お題【廃棄】

文字数 2,705文字

「お兄さん、最近引っ越してきた人?」
 ゴミ捨て場で呼び止められた。
 見るからに近所のオバサン。
「ゴミ袋、廃棄って書かないと持ってかれるわよ」
 何言ってるんだ? というのが最初の感想だった。
 ゴミなんだから、持っていかれるのが普通だろうし、持っていかれないと逆に困るんだけど。
「あー、もう。ほら、これあげるから。急いで書いちゃいなさいよ」
 オバサンは俺に太字の油性ペンを差し出す。
 とにかく廃棄って書かないといけないルールなのかな?
 俺はペンを受け取り、ゴミ袋に廃棄と書こうとして、ちょっと不安になった。
 廃棄という漢字は知ってるし、読める。
 ただ、ソラで書けるかと言われると、ちょっと怪しい。
 特に後ろの文字の方、うろ覚えで。
 スマホを取り出して漢字を調べようとしたら、オバサンが凄まじい形相で怒り出した。
「しまって! 早くしまって! ゴミ捨て場近くで撮影できるやつは絶対にダメッ! 外から見えない場所にしまうのッ!」
 そのあまりにもの剣幕に、俺は急いでスマホをしまった。
「字が不安だったら、他のゴミ袋を見て」
 そう言われてから見ると、確かにどのゴミ袋にも大きく「廃棄」と書いてある。
 なるほど。「棄」はこうか。
 真似して大きく書いて、それからようやくゴミを捨てることができた。
「あの、ありがとうございました」
 状況はまだ把握できていなかったが、念のためお礼を言いつつ油性ペンを返そうとしたら、オバサンはようやく表情を和らげた。
「いいわよ。それ、お兄さんにあげるわ。引っ越してきたばかりなら、ゴミもたくさん出るでしょう?」
「すみません……」
「いいって。私だってああいうの見たくないからね」
 ああいうの?
「あと、毎回書くの面倒だって人は、廃棄シール作って売っている人がいるからそれを買うのも手よ。もちろん若い人ならパソコンとかでチャチャチャーって自作できるかもだけど、でも糊付けはしっかりね。剥がれたらアウトだから」
 アウトって――と俺が異様な雰囲気に呑まれているうちに、オバサンは颯爽と立ち去った。



 数日後、ようやく、俺も見た。
 そして理解した。
 地域住民があんなにも怯えている謎の相手について。
 軽トラくらいある巨大なヤドカリが平気でそこいらを歩いていたのだ。
 しかもその背中には山のようなゴミがまるで貝殻のように積み上がっている。ゴミの殻。
 ゴミヤドカリはゴミ捨て場の前で止まると、「廃棄」と書かれていないゴミ袋を巨大なハサミで破り、中のゴミを器用につまんでは自分の殻へと貼り付け始めた。
 そのゴミのチョイスがまたエグい。
 DMなどの住所氏名がわかるもの、穴の空いた下着や使用済み生理用品、とにかく絶対に人に見られたくないようなゴミばかりを内側から引きずり出してきては殻の表面へと貼り付けている。
 そして残りは、両のハサミで持ち上げて――どこへ持ち去るのか、と思いきや、近くのアパートに停めてあった自転車の上へとぶちまけた。
「臭いで捨てた人を特定できるみたいなのよ」
 いつの間にかあのオバサンが横に立っていた。
「えっ、そうなんですかっ!」
「私としたことが、注意し損ねたわ。あのゴミからすると女の子ね。酷い目に遭わないうちに早くこの町を出たほうがいいわね」
 町を出る?
 そこまで?
 しかもあの状態以上の酷い目って?
「そもそも、アレって何なんですか? 駆除とか」
「しっ! それ以上は言っちゃダメ!」
 慌てて口をつぐむ。
「ヤドカリ神さんが何なのかは誰にもわからないの。廃棄って書かずにゴミを捨てようとしたり、撮影しようとしたり、攻撃しようとすると捕まえられて、最低でも数日間はあのゴミの殻に埋もれさせられちゃうの。酷いわよ。身動きできないらしいから。で、皆にずっとジロジロ見られ続けるの」
 埋もれさせられちゃう?
 最低でも数日間?
 しかも駆除とか言うだけでもヤバいのか。
「町外れに、昔、よその場所からやたらと不法投棄されていた場所があるんだけどね。そこに棄てに来てた闇業者がこないだ捕まって殻に貼り付けられたのよ。だからある意味、守り神でもあるの。触らぬ神に祟りなしってやつね」
 オバサンはまた、自由に喋り散らかすと自分の家へと帰っていった。



 それから数ヶ月。
 慣れてしまえば案外気にならなくなるものだ。
 廃棄と書いておきさえすれば、ヤドカリ神さんは手を出さない。
 ヤドカリ神さんのおかげで町は綺麗だし、今では俺もヤドカリ神さんを見かけるたび両手を合わせて一礼するようにもなった。

 そんなある日の夜、久々に酔っ払っての帰路。
 リュックの中でスマホが鳴った。
 酔っ払ってなかったらきっと気付けたと思うのだが、俺はうっかりスマホを取り出して、着信に応答しようとしてしまった――そこで気付いたのだ。
 この場所がゴミ捨て場であることと、それから闇の中にヤドカリ神さんが密かにたたずんでいたことに。
 ヤドカリ神さんがそのハサミをチャキチャキ言わせながら俺へと伸ばしてくる――ヤバい! どうにかして――慌てる俺の手が、ふとポケットの中の油性ペンに触れた。
 オバサンからもらった油性ペン。
 俺はとっさに「廃棄」と書いた。自分の腕に。
 ヤドカリ神さんのハサミは、俺に届く寸前でピタリと止まる。
 そして闇の中へと静かに去っていった。
 ホッと胸を撫で下ろす。
 危機一髪だった。
 でもこれで帰れる――そう思って歩き出した俺を、何かが持ち上げた。
「そうか。君は廃棄でいいのか」
 ヤドカリ神さんじゃない誰かの声は、ヤドカリ神さんの殻よりも、電信柱よりも遥かに高いところから聞こえてきた。
 廃棄でいいのか、ってどういう――俺がパニック状態なことにはおかまいなしで、俺はどこかへ運ばれる。
 まさかこれ、オバサンが言っていた「拾う神さん」ってやつか?
 初めて見る、というか俺はゴミじゃない!
 「廃棄」の字を慌てて消そうとするが、そこは油性ペン。消える気配がない。
 唾をつけて必死にこすりまくる。
 やがて皮膚が赤くなり、それでもなおこすり続けたら皮が破れて出血した。
「なんだ。違うのか」
 俺をつかんでいた何か――恐らく拾う神さんが俺を離す。
 三メートルくらいの高さから急に落とされ、アスファルトに腰を強く打ち付けた。
 激痛で動けない。
 でも、どこかへ連れてかれずに済んだという安心感で、心の中はホッとしていた。
 周囲にゴミ捨て場がないかを確認してから、そして拾う神さんの姿が見えなくなったことも確認して、俺はスマホを取り出し、救急車を呼んだ。
 そういや清掃車を全く見ないなとは思っていたんだ。まさか、あんなすごいのがゴミを片付けていたとは。



<終>
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み