文字数 3,553文字

 縁側の風鈴が夜風に吹かれて涼しげな音を立てた。緑の羽根の扇風機がゆっくり首を振りながら蒸し暑い部屋の空気をかきまぜている。雄太のお母さんが切ってくれた丸々一個分の西瓜は十五分もしないうちにほとんど食べ尽くされ、皿には最後の一切れだけが残っている。
 雄太のうちで晩飯をご馳走になり、64のマリカーをやってさんざん盛り上がり、十一時を回って怖い話が始まった。雄太が聞いた、友達の先輩の彼女の従兄弟が実際に体験したとかいう話を、ウメは恐怖で顔を引きつらせながら聞いている。
「んでその人がさ、ちょうど去年の夏に免許とって親の車借りて友達と何人かで心霊スポットめぐりしたんよ。で、廃道になった途中のトンネルにでるっていう噂あるから、友達集めていってみたんだって、真夜中。廃道だから車入れないんで、県道の脇に車止めてさ、外灯もなくて真っ暗でよ、懐中電灯で道照らしながらトンネルまで歩いてって。もう道の脇とか草ぼうぼうよ。んでトンネルついたらちょうど入り口の脇らへんにぼっろぼろの廃車が捨ててあったらしくて、そん中の一人がその車を懐中電灯で照らしたのよ。そしたらさ……」そこで雄太はもったいぶるみたいにコップの烏龍茶を一口飲み、指についた水滴をジーパンの太ももでふいた。
「助手席に小学生くらいの女の子が座ってて、すげえ顔してこっち睨んでたんだって」
 作り話にしても、その光景を思い描くと背筋がぞくっとした。ウメは恐怖で目を潤ませている。三人ともしばらく黙ったまま、誰かが何か言い出すのを待っていた。蚊取り線香の煙がふと匂う。開け放した窓の網戸にいきなり何かがぶつかり、ばんっと音を立てた。
「うおっ!」と三人同時に飛び上がった。見ると、カナブンが一匹、部屋の明かりにつられて飛んできただけだった。
「びびらせんなよー」
 俺はカナブンを網戸越しに指で弾いて追い払った。羽音を立てながら、緑の点が夜の闇に溶けるように消えていった。
「よっしゃ、じゃあみなさんあったまってきたところで」言いながら雄太が立ち上がる。「そろそろ行きますか」
「え、こんな時間に?」嫌な予感を察知してウメの目に不安が浮かぶ。時刻は十一時三十分を過ぎたところだ。「どこいくの?」
「決まってんべよ」俺はほくそ笑んで優しくウメの肩に手を置いた。
「夜のお墓参り」



 立ち並ぶ墓石が月の光にぼんやり浮かんでいた。田舎の、空気の澄んだ夜空を眺めていると、時おり流れ星が尾を引いて横切っていくのが見えた。墓場の横を流れる小川の水音がやけにはっきりと感じられる。集落のはずれにある墓地には雄太のうちから十五分もあればこれる距離だが、ウメが渋ってもたつき、なだめたり背中を押したりしながら歩いていたら、結局倍以上の時間がかかって着いた頃には零時をすぎていた。
「はーい、では肝試しのルールを説明しまーす」雄太が懐中電灯で自分の顔を下から照らして揺らした。濃い陰影が顔の上でゆらゆらしている。
「こちらの墓場の最奥はここいらの地主の星野さんちのお墓になっております。いっちばんでかいんでまあすぐにわかるでしょう。今からじゃんけんをしていただき、順番を決めます。一番になった人がまず星野家のお墓までいき、なにかしらの私物を置いてきていただきます。今度は二番目がその私物を回収すると同時に、また私物を置いてきます。最後の方は二番目の方が置いてきた私物を回収し、無事イベント終了、と相成ります」ふあっふあっふあーと不気味な笑い声を付け加えて謎にふらふら揺れている。
「それじゃ、早速順番決めようぜ」俺は雄太に目配せをした。ウメは小学生の頃、最初に必ずチョキを出す癖をまったく自覚していなかった。雄太の部屋で最後の西瓜争奪じゃんけんをしたときに検証済みなので、まだ癖は直っていないようだった。
「いくぞー、最っ初はグー」掛け声と同時に突き出された拳が二つしかない。
「あらあらーウメさん、困りますよ。ちゃんとゲームに参加していただかないと」
 懐中電灯で照らしたウメの顔はすでに半分泣いている。恐怖に侵されて声も出せない様子だ。出さなきゃ負けよルールを採用して順番を決めた。どちらにせよウメを一番最後にするという裏工作は俺と雄太の間で出来上がっていたので、実質俺と雄太の順番が決まっただけだった。
「では一番手、いってまいります」俺は舌を出しながら二人に敬礼した。
