お題【坊さんのなれの果て】

文字数 2,223文字

 小学生の頃、関西の中心から転校生が来た。
 関東とはいえ端っこの方の僕らにとっては、関西への対抗心なんてものはまるでなく、むしろ好奇心のみで彼に相対し、彼の生まれ育った文化と、自分たちの文化との差異とを、根掘り葉掘り聞きまくって楽しんでいた。
 その中でも強く印象に残っているのは「だるまさんがころんだ」だ。
 彼の地元では「坊さんが屁をこいた」なのだという。僕らは早速、彼の地元バージョン「坊さんが屁をこいた」で遊んだ。

 遊び始めてすぐ、彼の強さに僕らは驚愕した。
 彼は「坊さんが屁をこいた」と言う時、尻をぷりっと動かすのだ。しかもあろうことか彼は坊主頭。
 たまらなかった。
 笑いをこらえられた者は一人として居らず、何度やっても彼の一人勝ちで終わるのだ。

 僕らの間に、坊さん禁止令が出された。

 彼が僕らのクラスに馴染みきった頃、関西の端っこの方からもう一人転校生が来た。
 今度は女の子で、彼とは対照的に大人しい子だった。
 僕らはすぐ彼女に親しみを覚え、またもやみんなで質問責めにしたのだ。

「ねぇ、キシヤさんとこもやっぱり坊さんが屁をこくの?」

 誰かが彼女に質問した。彼女は少し黙ってから、通らない声でボソリと言った。

「うちの地元では、それはやったらいけない遊びって言われていた」

「ミハラ君みたいな人が尻をぷりってやるから?」

 お調子者がミハラ君の真似をして尻をぷりっと動かす。

「わからない。でも、やっちゃいけない遊びなのに、遊びに使う言葉はちゃんと引き継がれてるのは、変だなって、うちも思ったことある」

「どんな?」

「うちの地元では、坊さんのなれの果て、と言うの」

「それさ、いけないのってその地元では、ってことでしょ? こっちだったら大丈夫じゃない? すごい遠く離れているし」

 はじめのうちは彼女もためらっていたが、誰かが「一緒にやれば早く仲良くなれるよ」と言った時、しぶしぶ肯き、「坊さんのなれの果て」は決行されることになった。
 しかも普通にやればいいのに、近所のお寺の境内でやろうなんていう罰当たり案がいつの間にか強行採決されていた。

 次の日曜日。
 僕らは昼過ぎに、学校から一番近いお寺の境内に集まった。
 ルールを確認して「坊さんのなれの果て」を始める。

 初めのうちは妙な罪悪感のようなものがあって、皆ぎこちなかったが、ミハラ君が尻ぷりを解禁したあたりから熱が入り、お寺の境内に「坊さんのなれの果て」は百回以上連呼された。

「見て。すごい空」

 誰かがそう言って指差した空は、血のように濃い紅に染め上げられていた。

「やべー。帰らないと」

 僕らは慌てて寺の入り口へと走った。
 寺の入り口では、住職さんらしきおじいさんが箒で掃き掃除をしている。
 僕らはその横を、おじいさんに頭を下げながら順番に通過し、門を出た。

「住職さん、怖い顔してたよね」

「オレ、目なんか合わせてねーよ」

「怒ってたのかな」

「あれ? キシヤさんは?」

 お寺の入り口でキョロキョロしていると、誰かが彼女を見つけた。

「まだ、お寺の境内に居るよ」

 彼女だけ、お寺の境内に残っている。そして何かびっくりしたような顔で僕らを見つめている。

「あたし、連れてくる」

「あたしも」

 数名の女子が彼女のもとへと走り寄る。
 何かを話した直後、キシヤさんが突然泣きだした。僕らは慌てて彼女の近くに全員集合した。

「どうしたの?」

 キシヤさんを迎えに行った女子たちに、僕は尋ねた。

「なんかね、キシヤさん、勘違いしているみたいで」

 その言葉に反応したのか、キシヤさんはさらに激しく泣く。

「勘違いってなにが?」

 誰かがさらに尋ねると、だんだんと事情が分かってきた。
 彼女らはキシヤさんに「どうしたの? 帰ろうよ」と言ったら、キシヤさんは「どうして」と聞き返す。さらに「今、来たばっかりなのに」と言うから、彼女らは「そのギャグ面白くないよ。ほら、空だってあんなに真っ赤なのに」と返したそうだ。
 そしたら泣き出したという。

「そんな泣いてたら、さっきの怖い住職さん、来て怒り出すんじゃないの?」

 誰かがそう言った途端、キシヤさんはピタっと泣き止んだ。
 そして黙ったまま空を指差す。
 僕はうながされるまま空を見上げた。

 雲がかけらもない快晴中の快晴だった。

 誰かが時計を確認すると、集合してからまだ三分と経っていない。

「あ、住職さん、居なくなってる」

 僕らはその後、無言で寺の入り口へと向かう。
 いや、一言だけ、キシヤさんを最初に迎えに行ったナカさんがキシヤさんと手をつなぎながら「キシヤさん、ごめんね」とだけ言ったかな。

 寺の入り口を出るとき、もう一度空を見上げた。
 間違いなく明るい。
 僕らはどこで遊んでいたのだろう。
 ちゃんと帰ってきているのか、それともここもまだ違う世界なのか、このキシヤさんは本当のキシヤさんなんだろうか、この入り口をくぐっても大丈夫なのだろうか。
 自分の中から出て来た不安の重りが僕の体にペタペタとひっついて、足がどんどん重くなる。

「早く出ようぜ」

 誰かに背中を押されて、僕はあっさりと寺の外へ出た……出られたのかな。
 今は、世の中の全てが疑わしくてならない。



<終>
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