□ 十九歳 春①

文字数 7,944文字

 朝、目が覚めたら、まだ五時半だった。
 ここのところ、試験期間中だったからか、早起きが癖になっている。
 それでもこんなに早く目が覚めたのは初めてだ。
 どうしよう、もう一度眠ろうかな。
 でも、もう寝付けない気がした。身体もこれ以上眠りたくないと言っている。
「起きるかぁ」
 昨日は後期末試験の結果発表の日だった。まだ結果は見ていない。今から見に行けば、誰にも会わずに結果を確認できるだろう。
 始発電車は六時四分。今から準備しても間に合う。ちょうどいいから始発に乗ってみよう。
 普段時計がわりに見ている朝の情報番組はまだ始まってもいない。テレビを見ていると遅くなってしまう可能性があるから、テレビも見ずに、朝食も取らずに、身支度して部屋を飛び出した。
 外はまだ薄闇に包まれていた。日の出までは三十分くらい間があるはず。それでも空はだいぶ白んでいた。
 結構、寒いな。コートを羽織ってくれば良かった。部屋の中は暖かかったから、外がこんなに冷たいとは思っていなかった。もう三月なのに、まだパーカーだけではダメなんだなぁ。
 違うか、まだ日が射してないからだ。
 通り過ぎる道はどこも人気がなくひっそりと沈んでいた。皆、あまり朝が早くないんだろうか。犬の散歩をしている人すら、すれ違わない。私の足音が妙に大きく響いて、落ち着かない。
 思った通り、始発電車は誰もいなかった。客は私一人。これで採算が取れるのかな、などと余計な心配をしてしまう。それともこんな朝早くに下り電車に乗る物好きがいないだけなのかも。
 電車に揺られていると、ちょうど日が登ってくる方向に顔が向いていた。真正面から光が当たって、私は眩しくて何度も目を閉じなくてはいけなかった。
 しまった、あっちに座っておけば。
 それでも席を移動する気にはなれない。光を浴びていると浄化されるようで気持ちが良かった。

 通いなれた未舗装の道を歩いていると、だんだん妙に眠くなってきた。歩きながら、ちょっと頭がぼーっとして、このまま寝てしまえるような気になってきた。
 これも春のせいだろうか。それとも、やっと安全な実家に帰ることができるという安心感が頭をぼんやりさせているんだろうか。
 あ、そういえば、明日帰るって早く電話しないと。何も言わずに帰ったら、港に迎えに来てもらえなくなっちゃうじゃない。

 一年の掲示板の前に立つ。予想通り、落とした科目はない。そりゃそうだ、勉強しかしなかったんだから。これで落ちたら、もう医者になる資格がないということで、早々に諦めた方がよほどいいくらいだ。
 二度見して、間違いなく合格していることを確認して掲示板を離れた。掲示板の向かいに立つ建物に向かって歩く。
 この建物がそもそもの元凶だった。
 入学時ガイダンスのあった講義室のある建物だ。今なら新棟と呼ばれる大会議室ばっかりの建物だと分かる。ここまで来るにも、迷子にだってならない。
 新棟は外階段だ。階段の上がり口の脇に、大きな木が広く枝を広げている。大学のシンボルツリーの一本だ。
「あれ、もう咲いてる?」
 遠目に見ると真っ白に煙っているその木に近寄る。やっぱり、もう開花している。
 少し白っぽい花をつける桜の木だ。建物の一階部分よりよほど背が高いその木は、今、まさに盛りのようだった。
 周囲を見回す。桜の木はたくさん、呆れるほどたくさん植っている。それでも、花盛りを見せているのは、この木だけだ。
 ちょっとせっかちなのかな。
 桜は一斉に花を咲かせる、とどこかで聞いたことがある。ちょっとフライングして咲くことなどない、はず。
 変なの。仲間外れにされてるっぽい。……なんか、私みたいでイヤだな。
「あゆ」
 突然、声をかけられた。早朝で誰もいないと思い込んでいたから、一瞬桜が喋ったのかと思ったりした。
 振り返る。……思った通りの人がいた。
「おはよう」
 その人は小さな声で喋った。どうしてそんな小さい声? 誰かに聞かれたら困るから?
