お題【とまれ】

文字数 2,195文字

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

 さっきから耳もとで小さく音が聞こえている。耳鳴りなんかじゃない、子どもの甲高い声。その声を聞きながら私は走っていた……この広い森の中を……どこへ。そう、どこへ行けばよいかも分からずに。

「あ゛あ゛あ……」

 あ、とまらなきゃ! 私はぐっと大地を踏みしめて立ち止まり、その場に動かぬよう構えて耐えた。

「ルムァザゴンダッ」

 息を殺してじっと待つ。背中をつたう汗ですら私を脅かそうとする罠に感じる……やがてまた声が始まる。

「だぁぁぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

 いまのうちだ。私は必死に走り出す。足にまとわり付く下草を避けながら、道なき道をひた走って。

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

 そして、おもむろに目の前が開ける。今度こそ。

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ……」

 なんとか声が止まる前にやぶを抜けられた。すぐに立ち止まって、しゃがんだのは足がガクガクいってて動きそうだったから。両手も地面について身構える。

「ルムァザゴンダッ」

 息を殺して次の声が始まるのを待つ。こんなことをさっきから何十回繰り返しただろうか。

「だぁぁぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛」

 また始まった。でも私は動けなかった。視界に、すぐ目の前に、りっちゃんの足の裏が見えてしまったから。りっちゃんだけじゃない、としくんも、だいきも、みんな倒れたまんま。
 え、もう私だけ? 私が最後?

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

 涙でにじんでぼやける両目をぐっと見開いて、私は辺りを見回す。この声、本当にどこから聞こえてくるのか。それが分からないと……。

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

 立ち上がる気力もほとんど残ってない。だってどこに逃げても一緒だもん。どこへ逃げても、どんなにここからまっすぐ離れて行っても、必ずこの神社の境内へと戻ってきてしまう。本当にどうしたらいいの?

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ……」

 もう、どうでもよくなってきた。私も……みんなと同じようになっちゃったほうが楽になれるかも……。

「ルムァザゴンダッ」

 涙がどんどんあふれだす。誰かがアイツに触らないと帰れないのに。みんな捕まっちゃって私が最後なのに。私がみんなを助けないといけないのに。涙が止まらない……涙だけじゃなく喉の奥からふるえてくる。なんでこんなことしてるんだろう。誰か助けて。もう嫌だ。もう……「嫌だ」と叫びそうになった私の口を、誰かがおさえた。

「おねえちゃん、だめ」

 誰かの声が聞こえた。おねえちゃん? 私のこと? でも、見えない。あの声とは違う、可愛い女の子の声。

「わたしがみがわりになるから、そのあいだにみんなにタッチして」

「だぁぁぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……ミヅゲタ」

 そのあいだにって、もしかして今?
 私は急いでりっちゃんの足に、それからだいきの手にもタッチした。としくんの所はちょっと遠いなって思ったとき、耳元で女の子の叫び声が聞こえた。

「ギョウワオジマイ」


  
「いちこちゃん! いちこちゃん!」

 私が目を覚ますと、りっちゃんが私をゆさぶっていた。私の横にはだいきもいた。

「あれ、私……」

「かくれんぼでさー、全然探しに来ないから見に来たら鬼なのに寝てたんだよ?」

「かくれんぼ? 鬼? 私……?」

「もう、いちこちゃんったら! じゃあ次は何する?」

「オレ、ドロケイがいい! ドロケイする人、このゆびとまれ!」

「……だいきってば、三人じゃドロケイにならないじゃない」

「あれ? だって昨日もドロケイしたよ……しなかったかな」

「だるまさんがころんだしてなかった?」

「うーん……そういやしてたような気がする」

 りっちゃんと、だいきの話を聞いていて、私の中に突然、ひとりの女の子の顔が浮かんだ。知らない子なのに、不思議なくらい懐かしくて、そして悲しくて、寂しくて。

「いちこちゃん、泣いてるの?」

「え、あ、ヘンだよね……ごめんね」

「ううん。あたしもさ、ここで遊んでいると急に悲しくなることあるんだ。理由は分からないけれど」

「なあ、今日はもう帰らねぇ?」

 私は涙を拭いて立ち上がる。私も帰ろう……でも、何か……忘れているような。

「いちこちゃん、なに探してるの?」

「わかんない。でも、なんかとっても大事なものだった気がする」

「明日、また探しに来たらいいじゃん」

「……そうだね」

「な、明日はやっぱりドロケイしたいから、ひろくん誘おうぜ」

「それ、賛成!」

 りっちゃんとだいきは盛り上がっているけれど、私は全然、そんな気持ちになれなかった。

「私、明日は来ない」

「どうして?」

 理由はうまく説明できないんだけれど、さっきまで思い出せていた女の子の顔が、急に思い出せなくなったから。
 ここではもう、大事なモノは二度と見つからない、そんな気がしてしまったから。



<終>
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