたので、仕方なく山を崩してチャコールグレーのフレアスカートを引っ張り出した。
「そんな慌てて出勤しなきゃいけないの?」
「死ぬと思ってなかったから。カルテ見てみないと不安」
「ママ、大丈夫?いつも以上に真っ青だけど」
「事情が分からなくて心配なだけ。いってきます」
 夫はまだ何か言いかけていたが、私はさっさと玄関ドアを閉めた。
 仲杜市も、今朝は冬仕様になっていた。昨日までの暖かさが幻のようだ。エレベーターの中でコートを羽織るまで、寒さが染みて身体が小刻みに震えた。・・・違う、寒さじゃない何かに震えている。
 地下鉄の入り口まで歩く数分間に、三回も足が絡れた。まだ誰も歩いていない道を、よろめきながら進む。
 昨日の事を思い返したくても、何も思い出せない、あの電話以外は。
 全部、慧のせい。
 慧が電話なんかしてくるから、そっちに気を取られて。・・・大事な何かを見落としてしまったんだろうか。
 身体から熱がどんどん奪われていく気がする。
 人の死が耐えられないから臨床から離れたのに。コロナのせいで、また、こんな思いをしなきゃいけなくなった。一年弱、ずっと抱えていた不安が、今、はっきりとした恐怖に変わる。諦念などまだ持てない。私は誰も死なせたくないのに。誰の生死にも関わりたくないのに。
 地下鉄は空いていた。ほんの三十分かそこら早いだけで、人流は全く変わる。今の時間は疎に中年男性が立っているだけだ。
 途中の乗り換えも人影は少なく、またがらんとした車両に乗り込んで、私は座席の隅に座った。いつもは寝て乗り過ごすのを防ぐために、座ることはない。しかし今日は座らないと最寄り駅まで辿り着けそうになかった。
 地下鉄を降りれば、道路を挟んで向かい側が藤野区役所だ。その四階に保健所がある。普段は運動不足解消に階段を上がるが、今日はエレベーターに乗り込んだ。
 保健所フロアに着いた途端に、奇妙なさざめきに襲われた。
「あ、先生来たよ」
 受付で私を待っていたらしい課長が、私の姿を見つけ、奥に叫んだ。
「先生、早く。もう所長も来てるのよ」
 苛々しているかと思っていた課長が、奇妙なほど冷静に立っている。こんなに落ち着いているということは、大した出来事ではないということだろうか。
 自席まで歩く間に、また二回もよろけた。床に貼られたじゅうたんが波打っているからだが、いつもなら絶対に引っかからないのに。
 椅子の上にトートバッグを置き、クロコの型押しのポシェットをのせる。私の動きを複数人が見守っているのを感じて、溜息をついた。
「で、先生、話し始めていい?」
 課長が私の後ろから声を発する。その場に立ち、なんとなく円を描いた面々を眺め渡して、課長は言った。
「まず、事実から述べると。今朝、早朝に富永布貴恵さんが遺体で発見されました」
 皆が、うなづく。私はじっと動きを止めて足先を睨んだ。
「昨日の夜、なかなか連絡がつかないことを不審に思った御家族が、朝、富永さんのお部屋を訪ねたら、部屋の真ん中、リビングで倒れている富永さんを発見。百十九番するも、すでに亡くなってから時間が経っていて、不搬送、警察対応になりました」
 皆がまたうなづく。私はまた動かない。
「で、問題はここから。昨日の段階で、保健所は富永さんの健康観察をしているかどうか」
 昨日、管理職当番は課長だったじゃないか。貴方は分かっている筈でしょう。
「ちょっと待ってください、一つ確認させてください。富永さんは独居でキーパーソンがいない方だったはずですが」
 思わず、口を挟んでしまう。そんなこと大事じゃないかもしれないが、でも気になってしかたない。
「御本人は天涯孤独の身だと言っていたんだけどさ、何と、議員の伯母さんだったんだよ」
 主査が教えてくれた言葉に思わず耳を疑った。
「議員?誰」
「めんどくせーことに、石野市議」
 中央区選出の市議だ。何が面倒くさいのか分からない。
「石野市議といえば、ほら夜の繁華街の見回り隊をやれとかなんとか、めちゃくちゃコロナに口挟んできてたじゃん」
 平たく言い過ぎの主査を、所長が嗜める。
「結木さん、石野先生だって良かれと思って横槍入れてきてるんだから」
 全くフォローになっていない。
「もう、みんな話が逸れてきてるって。だから、昨日のことを聞いてるの、私」
「だって、昨日の当番、課長だったんですよね?」
 主査が冷たく確認する。
「そうよ、だから、昨日はきちんと電話繋がってたから、ちゃんと確認したもんね?先生」