「まさか、ここであゆに会うとは思ってなかった……」
「……」
「もう、実家に帰ってるかな、と思ってた」
「……試験結果を確認してから……」
「見なくても結果分かってるでしょ、あゆなら……」
「……私は貴方じゃないから、確実ってわけじゃない……」
「……そう……」
 その人は、それっきり何も言わなくなった。
 いたたまれない。帰ろう。
「……じゃあ、失礼します」
 顔を背けるように歩き出したところで、次の声が降ってきた。
「待って」
「……」
 立ち止まるほど、バカじゃない。私は気付かない風を装って歩き続けた。
「待ってあゆ」
 立ち止まれない。立ち止まったら負けだと思う。
「待ってあゆ、お願い」
 ……うるさい。声が響いてるよ。
「あゆ、お願い、こっち向いて」
 ……ああ、足が動かなくなった。貴方のせいだよ。
「……何」
 その人は私の前に回り込んだ。その足先を私は見ていた。
「あゆ、どうして」
 その声が震えていることに気付いてしまった。気付かなきゃ良かった。そうしたら顔を上げたりしなかった。
「どうして……私に謝らせてくれないの」
「……」
 こんなに青ざめた顔をしているとは思わなかった。泣きそうな顔をしているなんて思ってなかった。……見なきゃ良かった。
「そんなに私がしたことって、悪いことだったの?」
「……悪いことじゃないと思うの? ……じゃあ、どうして進藤さん達に話しちゃったの? 私が傷つかないと思った? 私なら気にしないって思った? どうしてよりによって進藤さん達に話しちゃたの」
 自分で自分の声に興奮してくる。こんな感情、忘れていた。こんな風に、今でもこれほど悔しいと思っていたなんて、自分でも思っていなかった。
 さっちゃんは、私の顔をぼんやり見ている。初めは視線がどこか私の後ろの方に向かっていたのに、急に私の目にぴったりと合わせてきた。その目は大きく見開かれている。
「……何の話?」
「分からないんなら、いいよ。もう、気にしてないし。さっちゃんにはどうでもいいことだったんでしょう」
 これ以上喋っても無駄だ。やっぱり立ち止まってはいけなかった。最低だ。もう帰ろう、安全な場所へ。
 私は再び歩き始めた。彼女の隣をすり抜けたら、思いっきり早足になった。
「ちょっと待ってあゆ、話が読めないし、そもそもどうして今、美咲の名前が出たの? 何の話かわかんないんだって、あゆ、待って、逃げないで、言いっぱなしはずるいよ!」
「もう、関係ないでしょ! 先に私を切ったのはさっちゃんでしょ! よりによって進藤さん達なんかに、あんなこと」
 背中で叫びながら足はもう止めなかった。早くこの場を立ち去りたい。……でも走り去ることも出来なかった。
「うるさい! ちょっとあゆ待てってば!」
 さっちゃんが私を腕を掴んで引っ張った、その時、確かに私の全身に嬉しさが広がって、それが嫌で堪らなかった。
「……まだ、何か……」
「こっち向いて。お願いあゆ、私の話を聞いて……頼むよ」
 本当に私って大馬鹿だと思う。思うけれど、やっぱり振り向いてしまった。
 さっちゃんは見たことがないほど真剣な顔をしている。この顔を見るのは何ヶ月ぶりだろう。でも懐かしさは感じない、ついこの間のことみたいに思える。
「あゆ、ごめん、何の話か教えて?」
「言いたくない」
「……教えて」
「……もう、どうでもいいから……」
「あゆはそうかもしれないけど。私は、良くない……」
 私は最大限の勇気を振り絞って、さっちゃんの腕を振り払った。
「もう、どうでもいい。私はどうでもいいから」
 さっちゃんの表情は変わらなかった。厳しい表情のまま、私を逃さないと二つの瞳が言っている。
「あゆ……多分、私とあゆは全然違うことを、今、考えているんだろうと思う。私はあゆの言っていることがさっぱり分からないし、けど、あゆは私の話なんか聞きたくないんだろうと、それは分かってる。でも……今、ここであゆと別れたら、もう、二度とこんな機会はこない気がしてる」
「……」
「あゆが話したくないことは話さなくていいから。だから……私に、チャンスを下さい、お願い」
 懇願するように言われたら、私はさっさとさっちゃんを無視して帰ることが出来ただろう。でも、さっちゃんはただ、静かに、真摯に言った。だから私はすぐに動くことが出来なかった。
「……何を」
「この後、私にあゆの時間を下さい」
「いや、もう……実家に帰るから」
 本当は明日、帰るつもりだった。だけど今は一刻も早く実家に戻りたくてたまらなかった。これ以上、厚山にいること自体が苦しくて我慢できそうにない。
「じゃあ、私に三珠まで送らせて」
「……断る」
「お願いします」
 どうして急にこんな話をしなきゃならなくなったんだろう。私はこんな時間に試験結果を見に来たことを心から後悔した。
「……」
「……あゆ、さっき、あのサクラ、すっごく熱心に見てたね」
 さっちゃんは突然話を変えた。
「は?」
 思わず、反応してしまった。もしかしてさっちゃんの策略に引っ掛かったのか?