「どうぞご無事で」雄太が神妙な顔で敬礼を返した。ウメは完全に上の空で、鬼気迫った顔でぼんやり虚空を眺めている。
 星の散らばった夜空の下を、墓石と墓石の間を懐中電灯で照らしながら一番奥へと進んだ。三人でいる時は平静を装っていたが、ひとりになると大きくなった心臓の音がはっきりと耳に響いてくる。呼吸がいつもより浅いのがわかった。そんなに大きな墓地ではないので、二、三分もいけば目的の場所へ到達できるし、ルートもただの一本道だ。ゴールの墓石が、ひときわ広い敷地のなかで月を浴びて濡れたように光っている。お墓の背後は黒い林になっており、黒い輪郭だけになった木々がこちらへ覆いかぶさってくるように見えた。何か置いていくルールなのでポケットを探ったが糸くずしか出てこない。仕方なく腕にはめていたG-SHOCKをはずして墓の前に置き、もときた道を引き返した。
 雄太が両手で顔をぱんぱんと叩いて気合を入れ、「しゃーこんにゃろー!」とアントニオ猪木のモノマネをする石橋貴明の真似をすると駆け出していった。雄太を待つあいだ何度かウメに話しかけてみたが、恐怖で上の空になっていてまったく会話にならない。俺は仕方なく墓の横を流れる川に石を投げて時間を潰した。細かく波打つ水面に月の光がきらめいている。
 揺れる懐中電灯の光と暗闇を走る足音が戻ってきた。帰還した雄太はパンツ一丁になっていた。しかもそのパンツが、どこで買ったのか蛍光ピンクの、股間を強調するようなぴちぴちのブリーフなのだ。
「服を置いてました」
「うん。見ればわかる」
 雄太から受け取った時計をはめながら冷静に応じていると、雄太はくるりとこちらに背中を向け、「どーっすか!」と懐中電灯の光で自分のケツを照らした。ブリーフはTバックになっていた。笑ったら負けだと思って必死にこらえていたがさすがにこれには耐え切れず、両手で口を覆って肩を震わせる羽目になった。
 最後にウメの順番となったが、足がすくんでいるのか少しも動き出そうとしない。淡い月明かりの中でも膝ががくがくと震えているのがわかる。
「ウメ、早く行ってきてくれないか? おまえにはわからないだろうが、おれは今めちゃくちゃ蚊に刺されてるんだ」雄太が首の後ろをぼりぼり掻きながら言った。「このままだと、血を抜かれすぎて俺は死ぬ」
 覚悟を決めたのかウメは二歩ほど進んだが、そこからまた動く気配がなくなった。地面に落ちた懐中電灯の丸い光が細かく揺れている。大きく息を吐き、くるりとこっちを向いて引き返してくると、泣き出しそうな声で「一緒に行って欲しい」などと懇願し、肝試しの根底を覆そうとした。
「そんなんダメだろ」と俺は厳しい口調ではねつけた。あまりにウメがもたもたしているので、そろそろ苛立ちも限界にきている。「お前も行けよ。おれらはルール通りいってきたんだからよ」
「ダッシュでいきゃすぐ終わるって。へーきへーき、どうせ墓の裏から女の子がにらんでくるくらいだから」
 雄太が余計なことを言うので、さっきの怖い話を思い出したウメはさらに情けない声で哀願し、その声を聞いてついに苛立ちが飽和した。
「早く行けよっ!」
 怒声が闇に包まれた墓場に響いた。虫の声が静まり、わずかな静寂をおいてまた鳴り出す。ウメは唇を震わせていた。怯えた目に諦めの色が浮かび、俺から目を逸らしてウメが墓場へ歩き出した。
「男になってこいよー!」
 重い空気を払うように雄太がその背中に声をかけた。
 ウメが出発したので俺たちは次の準備に取り掛かった。先に帰ったふりをして、どこかに隠れて脅かすのだ。懐中電灯を消し、二人で入り口近くの墓石の裏に隠れウメを待った。
「久しぶりに神のリアクションが見れるのか」雄太が囁き、二人で声を殺して笑った。
 虫の声に足音が重なりだした。足音がだんだんと近づいてきて、雄太が口をおさえて笑いをこらえている。絶対笑うなよと俺は口元に人差し指を立てる。
「あれ?」
 懐中電灯の丸い光がせわしく動き回り、俺たちのいる墓石の横を掠めていった。
「ねえどこ? いるよね?」 
 ほとんど泣いているような声を聞き、雄太が裸の腹をはげしくひくつかせた。このままだとこいつ絶対吹き出すなと思って、俺は雄太の肩を叩いて、いくぞと合図した。俺と雄太は化鳥のような悲鳴をあげて飛び出した。
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