お題【玄関に立つ赤い人影】
文字数 2,699文字
忘年会シーズンはやたらと酔っ払いが多い。
今、俺の隣でしきりに「飲み直そうぜ」を連発している同僚の谷口も、そんな酔っ払いの一人だ。
終電を逃して帰れなくなった谷口を、まだ電車があった俺の家に泊めることになり、こうして駅から俺のアパートまでの夜道を歩いているのだが……こいつがまあ真っ直ぐ歩かない。
「ごくろうさん!」
谷口がまた立ち止まり、大きな声を挙げた。
「おい谷口! 夜中だぞ。近所迷惑だからやめろって!」
出来るだけ小さな声で怒鳴っているせいか、どうにも谷口の耳に届いている気がしない。
「見ろよぉ、あれ! この寒い夜中に、玄関前待機ですよぉ。お父さんサンタも大変ですよねぇ!」
谷口が指差す方向を見ると、一軒家の玄関前に、確かに赤い人影が立っている……のを見た瞬間、悪寒に首を絞められたかのような息苦しい寒気を感じた。
冬の夜の冷気よりももっと深く、芯まで響く寒さを。
その赤い人影は、白い袋を持つでもなく、帽子を被るどころかスキンヘッドで、太っていて、絵の具で塗ったのかと思うほど真っ赤な肌で、しかも頭だけじゃなく全身赤いんだ。
ここから見える限り、何も着ていないように見える。
この真冬に、だよ。
しかもクリスマスって一週間以上先だろ?
「ごくろうさーん!」
谷口はご機嫌なまま、その赤い人影へ近づいていく。
俺は止めようとしたが、金縛りに遭ったみたいに体を動かせないことに気づく。
アレはヤバい。
絶対にヤバい。
そう声に出したいのだが、声も出せない。
本当に金縛りか。
立ったままでか。
開きかけていた口から喉の奥へ、冷たい空気がじわじわ凍みてくる。
谷口は無防備にもどんどん近づいて行く。
酔っ払いならではの遅い歩みが今はありがたい。
いいから止まってくれ。
話しかけもするな。
おい! 谷口っ!
心の中で俺の想いは絶叫のようにボルテージを上げるが、谷口にはまるで届かないのが歯痒い……おおっ、谷口が止まった。
それは赤い人影から5メートルくらいしか離れていない場所。
谷口もようやく、アレのヤバさに気付いてくれたか、と安堵しかけた瞬間、赤い人影がぬるぬると動き始める。
赤いヤツは玄関を、壁を、ヤモリのように登って行く。
屋根まで登りきると、屋根の上をウロウロしはじめた。
スレート葺きの屋根からはカチャカチャと軽い音が聞こえる。
「煙突、探してんのー?」
最悪だ、谷口。
まだ気付いてないのか。
あんなもん見て、まだ酔いが覚めないのか?
どうすりゃいいんだよ……。
「どうしました?」
背後からの声にビクつきながら振り返ると、自転車に乗った警官が二人、俺にライトを向けていた……あ、体、動いている!
「す、すみません……同僚が酔っ払っちゃって……」
俺は慌てて谷口の所まで走る。
あの赤いアレはいつの間にか姿が見えなくなっている。
まだぼんやりしている谷口の手を引き、その場を足早に離れた。
谷口はいい加減、眠たくなっているのか半開きの目で、今度はおとなしく着いて来る。
無事にアパートまで到着した俺は、二階の自室へ戻る前に集合郵便受けを確認する。
「いいなぁ」
谷口がまた喋り始めた。
正直言うと、ちょっと怖かった。
あの赤いのがもしも着いて来てたらどうしよう。
全身に鳥肌が立った俺になどお構いなく、谷口は半開きの目で遠くを見ながらしゃべり続けた。
「俺が小さい頃はさ、夕飯の後に直渡しだったよ。うちのオヤジは、サンタの格好なんてしてくれたことなかったからさ……いいよなぁ」
谷口、アレはおそらくサンタじゃないぞ……という言葉をぐっと呑み込む。
さっきの光景を思い出したくないから。
話題にするのも嫌だから。
「馬鹿なこと言ってないで、階段昇るぞ。ほら、早く」
「……いや、いい。タクシーで帰る」
「ここまで来てか? まぁ、いいけどさ」
その時の谷口は、目もしっかり開いていて、もうすっかり酔いが覚めたのかと思ったんだ。
スマホでちゃんとタクシー呼んでたし。