 彼女は満開の桜の木に視線を向けた。
「あのサクラ、エドヒガンっていうんだよ。ソメイヨシノより少しだけ早く開花するの」
「……詳しいね」
 訝しく思うが、つい気になって相槌を打ってしまう。その桜がどうした?
「うん、サクラにはちょっとした縁があって」
「……ふーん」
「ここは、まだソメイヨシノが咲いてないけど、もう南の方は咲いているんだよ」
「……へえ」
「一緒に見に行かない?」
「は?」
「三珠まで送ってくから、そのついでに」
「……」
 どうしてそんな話になったんだろう。そもそも……さっちゃんが私に気持ち悪いから近付くなって言ったんでしょう……意味が分からない。
 貴方が私を遠ざけたんでしょう。なのにどうして今になってこんな……歩み寄ってくるの。おかしいでしょう。
 ……それとも、私は今、白昼夢でも見ているのだろうか。
「いい、よね?」
「……はい」
 私は混乱した頭で一所懸命何かを考えようとしたが、結局何も考えが浮かばず真っ白な思考で首を縦に振った。

 そもそもどうしてこんな朝早くにさっちゃんが医学部キャンパスにいたのか。それすら謎だ。
「あゆのマンション、ここから曲がるんだっけ?」
「さあ……多分」
 さっちゃんの車に乗せられ、大人しく自宅マンションへ向かっている自分も謎だ。一体何をやってるんだろう。
 私は、さっちゃんに手酷く傷つけられて、怒ってたんじゃなかったっけ?
 ……いや、怒りたくても怒れなかったんだった。
「あれ、一方通行だけど」
「この二個先の十字を右に曲がるの」
「ああ、そう。ホント、道狭いね」
「……そうだね」
「あゆ、免許は取らないの?」
「……持ってる。後期、暇だったから」
「……そっか……」
 そんな風に黙り込むなら、そんなこと聞くなよ。だから、言わなくてもいいことまで喋ってしまう。
「車欲しいって言ったら、父親が、絶対ダメって。事故るからって。私もそう思うから、たぶん、一生ペーパーだと思う」
「そっか。ま、いいんじゃない、必要な時は……私が車出すし……」
 また、そんな曖昧に黙る。無理しなくていいのに、無理して社交辞令を絞り出さなくていいのに。
「ここ、ここで待ってて」
 マンションの裏手にある駐車場で止めてもらう。
「え? ここ?」
「正面エントランスはスーツケースをゴロゴロしてはダメなんだよ、そういうルールなの。タイルが割れるんだって。だから重いものを出すときは裏からなんだって。……前に怒られたの」
「……そう……面倒くさいね」
「そうでもないよ」
「じゃあ、待ってるから。慌てて準備しなくていいから、ゆっくりでいいからね」
「……いつまでも路上駐車してられないでしょ、すぐ戻るから」
 私はさっちゃんを置いて、自宅へ駆け戻った。
 一体全体、私は何をしているんだろう。どうしてあんな酷いことをした人と、普通に喋って普通に送ってもらおうとしているんだろう。有り得ないでしょ、どうかしてるでしょ、頭おかしくなったんじゃない私。
