転校生

文字数 1,905文字

 四月になって五年生に進級すると、八人しかいない僕の学年に転校生がやってきた。始業式の朝、教室には新しく机がひとつ増えていて、その無人の机の存在がみんなをやけにそわそわさせていた。
 先生に連れられて教室に入ってきたのは、明るそうな男子だった。女子たちが顔を寄せ合い、何か小声でささやきあってはくすくすと笑った。転校生は教卓の横に立って、緊張した様子もなく自己紹介をした。綺麗な標準語だった。
「ねえ、どこから来たの?」と亮平が馴れ馴れしく声をかける。
「横浜だよ。神奈川県の」
「横浜って都会?」僕が聞くと転校生は「うん、都会」と笑って答えた。特に自慢するでもない、ただ質問に答えただけの言い方に聞こえて僕はなんとなく好感を持った。
 僕たちは始業式の行われる体育館へ移動し、校長先生が壇上でなにか喋っているのをぼんやりと聞いた。始業式が終わって教室に戻ると、帰りの会までに三十分ほどの休み時間があり、僕たちは教室の後ろに集まって時間を潰していた。始業式のあと、先生に「誰か校内を案内してやってくれ」と頼まれたので、転校生は正樹に連れられて教室を出ていってしまっている。
「あいつ都会から来たからって調子に乗ってるよな」
 そう言いだしたのは隼だった。僕にはそうは思えなかった。亮平もウメも同意しなかったところを見ると僕と同じ意見だったのだろう。都会の話を自慢げにするでもなく田舎を馬鹿にしているようすもなく、隼が何を持って調子に乗っていると言っているのかはわからなかった。ただ都会からきた転校生をからかう理由を無理やり作りたかっただけなのだろう。
「田舎の怖さを思い知らせてやろうぜ」
 ちょっとした洗礼を受けるのは転校生の通過儀式のように思われて、僕たちはにやにやと笑いながら転校生に仕掛けるいたずらの作戦を立て始めた。
 作戦が決まると隼と亮平が教室をこっそり出て行った。二人が出て行ってからしばらくして転校生と正樹が戻ってきた。すっかり打ち解けて、花道と流川がどうのこうのとスラムダンクの話で盛り上がっている。隼と亮平の二人は十分ほどすると帰ってきた。隼は何かを包むように両の手のひらを合わせていて、手がところどころ泥で汚れていた。転校生は自分の席に座って、どこか嬉しそうな顔をしながら窓の外の空を眺めていた。二人は笑いをこらえて転校生の机に近づいていった。僕もにやにやしながらその様子を見ていた。ウメは不安そうにそわそわしている。
「ねえ、僕らから歓迎の印にプレゼントがあるんだ」
 隼が合わせた手のひらを机の上にのせ、ぱっと手を離した。机には梅の実くらいの大きさをした蛙が喉を震わせながら乗っていた。蛙を見ると転校生は「うおーっ!」と悲鳴をあげた。
「本物の蛙だ!」僕たちが笑いだすより早く、転校生はその蛙を手のひらに乗せて珍しそうに眺め始めた。
「これ、ダルマガエル? ねえ、この蛙どこで獲ってきたの?」
 転校生は興奮で頬を染めながら隼と亮平に尋ねた。二人は期待と違う反応にたじろいでいた。僕らの予想では、都会育ちの転校生は本物の蛙を見て気持ち悪がってびびるに違いないと思っていたのだ。
「え? こんなの、用水路いけばいっぱいいるけど……」
「まじで! 連れてってよ、俺も捕まえてみたい」
 その日の放課後、僕たちは一度帰宅したあと、網とバケツを持って転校生と一緒に用水路へ向かった。転校生は目を輝かせながら用水路の澄んだ水を手ですくっていた。正樹が足を滑らせて水に落ちたり、僕が捕まえたザリガニに指を挟まれたりするたびに、転校生は声を上げて笑った。用水路の向こうでは、水を張った田んぼに晴れた空が映っていた。
「俺、めだか見るの初めてだ」転校生はしゃがみこんでバケツを覗き込んでいる。「飼ってみたいな」
「飼えばいいじゃん」僕は網にかかっていたタニシをバケツに入れた。
「水槽持ってないんだ」転校生は残念そうに言った。
「なるほどね。小さいのでよければやるよ。使ってないやつがうちの物置にあるから」
「いいの?」
「うん。どうせ捨てるつもりだったし。ただ、埃まみれで汚いよ」
「わかった、洗う。ありがとう」転校生は嬉しそうに笑い、つられて僕も笑った。
 僕たちと転校生はびしょ濡れになりながら日が暮れるまで用水路で遊んだ。帰り道、転校生は立ち止まって田んぼを眺めた。夕陽に赤く染まった水鏡が、はるか遠くまで広がっていた。僕は立ち止まったまま動かない転校生を不思議に思って、「どうしたの?」声をかけた。転校生は振り返り、嬉しそうに目の前の景色を指差した。
「初めて見た、こんなきれいな景色」
 和希はこうして、自然に僕たちの中に融け込んだのだった。
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