「・・・カルテ、どこにありますか?」
 はいこれ、と所長に渡され、健康観察表を開く。今日で発症日から八日目だ。昨日は七日目。うちが探知してからも五日経っている。
 富永布貴恵さん、八十四歳。基礎疾患は高血圧だけ。いや本人が認識している疾患はそれだけ、ということだ。ADLは自立、認知機能は問題ない。あまりにしっかりしたおばあさんだったから、本人への聞き取りをして、他の誰にも調査の電話をしていない。
 本人は身内がいないと言っていた。友達もいない、緊急連絡先もない、と。介護保険のサービスを使っていないからケアマネもいない、と言っていた。そう記録にしっかり書かれている。
 私は一度も話したことがない。ずっと軽症だったから、健康観察の電話はコロナ当番の保健師がかけていた。
 発症日とその翌日は微熱があった。微熱と言っても三十六度八分。いわゆる風邪症状はなく、ほんの少し倦怠感があったという。かかりつけのクリニックを定期受診したときに念のためPCR検査を医師から勧められて、やってみたら陽性だった、という、典型的軽症パターン。元気な高齢者では多いケースだ。
 昨日電話をしたのは近藤保健師。まだ若手だがとてもしっかりしていて、臨床的なセンスもある。今まで、電話を掛けて『おかしい』と思ったのに報告してくれなかった、ということは一度もない。記録では、午前中に電話を掛けて、熱は三十六度一分、サチュレーションは九十六、症状は何もない、ご飯は食べてる、水も飲んでる、気になるのはいつまで自宅に閉じ込められなきゃならないかということだけ、となっている。解除日が知りたいと言われたので医師に確認、と記録されている。思い出してきた、近藤さんに聞かれて、通常通り十日目で終わるよ、と答えた。
「このカルテ上は、問題なかったように見える」
 所長が重々しく言う。皆がうなづいた。
「午前中は問題なかった人が、夕方には家族からの電話に出なかった。この場合、危ないな、と保健所は思うべきだったのかどうか」
「・・・家族から、ウチには連絡があったんですか?」
 私の声が妙に響いた。
「時間外窓口には電話がかかってきていて、時間外は藤野保健所に電話したけど、出てもらえなかったと言っている」
「保健所に繋がらなかったら、管理職の誰かに電話するルールじゃなかったです?」
「昨日まで元気だったと家族が言ったらしくて、時間外の看護師は明日藤野保健所に連絡してください、と言って切ったと言っている」
「じゃあ、ウチの落ち度じゃないじゃん」
 主査が肩を竦めて言い放つ。皆はうなづく。
「・・・高血圧があったってことは、心臓か脳血管か、何か別の死因ってことですか?」
 私は腑に落ちなくて、思わず言った。
「先生は違うと思うの?」
 所長が聞く。何を言い出すのかと皆が不審げに私を見る。
「・・・本人は認知症もないし、とてもしっかりしていたと聞いています。記録もそうなっている。でも高齢女性、特にこの人はお金持ちの奥様っぽい感じだったし、そうしたら、保健所に迷惑かけたくないからって自分の症状を軽く申告することもあるんじゃないかと思うんです。鬼頭医院では胸の写真を撮ってないし、実際のところ、本当に軽症だったかなんて分からないじゃないですか」
「先生、それを言い出したら、そもそもこのシステム自体に無理があるってことになるよ」
「・・・解剖するんですか?」
「家族が希望しなかったし、コロナ陽性者であることは間違いないから、コロナ死で手続きするんじゃないかな」
 昨日の私が何か見落としていないか、私が何度も何度もカルテを見直しているのを、皆は可哀想な小動物でも見ているような目付きで眺めていた。
「とにかく、藤野保健所は悪くない、落ち度はない、で収めてもらう、しかないね」
 収め方なんかどうでもいい。昨日の私は・・・大丈夫だったんだろうか。
 結局後ろめたいから、こんなに不安になるのだ。昨日の私は普段の私でなかったことを、私だけは知っている。カルテをちゃんとチェックしていたと思えないし、保健師達の話をきちんと聞いていた自信が全くない。
 どうして、よりによってこんな時に。全部、慧のせいだ。

 富永さんは在宅療養中に亡くなってしまった市内第一号になった。プレス発表もされ、地元の報道機関から複数問い合わせの電話もかかってきた。富永さんが藤野区の患者だなんて誰も言っていない筈なのに、どうして問い合わせが来たのか非常に疑問だった。彼らの情報収集能力は、こんな小さな案件にも遺憾無く発揮されるのだ、と私は他人事のように思った。