でも、タクシーのドアが閉まる瞬間、あいつ嬉しそうな顔をした。
「サンタ、うちにも来てくれるって」
俺はとっさに何も言葉を返せず、その間にタクシーのドアは閉じた。
なんだったんだ、今の……。
その最後の言葉のせいで、またアレを思い出してしまう。
俺はその晩、眠れず、大好きなサンドウィッチマンのライブ動画を見まくって朝まで過ごした。
翌日、遅刻ギリギリで出社すると、すぐに上司に呼び出された。
「谷口はどうした?」
「あれ? 来てませんか?」
「君んとこに泊まったんじゃないのか?」
「いえ、あいつ土壇場で、タクシー呼んで帰りましたよ」
「なんだそのホテル前の男女みたいな会話は」
「部長、それセクハラですってば」
その場では和やかめいて会話を終えたものの、内心は胸騒ぎがしてならなかった。
昨晩、あいつをあのまま帰して良かったのだろうか。
今更ながら罪悪感が湧いてくる。
しかも誰が連絡しても電話もメールも何もかも反応なし。
さすがに心配になり、仕事帰りに谷口の様子を見にいくと手を挙げた。
谷口の家を知っている後輩と、それから部長も一緒に行くことになり、俺たちは三人で谷口の家へと向かった。
谷口の家は郊外の一軒家。「家を買ったら嫁も来る」というのが、彼女も居ないくせに谷口の口癖だった。
「あれ……玄関、鍵開いてますよ」
「大丈夫かよ。そんなに酔ってたんか、谷口は。玄関入ってすぐお好み焼きとか落ちてないだろうな」
「谷口ー! 入るぞー!」
笑いながら玄関に入ってすぐ、嫌な臭いがした。
ジョークで言っていた「お好み焼き」みたいな酸っぱい臭いではなく、もっと……胃袋が締め付けられる系の……。
皆、無言で、臭いの元を探す。
廊下を通り抜け、リビングのような場所に着く。
そこで俺たちは、ソファの上に真っ黒い大きな人形のようなものがあることに気付いた。
それが何であるか、一番最初に気付いた部長が警察に電話する。
それからすぐに俺たちは、我先にと外へ逃れた。
あの黒いモノは、司法解剖の結果、谷口だと判明した。
原因は不明。
不思議なことに部屋の中は、ソファを含めてほとんど燃えておらず、ただ谷口だけが燃えたとしか思えない、と、警察の人に後から聞いた。
<終>
今、俺の隣でしきりに「飲み直そうぜ」を連発している同僚の谷口も、そんな酔っ払いの一人だ。
終電を逃して帰れなくなった谷口を、まだ電車があった俺の家に泊めることになり、こうして駅から俺のアパートまでの夜道を歩いているのだが……こいつがまあ真っ直ぐ歩かない。
「ごくろうさん!」
谷口がまた立ち止まり、大きな声を挙げた。
「おい谷口! 夜中だぞ。近所迷惑だからやめろって!」
出来るだけ小さな声で怒鳴っているせいか、どうにも谷口の耳に届いている気がしない。
「見ろよぉ、あれ! この寒い夜中に、玄関前待機ですよぉ。お父さんサンタも大変ですよねぇ!」
谷口が指差す方向を見ると、一軒家の玄関前に、確かに赤い人影が立っている……のを見た瞬間、悪寒に首を絞められたかのような息苦しい寒気を感じた。
冬の夜の冷気よりももっと深く、芯まで響く寒さを。
その赤い人影は、白い袋を持つでもなく、帽子を被るどころかスキンヘッドで、太っていて、絵の具で塗ったのかと思うほど真っ赤な肌で、しかも頭だけじゃなく全身赤いんだ。
ここから見える限り、何も着ていないように見える。
この真冬に、だよ。
しかもクリスマスって一週間以上先だろ?
「ごくろうさーん!」
谷口はご機嫌なまま、その赤い人影へ近づいていく。
俺は止めようとしたが、金縛りに遭ったみたいに体を動かせないことに気づく。
アレはヤバい。
絶対にヤバい。
そう声に出したいのだが、声も出せない。
本当に金縛りか。
立ったままでか。
開きかけていた口から喉の奥へ、冷たい空気がじわじわ凍みてくる。
谷口は無防備にもどんどん近づいて行く。
酔っ払いならではの遅い歩みが今はありがたい。
いいから止まってくれ。
話しかけもするな。
おい! 谷口っ!
