秘密の場所

文字数 2,172文字

 朝から雨が降っていた。二時間目の社会の授業は、太田先生の雑談でほとんど潰れていた。授業が始まる前の休み時間に、僕と亮平は下らないことで口論にまでなりかけた。ひと月前に放送されたゴールデン洋画劇場の映画がインディ・ジョーンズだったかグーニーズだったかで話が合わなかったのだ。僕も亮平も自分の記憶に自信満々で、お互いが譲らないうちにムキになってしまった。チャイムが鳴る少し前に先生が教室に現れ、僕たちの仲裁をして口論の原因を聞いた。
「よし、今日は記憶に関する面白い話をしてやろう」
 チャイムがなって僕たちが席に着くと、先生は授業そっちのけで人間の記憶がいかに当てにならないかという話をしだした。先生は大学生のころ発達心理学や認知心理学などを専攻していたそうで、その手の内容を話し出すとチャイムが鳴るまで止まらない。
「それで一週間後に、そのお兄さんが弟に、そのショッピングモールでの出来事を思い出せたかどうか聞いてみたんだ。そしたらね、弟ははっきり思い出したって言って、詳しいことまで話し出したんだって。そんなこと実際にはなかったのにだよ」
 退屈な授業は潰れるし、先生がしてくれる話自体も面白かったので、僕たちは先生の話が止まらなくなるのをむしろ歓迎していた。
「えー、なんで?」
「なんでかっていうと、人間の記憶っていうのはな——」
 意外にも、先生の雑談を一番熱心に聞いていて、率先して質問までしていたのは隼だった。授業が短くなるように話を引き伸ばそうとしているわけではなく、先生がする難しい話を、授業ではめったに見せない真剣な目をして、好奇心に突き動かされたように聞いていた。
 人間の記憶は脳の中で再構築されて再生される、という話は聞いててへえと思ったが、その偽物の記憶が暴走して、ありもしない虐待の記憶や悪魔を崇拝する集団の記憶を生んでしまうという話は、なんだか幽霊とか宇宙人とかの怖い話を聞いてるようで、ぞっとしたと同時にちょっと信じられなかった。先生がなにか続きを話そうとしたそのときに終業のチャイムが鳴り、先生はいつものように、しまった、という顔をした。
「やべ、授業終わっちゃったよ。俺話始めたら止まんないんだからさ、今度誰か止めてよ」
 その言葉にみんな笑ったが、誰も返事をしなかったので、先生は最後に「おまえら、ほんとに頼むぞ!」と念を押した。
 四時間目になって外の雨が強くなり、給食が終わっても弱まる気配がなかった。窓から見下ろす校庭は白くもやがかかり、激しい雨滴に打たれて花壇の向日葵が波打つように揺れている。外にも出られない昼休み、僕らは校舎でかくれんぼをして遊ぶことにした。かくれんぼの鬼決めは、和希の案でじゃんけんではなくあみだくじでやろうということになり、隼以外が賛成した。隼は最後までじゃんけんでいいだろと言い張っていたが、多勢に無勢でしぶしぶあみだに加わった。隼だって本当はじゃんけんだろうとあみだだろうとどっちでも良かったはずだが、和希の案にみんなが賛成するのが面白くなかったのだろう。
 あみだで隼が鬼に決まり、教室で百を数えているあいだに僕たちは校舎のどこかに散らばっていった。タイムリミットは昼休み終了のチャイムが鳴るまでで、隼はそれまでに全員見つけ出さないといけない。僕は廊下の清掃用具の入っているロッカーの中に隠れた。ロッカーの中は暗く、雑巾のにおいがする。隼は隠れるのがうまい。ということは人がどこに隠れようとするかをよくわかっていて、鬼になっても強かった。隼が廊下を駈ける足音が近づいてくる。僕はその軽快な音を、真っ暗なロッカーの中で聞いていた。駆け足の音が止まり、ゆっくりと焦らすような足音になって、少しずつ近づいてくる。僕はロッカーの暗闇の中で、自分が殺人鬼に追い詰められていて、今まさにつかまろうとしているのだと空想した。捕まったらおしまいだ、そう考えると足音が一歩一歩近づくたびに、僕の心臓は胸を突き破りそうになるまで跳ねた。足音がロッカーの前で止まる。扉が軋む音と同時に光が細く入り込んだと思ったら、あっという間に狭い箱の中を明るく満たした。
「雄太みっけ。楽勝」
 隼はそれから、二階の男子トイレの個室に隠れた亮平を見つけだした。正樹は昇降口の下駄箱の影に隠れていた。まだみつかっていないのは和希とウメだ。隼は校舎を駆け回って、下級生の教室をのぞきこんだり、先生用のトイレの中を調べたりした。一階の図書室に入って、本棚の影を一つ残らず見て回った。時計をみるとあと三分で昼休みが終わる。時間切れが迫るにつれて、隼は開けたロッカーをそのままにしたり、鍵のかかった家庭科室の扉を無理やり開けようとしたりと、行動に落ち着きがなくなってきた。隼の顔に浮かんだ表情は、獲物を追う虎というよりは罠にかかった兎のようで、どこか悲しそうで絶望的だった。
 チャイムが鳴り昼休みが終わった。僕らが教室で待っていると、和希とウメは逃げ切った嬉しさを顔から隠そうともせずに教室に戻ってきた。どこに隠れていたのか、二人からはかすかに埃のにおいがした。どうやら一緒の場所に隠れていたようだ。
「どこに隠れてたんだよ」と隼が訊いても、二人は「それ言ったら次からそこ使えなくなるじゃん」と含みのある顔を見合わせるだけで口を割らなかった。
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