 どんなに自分を窘めてみても、体は自分の本心に正直だった。慌てて思いつくだけの物をスーツケースに放り込むと、忘れ物がないかなど考えもしないで、蓋を閉めた。気持ちが逸ってあちこちにぶつかりながら、スーツケースを無理矢理引っ張りながら走った。
「おま、たせ」
「はっや。どうしたの、あゆらしくなく早い」
「大体、準備してあったから」
 嘘だ。どうせ実家に帰るから、何か足りなくても困らないから、適当に物を詰めただけ。
「そうか、ま、そうだよね」
 さっちゃんはうなづいた。そしてトランクに軽いスーツケースを入れてくれて、私をまた助手席に押し込んだ。
「あゆ、ごめん、慌てさせたね」
「……」
 さっちゃんは真面目な顔つきで、改めて車を発車させた。

 車の中は、ずっと静かだった。ステレオからは不思議な曲調の洋楽が低く流れていて、私は全然歌詞が聞き取れないまま、ぼんやりとそれを聞いていた。
「……ねえ、どこに向かってるの?」
 土地勘のない方向音痴の私でも分かる。明らかに車は三珠港へは向かっていない。
 車窓の向こうには、何となく見覚えのある景色が流れていく。私は嫌な予感に動悸がしてきた。
「これって……」
「……寄り道するって言わなかった? 私」
「でも、こんな風に全然違うところに行くとも聞いてない」
「でも行かないとも言わなかった」
「それは……」
「どうせあゆのことだから、船のチケットは現地調達でしょ。時間は決まってないはず。そして最終は十一時半、まだ時間あるよね」
「……」
「あゆと、見たかったから」
「何を」
「……それは今は秘密。すぐ分かるよ」
 窓の外は、何となく見たことがある風景のような気がして仕方ない。あちこちの案内標識を睨みつけるように確認して、だんだん不安は確信になった。
「さっちゃん家の方だよね」
「そう、よく分かったね」
「どうして」
「……それは着いたら分かるから」
 それ以上、さっちゃんは何も言わなかった。私も何も聞かなかった。……何も聞けなかった。
 さっちゃんの真意がわからなかった。行き先がさっちゃんの実家なのも不審だけれど、それ以上に、どうして私を嫌っていたはずのさっちゃんが私を車に乗せて実家に行くのか分からない。
 ……正直なところ、少しずつ私は分かり始めていた。初めは勘違いだと自分を何度も叱り飛ばしたけれど、やっぱり勘違いじゃない気がした。
 さっちゃんは、進藤さんに何も……そう、私がしでかしたことなんか、話していないんじゃないか、と思えた。
 本当に私が気持ち悪いのであれば、こうして車内で二人っきりでいることも嫌なはずだし、そもそも目的地が自分の実家のはずがない。……それとも、どこか山奥で私を殺すつもりか?そんなコトあるわけがない。
 さっちゃんが何を考えているのかは今でもよく分からない。でも、少なくとも、進藤さんが言っていたような、あんな酷い言葉を、さっちゃんが言ったとは、もう思えなくなっていた。
 車はさっちゃんの実家へと向かう道を逸れた。方向音痴の私でもそれがわかったのは、大きな佐倉農園の看板とは反対に曲がったからだ。
 どこに行くんだ?