心の中で俺の想いは絶叫のようにボルテージを上げるが、谷口にはまるで届かないのが歯痒い……おおっ、谷口が止まった。
それは赤い人影から5メートルくらいしか離れていない場所。
谷口もようやく、アレのヤバさに気付いてくれたか、と安堵しかけた瞬間、赤い人影がぬるぬると動き始める。
赤いヤツは玄関を、壁を、ヤモリのように登って行く。
屋根まで登りきると、屋根の上をウロウロしはじめた。
スレート葺きの屋根からはカチャカチャと軽い音が聞こえる。
「煙突、探してんのー?」
最悪だ、谷口。
まだ気付いてないのか。
あんなもん見て、まだ酔いが覚めないのか?
どうすりゃいいんだよ……。
「どうしました?」
背後からの声にビクつきながら振り返ると、自転車に乗った警官が二人、俺にライトを向けていた……あ、体、動いている!
「す、すみません……同僚が酔っ払っちゃって……」
俺は慌てて谷口の所まで走る。
あの赤いアレはいつの間にか姿が見えなくなっている。
まだぼんやりしている谷口の手を引き、その場を足早に離れた。
谷口はいい加減、眠たくなっているのか半開きの目で、今度はおとなしく着いて来る。
無事にアパートまで到着した俺は、二階の自室へ戻る前に集合郵便受けを確認する。
「いいなぁ」
谷口がまた喋り始めた。
正直言うと、ちょっと怖かった。
あの赤いのがもしも着いて来てたらどうしよう。
全身に鳥肌が立った俺になどお構いなく、谷口は半開きの目で遠くを見ながらしゃべり続けた。
「俺が小さい頃はさ、夕飯の後に直渡しだったよ。うちのオヤジは、サンタの格好なんてしてくれたことなかったからさ……いいよなぁ」
谷口、アレはおそらくサンタじゃないぞ……という言葉をぐっと呑み込む。
さっきの光景を思い出したくないから。
話題にするのも嫌だから。
「馬鹿なこと言ってないで、階段昇るぞ。ほら、早く」
「……いや、いい。タクシーで帰る」
「ここまで来てか? まぁ、いいけどさ」
その時の谷口は、目もしっかり開いていて、もうすっかり酔いが覚めたのかと思ったんだ。
スマホでちゃんとタクシー呼んでたし。
でも、タクシーのドアが閉まる瞬間、あいつ嬉しそうな顔をした。
「サンタ、うちにも来てくれるって」
俺はとっさに何も言葉を返せず、その間にタクシーのドアは閉じた。
なんだったんだ、今の……。
その最後の言葉のせいで、またアレを思い出してしまう。
俺はその晩、眠れず、大好きなサンドウィッチマンのライブ動画を見まくって朝まで過ごした。
翌日、遅刻ギリギリで出社すると、すぐに上司に呼び出された。
「谷口はどうした?」
「あれ? 来てませんか?」
「君んとこに泊まったんじゃないのか?」
「いえ、あいつ土壇場で、タクシー呼んで帰りましたよ」
「なんだそのホテル前の男女みたいな会話は」
「部長、それセクハラですってば」
その場では和やかめいて会話を終えたものの、内心は胸騒ぎがしてならなかった。
昨晩、あいつをあのまま帰して良かったのだろうか。
今更ながら罪悪感が湧いてくる。
しかも誰が連絡しても電話もメールも何もかも反応なし。
さすがに心配になり、仕事帰りに谷口の様子を見にいくと手を挙げた。
谷口の家を知っている後輩と、それから部長も一緒に行くことになり、俺たちは三人で谷口の家へと向かった。
谷口の家は郊外の一軒家。「家を買ったら嫁も来る」というのが、彼女も居ないくせに谷口の口癖だった。
「あれ……玄関、鍵開いてますよ」
「大丈夫かよ。そんなに酔ってたんか、谷口は。玄関入ってすぐお好み焼きとか落ちてないだろうな」
「谷口ー! 入るぞー!」
笑いながら玄関に入ってすぐ、嫌な臭いがした。
ジョークで言っていた「お好み焼き」みたいな酸っぱい臭いではなく、もっと……胃袋が締め付けられる系の……。
皆、無言で、臭いの元を探す。
廊下を通り抜け、リビングのような場所に着く。
そこで俺たちは、ソファの上に真っ黒い大きな人形のようなものがあることに気付いた。
それが何であるか、一番最初に気付いた部長が警察に電話する。
それからすぐに俺たちは、我先にと外へ逃れた。
あの黒いモノは、司法解剖の結果、谷口だと判明した。
原因は不明。
不思議なことに部屋の中は、ソファを含めてほとんど燃えておらず、ただ谷口だけが燃えたとしか思えない、と、警察の人に後から聞いた。
<終>