スケアクロウィック・メモリー・シンドローム

文字数 4,807文字

 次の日の昼休み、給食を食べ終えた俺たちは校庭へ出てサッカーを始めた。ボールを蹴りだして二分もしない内に、六年生が五人、バットとグローブを持って校舎から出てきた。その中で一番体のでかい野嶋というやつが「消えろ」と脅してきた。
「今からおれたちが野球やるんだ。お前ら邪魔だ」
 野嶋はやけに広い肩をいからせて、後ろで取り巻きたちがにやにやしている。俺たちはすごすごと引き下がり、鉄棒のところで六年生が野球をする様子をぼんやり眺めていた。
 借りていた本を図書室に返しにいっているのでウメはまだここにいない。野嶋はバットを振りながら耳障りな声で笑っている。その様子を見ていると、むかむかした気持ちが胸に湧いてきた。雄太が地面に座り込んで、手の上で石ころを弄んでいる。
「なあ、もうちょっと続けてみないか? かかしの実験」
「え?」と雄太が俺を見上げた。
 ウメの中で本当ににせものの記憶が作られているのか、ただ話を合わせているだけなのか、まだ自分の中で半信半疑だった。ウメが嘘の記憶を信じ込んでいるという確信が欲しかった。それに、かかしに話しかけるウメを見ていると、一流の魔術師の手品でも見ているようで興奮した。俺は気づくと心理実験にのめり込んでいた。ベジータのカードダスも欲しかったが、それ以上に人に記憶を植え付けるという実験がアニメや映画のようでおもしろくなってきてしまったのだ。正樹はどっきりだとばらしたがっていたが、雄太は乗り気だし、亮平はどっちでもいいよ、と決断を放棄した。多数決が採用され、実験の継続が決まった。
「でも、本当に体験してないことを思い出したりするんだな」亮平が鉄棒にぶら下がりながらつぶやいた。
「海外じゃ、被害者の偽の記憶の通報や容疑者の偽の記憶の自白で、告訴されたり殺人犯にされて投獄された人もいるくらいだからね。フォルス・メモリー・シンドロームって呼ばれている」
 真の説明に「ふぉる、なんだって?」と亮平が聞き返した。
「フォルス・メモリー・シンドローム。にせの記憶症候群って意味。表層化してないだけで、実は日本の刑事事件でも結構多いのかもよ。長期にわたる取り調べは、催眠状態を招きやすいって話だから」
「悪魔儀式の話もしてやれば?」と俺は促した。
「なにそれ、聞きたい」正樹の目に好奇心が浮かぶ。
「今からする話は、アメリカであった公式の裁判記録だよ。ある女性の告発についての内容なんだけど」
 幼稚園の先生の正体は悪い道化師で、私を秘密の部屋に連れて行き虐待をした。魔法の部屋には私以外にも何人かの子がいて、ナイフで身体中を切り刻まれていた。虐待が終わると、悪い道化師は魔法の杖で部屋に火を放った。
「その幼稚園の先生は裁判で実刑判決を受け、懲役をくらって刑務所に入れられた」
 雄太たちは怯えたような真顔になって、真の話を黙って聞いている。
「サタニック・リチュアル・アビューズ、これは悪魔的儀式虐待って意味なんだけど、アメリカで八十年代に告発が相次いだんだ」
「まじ? よかった、アメリカに生まれなくて」と正樹が身を震わせた。
「でもこれもにせものの記憶が生んだ社会現象だよ。告発している人はたくさん赤ちゃんや子どもが殺されたって証言してるのに、ぜんぜんそんな証拠が見つかってない。そんなに何人もの子供が殺されているなら、どこかに死体がなきゃおかしいからね。結局、刑務所に入れられたその幼稚園の先生も、のちに無罪になって釈放されている。何年かは刑務所に入れられて気の毒だったけどね」
「そんな記憶も作り出せるんだったら、かかしと友達の記憶なんて結構簡単に作れちゃうのかもな」亮平はぼんやり空を見上げながら言った。
「完全に信じ込ませたら、ウメの病名は『かかしの記憶症候群』とか名前が付けられるかもな」と真は笑った。
 ウメが小走りで校舎から現れた。何があったのか、嬉しそうににこにこしている。
「さっき図書室の本棚見てたら観覧車が表紙になってる本があってさ、それ見た瞬間に去年の遠足のこと色々思い出したよ」
 観覧車にカズキくんと二人で乗ってハイランドパークの景色を一望した、ハイランドパークの周りは森がどこまでも広がってて緑が綺麗だった、迷路にも入ったけど全然出られそうになくて、お弁当の樹間に間に合わなくなっちゃうとまずいから、反則だけど下の隙間をくぐってゴールまでなんとかたどり着いた、でも結局お昼の時間には間に合わなくて集合場所に着くともうみんなお弁当を食べ始めていた、カズキくんの唐揚げと自分の卵焼きを交換した、帰りのバスではいつの間にか眠っていて、学校についた頃に隣のカズキくんに起こされた。
 みんな黙ったまま、ウメが語る思い出を聞いていた。雄太も亮平も正樹も、深刻な、気味の悪そうな表情で、楽しそうに記憶を語るウメを見ていた。
 ウメの語る思い出が、俺の思い出まで呼び起こしていった。観覧車から眺める遊園地の色彩が目に浮かぶ。ジェットコースターのレールの黄色や赤や青が絡み合い、その向こうは一面緑の森が広がっている。迷路では何回も行き止まりに突き当たって、もう下の隙間くぐっちゃおうぜと誰かとずるをした。バイキングに三回連続で乗って酔ってしまい、吐きそうになるのを必死にこらえていた。
 懐かしそうに思い出を話すウメの表情は透明な水を浴びたようで、作り話をしている口調ではない。にせものの記憶が、リアルな映像を伴った本物の思い出として頭の中で繰り広げられているのだ。俺は完璧な形で悪戯が成功した時の、めまいのするような興奮を感じた。もしかしたら、と俺は思った。偉大な科学者が世紀の大発見をした時も、こんな気分を味わうのかもしれない。