 少なくとも、誰も保健所の落ち度だとは言わなかった。我が国のコロナ対策は云々、そんな政策批判になっただけだった。
 でも私の罪悪感は消えない。割り切れない精神力だから、私は臨床にむかなかったのだ。そんな適性のない私に、患者管理など、させるべきじゃなかった。
 終業時間がきても、私はずっとぐずぐずとしていた。月曜だからか、新規患者が発生しなかったので助かった。

「先生もさっさと帰ったら?」
 課長が帰りながら言う。気がついたら、主査はすでに帰宅していた。
「結木主査はもう帰ったよ」
 通りすがりに課長は、私にチョコレートを二つ渡して去っていった。
 課長が帰るのを待っていたのか、職員がどんどん帰り始めた。私の周囲の電灯を残してバチンバチンと消されていく。暗くなった所内に、私を除いて三人しか残っていない。
 三人のうちの一人、保健看護主査が、やはり帰りなから呟く。
「結局、富永さんはどうして亡くなったんでしょうね。コロナじゃない気がしてしかたないんだけど」
「私もそう思っているけど」
「保健所に患者管理させるのが無理なんだよね。先生も嫌なんでしょう」
「・・・いやって言うか、怖いよ」
「近藤さんのせいにされなくて良かった」
「保健師も、嫌だよね・・・患者管理」
「そもそも、コロナ対応全てが嫌だよ、分からないことばっかりだし」
「・・・そうだね、お疲れ様でした」
 片手を振って帰っていく姿を見ながら、私も帰るために、パソコンを開いて退勤処理のシステムを立ち上げた。
 突然、蛍の光が流れ始めた。二十時の合図だ。これが流れたら職員は帰宅しなければならないルールだ。コロナがなければ。
 唐突に始まって、唐突に終わる蛍の光をぼーっとしながら聞いていた。この曲を聞くと体の力が抜けるような気がする。スーパーの閉店間際にもかかっていることが多いが、私は焦るより動けなくなる方が多い。
「うおっ」
 突然、自分のスマホが震えた。そのブルッとした音にびっくりして思わず飛び上がる。
「なんだ、ショートメッセージか」
 ロック画面を解除して確認すると、ショートメッセージが新しく一件増えている。
 ・・・は?
 登録されていない番号からだが、文面を見て、急に鼓動が早くなった。
 突然のメールごめんなさい。佐倉です。今、電話してもいいですか?
 背景が青、慧もiPhoneなんだ。どうでもいいことを考えて、私はスマホをトートバッグに放り込んだ。
 今はダメです職場です。心の中でだけ返事をして私は最大速度で帰宅の途についた。

 夜間出入口を飛び出したところで、スマホを取り出した。今いいです、とメッセージを送る。
 こちらからかけてみるか?・・・いや、そんな恐ろしい。無理無理。
 自分がみっともなく動揺しているのは自覚できていた。しかし、どうしたって冷静にはなれない。絶対変な顔をしている。誰にも見られたくないので私は一駅歩くことにした。
 早くかけてきて。二駅目は結構遠いから。できればそんなところまで歩きたくない。
 やっぱりかけようか、と思い始めたところで、着信した。
 一瞬、出るのを躊躇ってしまった。しかし、切れる前には間に合って、勢いこんで応答した。
「はい、藤野保健所、堀川です。じゃなくて」
「うん」
「元、合原です?」
「分かってます。相変わらず、あゆ、慌てているね」
 別に慌てていない。癖になっているだけだ。
「なんの用事ですか」
「別にたいした用事じゃないけど・・・今日、仲杜市、在宅療養者が亡くなったって、聞いたから」
「藤野区って?」
「そうなの?それは知らなかった。ほら、私本庁だから、他の自治体の報道発表とか、見聞きすることが多いから」
「それって自慢したいの?」
「違うに決まってるでしょう。相変わらず、すぐに変な誤解する」
「・・・相変わらずって・・・こうして電話するの、二十年ぶりなんだよ」
 貴方に私の何がわかるんだ。
「相変わらず、細かいことに拘るね。でも、違うよ、電話で話すのは、ほぼ十九年ぶり」
「十九年?」
 そっちだって細かいだろ。大体一年の誤差はどこからくるんだ。
「だって、組織のスケブ、返すって、あゆが電話くれたじゃない」
「・・・そんなこと覚えてるんだ」
 私だって覚えているけど。いや、せっかく忘れていたのに、思い出してしまったけど。
「結局あゆに会えなかったけどね」
 なんでそんな言い方するの?気を利かせてやった私の気持ち、分からないの?
