お題【黒羽 蛍に何があったのか】

文字数 1,801文字

「実は初恋だったんだ」
 何人かが「俺もだよ」と続く。
 僕もそうだよ、と心の中で相槌を打つ。
「うっそ。男子の半分以上そうじゃない!」
 驚きの声をあげた女子は、直後に「でも、わかるわぁ。黒羽さんだもん」とため息をつく。
 同窓会の参加者は二十九人、それだけ居て異を唱える者がいないくらい黒羽蛍は確かに美しかった。
「でもさ、卒業アルバムに写真ないんだよね」
「それな! 当時使っていた携帯、まだ取ってあるんだけど、全部の写真見返してもどこにも映ってないの!」
「卒業アルバムから消さなきゃいけないくらいヤバい背景あったのかな、あの失踪」
 切ないため息を幾つか経て、誰かが呟く。
「逢いたいなぁ、蛍ちゃん」
「逢いたい逢いたい」
「俺も」
「私だって」
 再び、場が賑わい始める。
 どうして写真が一枚も残っていないのか、そして失踪の理由は何なのか。
 このとびきり上等で心が揺さぶられる肴で皆が盛り上がる中、僕は静かに席を立った。
「おい、もう帰るのかよ」
「すまない。月曜日の授業の準備しなきゃなんだ」
「明日は日曜だし、明日やれば……ってわけにもいかないのか。大変だな、教師ってのは」
「すまない」
「いいって。次は十年後とかじゃなくさ、毎年やろうぜ」
「いいね!」
「賛成!」
 僕の返事が周囲の賛同に呑まれて消える。
 次回の幹事選びに再び白熱し始めた彼らを尻目に僕も店から消えた。
 本当は、月曜日の授業の準備などとっくに終わらせてある。
 僕はただ、心苦しかったのだ。黒羽蛍の話題に興じる同級生たちに対して。
 皆ごめんな、と心の中で謝ってから駅へと急ぐ。



 地元の駅を降りると、雨が降っていた。
 予報では雪だったけど――雪という言葉でまた黒羽蛍のことを思い出す。
 透き通るようなあの白い肌には、見つめるだけで冷たさを感じた。
 その認識は僕だけではなかったようで、彼女が教室の窓枠に寄りかかり校庭を眺める様を見て「蛍の光、窓の雪」とおどけた友人が居た。
 僕だけの印象ではなかったんだな、というそのときの嬉しいような悔しいような複雑な想いを今でも忘れない。
 それに、それがきっかけだった。
 僕と黒羽蛍との、恐らく他の誰にも気づかれていない二人だけの秘密の。

 その友人も黒羽蛍に惚れていた一人だった。
 彼は彼なりに面白いことを言って彼女へのアプローチとしたかったのだろう。
 だがあれだけ蛍、蛍、と煩かった彼が、その日以降、パッタリと蛍のほの字すら口にしなくなった。
 不思議なことに、彼には黒羽蛍のことが見えていないようだったのだ。
 それとなく彼に話しかけてみたことがある。
 彼は彼女のことを「転校した」と思い込んでいた。
 その答えを聞いた僕はそれ以上、話を広げることなく切り上げた。
 黒羽蛍へと抱く価値観が再び僕だけのものになった気がして。

 その後も僕は観察と沈黙とを続け、自分の中で組み立てた仮説を検証する機会にはなかなか恵まれないまま、あの日を迎えた。
 卒業式。
 今でも覚えている。
 級友たちと共に体育館で整列していた黒羽蛍の後ろ姿を。
 そして皆が歌う。僕以外の皆が、蛍の光を。

 誰かが最初に気付いたのは教室に戻ってから。
 黒羽蛍が居ないと。
 今もそこに一緒に居るのに、僕以外の誰もが気づいていないようだった。
 理由こそはわからないものの、蛍の光を歌うと黒羽蛍のことが見えなくなるのは仮説通り――でも、それがわかった所で、僕も卒業するしかなかった。
 僕だけは黒羽蛍に声をかけた。
「またね」
 黒羽蛍は不思議そうな表情で僕を見つめた。

 次に黒羽蛍を見たのは、ほぼ四年後。
 気持ちを学校に置いてきてしまっていた僕が何の気なしに選んだ教職の実習で。
 僕が担当したクラスは当時、僕が三年のときに使っていた教室。その片隅に黒羽蛍は佇んでいた。
 彼女は僕のことを覚えていた。
 少し驚いた表情で、それからはにかむように微笑んだ。
 初めて見た黒羽蛍の笑顔だった。
 最高の気分だった。

 僕はあらゆるコネと努力とを駆使してなんとか母校に勤めた。
 そしてとうとう黒羽蛍の担任になった。
 卒業式に毎年忘れられてしまう永遠の三年生。
 刻の牢獄の中にのみ存在する薄幸の美少女。
 触れることすら叶わない人外の存在。
 あの日歌わなかった僕だけが、再会し続けられる黒羽蛍。
 彼女が何者なのかはどうでもいい。
 僕だけの宝物。
 月曜にはまた君を指すよ。だから美しい声で答えて。



<終>
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