 車はどんどん山道を上がっていく。道はすでに舗装されていない細い道へと変わっていて、両脇に迫る木々がぶつかりそうで怖いくらいだった。
 道は急角度に変わった。明らかに地元民、それも限られた人間しか知らないし、通らない危ない道に入っていった。私はだんだん怖くなって来て、口を開くことも出来なくなっていた。
 やっぱり山で……。
 突然、少し開けた場所に出た。隣には大きな山小屋風の建物がある。古めかしいけれど手入れは行き届いているようだ。
「ここ?」
「そう」
 広場に車を停めて、さっちゃんは私を降りるよう促した。私はおそるおそる外に出ると、さっちゃんは堂々と山小屋へ近づき、鍵を開けた。
「あゆ、こっち」
 私はさっちゃんの後について、中に入った。
「うわーーーーー」
 玄関に入ってすぐにさっちゃんの意図が理解できた。玄関の目の前には大きなはめごろし窓があり、その向こうには山の斜面が見えた。その一面が桜、桜、桜……。
 靴を脱ぎ散らして私は慌ててその窓に張り付いた。
「デッキに出ようか。大丈夫、休みの時に、チェックしてあるし、補修もしてもらったから」
 中空に突き出しているような感覚だった。デッキからは周辺の山が一望できる。
 足元に広がる桜の絨毯は、本当に言葉がでないほど美しかった。
「ここ、元々は祖父母の家だったんだ。今でも時々親が二人を連れてくるから、まめに片付けているみたい」
「? お祖父さん達はどこに?」
「厚山の老人ホームにいるよ。まだ頭は元気なんだけど、じいちゃんは足が悪くて。だから夫婦でさっさと厚山にね、移ったの。うちは、こういう稼業でしょう、邪魔になると思ったのかもね。ま、超高級老人ホームだから、いいのかもしれないけど、第二の人生的な感じで」
 相変わらず、とんでもないお嬢さんぶりをさらっと話す。この人、本当に……どうして人に妬まれないんだろう……。
「何、変な顔して」
「いや……相変わらず庶民とは別次元の話だし……」
「こんな話、あゆにしかしないよ。……ああ、別にあゆがお嬢さんだからじゃないよ、……何なら……ま、いいか……」
「何」
「……別に」
 何を言いたいのか全然分からなかったが、それ以上は聞かなかった。あまりに美しい光景に、頭の中まで桜色に染まっていた。
「それにしても、こんなに桜が綺麗に植っていたら、観光地になるよね?」
「そうだね、だから麓の方は、今頃、ものすごい人でいっぱいじゃないかな」
「なんか、私達だけ、ずるいみたい」
「まあ……地権者の特権でしょ……」
「え? この辺の山、全部、佐倉家のものなの?!」
「……驚くようなこと?」
「驚きますて、そりゃ」
「田舎の山だよ」
「……」
 何となく、宇佐美さんの気持ちが分かった気がする。これは、とんでもない玉の輿だ、と思っても仕方ない。
 ふと思った。どうしてこの人は、わざわざ医学部なんかに来たんだろう。……お金なら、一生困らないくらいあるだろうし、そもそも家業を継がなくていいんだろうか。
 桜ははらはらと風に揺すられて散っている。ふわふわと風に乗った花びらが、ゆっくりと山を下っていくのを、私はぼーっと眺めていた。
 どんどん、現実感が失われていく。自分一人がこの音のない世界に取り残されてしまったみたい。隣にさっちゃんがいることも、次第に忘れそうになっていた。
 唐突にさっちゃんがデッキの手すりを揺すった。揺れてびっくりして、目が覚めた。
 文句の一つも言おうと思ってさっちゃんを見上げると、真っ直ぐ私を見ている目とぶつかった。
「あゆ……あゆが私を……友達だと思ってくれるなら、もう一度友達になってくれるなら……このサクラ、全部、あゆにあげる」
「え?」
「……あゆが、私といてくれるなら、何でもあげる」
「……」
 冗談に決まっているのに、さっちゃんの顔は笑っていなかった。何を言っているの? ……さっちゃんどうしちゃったの?
「……来年も連れて来てくれるってこと?」
「あゆが私の……友達でいてくれたら」
「じゃあ、来年もまた、見たいな」
「……うん」
 強い風が吹いた。花びらが大きく巻き上がって私たちのいるデッキに吹き付けた。
 花びらに襲われて、思わず目を閉じた。
 ……私はあゆさえいればいい。そんな声が聞こえた気がした。
「え?」
 絶対空耳に決まってる。私の願望を桜が聞かせたに決まってる。……絶対、聞き間違い、そうに決まってる。
 私は手すりをぎゅっと握りしめて、ただ桜の波を見ていた。
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