お題【アンラッキー7】

文字数 2,445文字

 幾つもの屍を乗り越えてここまで来た。
 あれだけいた仲間も次々と倒れ、残るは俺一人。
 人類の存亡が俺にかかっているというプレッシャーが苦――いや案外悪かねぇ。
 なんとしてでもこのトラップを解除して先へ進まなくては――緊張に濡れた手のひらを、迷彩服のまだ血に(まみ)れていないところで拭い、再びバーを握る。
 目の前には三つのリールが並んだスロットマシーン。
 大きく深呼吸をして、バーを引いた。

 凄まじい勢いで回転し始めたリールが次第に速度を落としてゆく。
 一番左は……7!
 次も……7!
 最後は……7!
「くそったれ! アンラッキー7じゃねぇか!」
 怒鳴りつけながら叩いたスロット台がジャラジャラと金色のコインを吐き出す向こうで、厳かに扉が開く――俺の意識もちゃんとある。
 ここが例のお花畑とやらでないのならば――俺はスロットとコインの山を踏み越えて、俺は扉を抜けた。



 発端は、とあるAIを創るプロジェクトだった。
 感情の研究をしていたチームが、ネガティヴ感情の脳波パターン検出と、それらを緩和する脳内麻薬を分泌させる電気信号とを特定し、検出と分泌に関わる電気信号を照射するプログラムを開発した。
 鬱病治療の可能性が期待されて研究が進められ、スマホアプリ化された頃には電気信号の照射範囲も半径三メートルまで広がっていた。
 ネガティヴなことを考えても自然とリラックスした気分へと変わる。
 そればかりか人類から諍いそのものを取り除くことまでできる。
 素晴らしい効果は多くの人に受け入れられ――まだ電子麻薬とは呼ばれる前の――「Ragnarok」は凄まじい勢いで世界を席捲した。
 Ragnarokは急激にバージョンアップを繰り返して照射範囲をさらに広げ、多くのSNSにも一機能として搭載され、世界は平和に近づいた――ように見えた。

 人間の脳には「慣れる」という機能がある。
 脳内麻薬の分泌量はどんどん増やされた結果、誰かを呪ったり傷つけようとしただけで「幸福」になってしまうようになった。
 幸福というと聞こえはいいが、要は脳内お花畑。
 永遠に覚めない幸せな幻覚の中へと堕ちる。
 第三者の介護がなければ、寝たきりのまま栄養失調で死亡する。
 他人の犠牲を厭わず自らの欲望に忠実な者や、すぐに暴力で解決しようとする者、人を騙して利益を得ようとする者、自らの過ちを指摘する者は全員敵だと考える者などが次々とお花畑へと逝った。
 ある意味、世界はさらに平和にはなったのだが、政治も経済も指導的な立場に居た者たちが次々と「幸福」へと旅立ち、大混乱となった。

 さらにこの事態を重く見たRagnarok開発者が慌てて修正しようとしたのだが、慌てていたがために起こした修正ミスにより、人類はさらなる脅威にさらされた。
 ポジティブな言葉を発した者たちまでもが次々と「幸福」へと旅立つようになってしまったのだ。
 誰かを祝福したり、愛したり、喜びをわかちあったり、感謝したりした者たち、その熱量が多ければ多いほど速やかに「お花畑」へと迎え入れられた。
 人類の多くは夢を見ないで済む眠り――「冬眠」へと逃げ込んだ。

 残されたのは中庸の人々。
 誰かを呪うことも祝うこともなく、熱しすぎず適度に適当に生きていただけ。
 そんな人々の一人が、Ragnarokの影響が及ばぬ方法を見つけ出した。
 それは、言霊に頼ること。
 人は突然遭遇した出来事に対して、とっさに反応してしまう。
 犬のフンを踏んだときは「クソ!」、臨時収入があったときは「ラッキー!」、ついついそんな想いが滲み出てきてしまう。
 しかし何らかの事態に遭遇したとき、その感想と真逆の言葉を発することで、脳内麻薬の分泌を限りなく抑え、乗り切ることができたのだ。
 そうやってなんとか生き延びた人々はいつしか自然と集まり、考えるようになった。
 人類の現在の社会生活を支えるにはあまりにも人数が減りすぎた。
 せめて冬眠した人々が目覚めても大丈夫な環境を整えるために、Ragnarokの本体を止めようだなんて思っていないんだからね、と。



「嬉しいな、このケーキ、腐ってやがる」

 スロットの後さらに幾つかの関門を越え、喜びに舌打ちし、恐怖を楽しみ、痛みを喜び、幸運に感謝なんかしないんだからねと、とうとう最後の扉を抜けた。
 ケーキの状態でご推察な通り、Ragnarok本体のそばに立てこもっていた主任研究者はすでにミイラ化していた。
 おそらく楽園堕ちの果てだろう。
 Ragnarokの搭載されたサーバーを正副ともに電源を落として破壊する。
 あまりにもあっけなく、人類の楽園は永遠の向こうへと消えた。
 主任研究者のポケットに入っていた黒革の手帳を見ると、Ragnarokの例の修正ミスは事故ではなく、彼が意図的に施したものだとわかった。

『9月1日 性格の良い連中は、楽園堕ちした悪党ですら救おうとするだろう。それでは意味がない。本当に人類が救われるためには、癌は切除されるべきなのだ。そのためには……』
『9月17日 実験は成功だ。善人が次々と堕ちてゆく。彼らには申し訳ないが、必要な悪もあるのだ』
『11月29日 冬眠装置には数に限りがある。人類は本当に残すべき善人を優先的に冬眠させてゆくだろう。それを横取りするような自己中な人間どもはもうとっくに楽園に逝ってしまったのだから』
『12月30日 やったー! 見ろ! 世界を! 俺はやったぞ! 人類の未来を救ったのだ! どうだ人類!』
『1月2日 馬鹿な。どうして楽園が俺を』

「ここでこいつも堕ちたのか」

 こんな空気のいいところにいつまでもいたくはないが、そろそろ故郷のマズいメシでも食いたいな。
 楽園に堕ちて間もない仲間を起こしながら、幾度となく「感謝なんかしてないんだからねっ」を聞き流し、俺たちは隠し研究所を出た。
 見上げた空がやけに蒼い。

「きったねぇ空だな」

 楽園とはほど遠い人生が俺たちを待っているかと思うと、なんだかとっても面倒くせぇ。



<終>
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