 私は慧に会いたかったのに。慧に直接会って渡したかったのに。
「在宅療養の患者が亡くなったって、あゆのせいじゃないんだよ」
 また話が嫌な話題に戻る。
「どうして全くの部外者に分かるの」
「会見の資料を見た」
「興味本位で」
「違います。・・・明日は我が身だと思うから」
「なんだ、やっぱり興味なんじゃない」
「興味とは違うでしょ。参考にしているだけで。あゆ、イライラしてるね」
 どうして分かる。二十年も音信不通だった相手の何が分かる。でも、間違っていない。こういうところが慧の人心掌握術なのかもしれない。
「たとえ違う自治体だとしてもさ、COVIDという共通の敵に虚しい戦いを挑んでいる、仲間じゃない。保健所の医者っていうさ。あゆの感じてる無力感とか、悲壮感って、みんな医者は同じように感じてるんじゃないかな」
 相変わらず、正しい。相変わらず立派な人。・・・こういうところが、辛い。自分の器の小ささをまざまざと見せつけてくる。
「疲れたよね。みんなさ。厚山市は、東京とか大阪とかどころか、仲杜市の半分も患者発生していないけどさ、ものすごく疲れたなって思う。どんなに頑張っても、それが目に見える結果にならない。どんなに良かれと思って対策立ててもさ、コロナはその上をいくし。結局、誰にも会うな、どこにも行くな、って市民にお願いしてみたところでさ、それって動物としての人類の在り方の逆を示すわけじゃん。出来るわけない。社会も回らなくなるしさ」
「そうだよ・・・」
「しかもさ、患者を診ずに患者管理しろって、臨床非エリートの保健所に責任がのしかかってくるわけでさ、電話だけで何が分かるんだよって、現場はヒヤヒヤしている」
「そう・・・」
「私は直接患者管理してないから、本当のところあゆ達現場の医師がどれだけの負担を強いられてるかは、分からないけど。ああやって、急に在宅死、コロナで死亡、保健所の患者管理とは、みたいに言われてもさ、じゃああんた達やんなさいよ、としか思わないよね?」
「よく分かってるじゃん」
 ハッとした時にはすでに二つの駅を通り過ぎている。顔がとても冷たいことにも気付いて頬に触れると、私は泣いていた。
「私・・・自分がちゃんと富永さんを診てたのか、分からなくて」
「ちゃんとは・・・診ること出来ないでしょう、誰も」
「PPEでも着てさ、患者宅を回れば」
「そんなの非現実的だよ。保健所にそんな事をさせなきゃいけないんだとしたら、それは施策が間違ってるんだ」
「でもさ」
「あゆはそれでいいかもしれないけど、根本的解決にならないでしょ」
 そこを何とかするのが国の仕事だと思うんだけどね、と慧は呟いて黙ってしまった。
「そう言えば・・・」
「うん、どうしたの?」
「なんか、普通に喋ってるね」
「うん?」
 私達は二十年も口を聞いていなかったのに。
「・・・そもそも、何の用だったの」
「そもそもって?」
「突然、本庁に電話してきてまで私の連絡先を聞いた理由」
「・・・特に理由なんかない」
「そんなワケないでしょ。だって二十年以上も音信不通だったんだよ?友達でもなかったし、単なる同じ大学の学生だっただけじゃない。そんな人、何百人もいるよね。何か用がなけりゃ、連絡なんかしないでしょ」
 つい声が大きくなって、慌ててトーンダウンした。
「何の為に連絡先聞いたの」
「・・・あゆの声が聞きたかったからだよ。それは理由にならないの?」
「なるわけないじゃない」
 また大声になってしまう。
 電話の向こうから、溜息が聞こえてきて、私はつい絡んでしまった事を死ぬ程後悔した。
「・・・あゆがどこにいるのか、自信が持てなかったから、こんなに時間空いてしまったけど、私はずっとあゆを探してたよ。どこに行ったのか、分からなかったから、時間かかったけど」
 私は、何も言えずに途方にくれて、立ちすくんだ。

 じゃあ地下鉄の駅に着いたからと言って電話を切った。まだ何か言いたそうに思えたが、私がこれ以上冷静に会話を続けることが出来そうもなかったので、正直にそう言って切った。次の約束はしなかった。
 なんでこんなに苛々するんだろう。
 理由は分かっている。私達は、最後までお互いの本心を明かさないまま、離れてしまったからだ。慧が何を考え、私がどう考え、前向きに友人関係を解消したわけではないからだ。・・・そうとしか思えない。
 あの頃の自分は、ただ幼かっただけだ。だから慧の気持ちを推し量ろうともせず、自分が傷付くのが怖いから向きあおうともせず、勝手に拗ねて逃げ出した。でも今は?大人として、相手を尊重出来ていただろうか。
 慧がわざわざ私を探してくれたのは、幼稚な私にチャンスを与えようとしてくれたのかもしれない。それを活かすも殺すも、今の私次第だ。

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