 日曜日、朝食を食べ終わるとすぐに社へ向かった。昨夜のゴールデン洋画劇場は前から楽しみにしていたターミネーター2だったのに、サラ・コナーが病院で懸垂をしているあたりで画面が乱れ始め、少しするとぐちゃぐちゃの色彩だけしか映らなくなってしまったのだ。
「こりゃ、アンテナの調子が悪いな」と一緒に見ていたお父さんが顔をしかめる。直してくれるよう頼んだが夜では無理だと断られた。これも耳のかけた狛犬の祟りだろうと怖くなって、朝起きたらすぐに耳を探しに行こうと決めていたのだ。
 誰もいないと思っていたが、石段を上る途中で上から話し声が聞こえてきた。こんな早い時間に誰だろうと思って小走りに駆け上がった。徐々に社が見え出して、上りきる少し手前で俺は足を止めた。社の石段に腰掛けてウメがいた。隣にはかかしが置いてある。異様な風景だった。ウメがかかしに話しかけ、時々一人で笑っているのだ。さっと血の気が引いた。よく知った幼馴染ではなく、見覚えのない頭のおかしい少年に見えた。
「隼くん」
 立ちすくんでいる俺に気付いてウメが手をあげた。やむなく俺は少し気まずそうな顔をして社へと歩いていった。
「よう、ウメ」そのあとに何を言っていいかわからず、ウメとかかしを交互に見たまま黙った。
「——カズキといたのか」そう言うと、こめかみが引きつるのを感じた。
「うん。カズキくん、めだか飼ってるでしょ。水槽に入れる金魚藻とりに用水路いこうって約束してたんだ」
 ウメの中でカズキが具体的な人格を帯び始めていた。これはかかしだぞとネタばらしをするには少し勢いとタイミングが必要な気がして、俺は少し緊張した。
 ウメはかかしを担いで歩き、俺はその後ろをついていった。用水路につくとウメは土手にかかしを丁寧に寝かせ、水面を覗き込んだ。水面に反射する太陽を遮るように、ウメが目の上に手をかざす。
「トノサマガエルがいるよ」
 水の中を指差して嬉しそうにかかしに話しかけている。ウメが水に手を入れて金魚藻を摘んでいると、用水路沿いのあぜ道を正樹のお姉ちゃんが通りかかった。
「ねえ、なにそのかかし? なんで横に置いてるの?」と不思議そうにかかしを指差す。
 俺は答えに困って、あれはかかしだよ、と答えにもならないことをお姉ちゃんの耳元で囁いた。
「変なの」と首をかしげただけで、お姉ちゃんはさほど興味もなさそうに立ち去っていったので、俺はほっと胸をなでおろした。
「ちょっと前に、向こうの溜め池の所でさ、カズキくんがくれたカードダスを隼くんに見せてたら、手が滑って池に落としちゃったことあったね」ウメが金魚藻をバケツに入れながら笑顔を向けた。
 ウメの記憶と俺の記憶が食い違いはじめている。得体の知れない恐怖と罪悪感が心をかすめた。ニセモノと知らずに、記憶の断片が次々とウメの中で組み合わさって、鮮やかな色彩を帯びているようだった。俺はウメの笑顔から目を逸らした。
 

 教室のドアを開けると、窓から朝の太陽が斜めに射して宙を舞う細かい埃がきらめいていた。真が自分の席で本を読んでいる。俺は真の机まで急ぎ足で近づいた。
「なあ、ウメがやばい」
 俺は周りを気にして、小声で日曜の出来事を報告した。
「かかしを本物の人間だと思い始めているみたいだ、悪戯だったと打ち明けて謝ろう」
「——そっちを信じないかも知れないぞ」真は真剣な目で俺を見つめた。
 一度形成されてしまった記憶はそれが偽物だろうと、本人の中では実際にあった記憶になる。アメリカの実験でも、偽の記憶を作られた被験者たちに「君が思い出した記憶は偽物なんだよ」と説明しても簡単には信じないらしい。何を馬鹿なことを言っているんだ、自分は実際に覚えているのだと。記憶が完全に作り変えられてしまっているのだ。だから研究者のなかには、記憶をいじる実験は人道に反するのではないかと非難する人も多いという。
「じゃあ、もう冗談でしたじゃ済まされないのかよ」口調を荒くして真につめよった。
「ショッピングモールの迷子実験で、記憶の植え付けに成功した被験者は二十五パーセントだ。まさかここまでうまくいくとは俺も思ってなかった」真は額を抑えて考え込んだ。
「かかしと友達になっても、特に実害がなければほうっておいってもいいんじゃないか。怪我したりする心配はないだろ」
「危険はないかもしれないけど、かかしと話しているとこ見ると頭のおかしい奴みたいだ」
「そんな事言ったら、ぬいぐるみと喋ってるちっちゃな子はみんないかれてるよ。子供が人間じゃないものに話しかけるのは別に不自然な事じゃない」
 お気に入りのぬいぐるみや毛布は小さな子どもにとっては母親の代用のようなものなのだ、と真は説明した。だいたい幼児期でそういうものへの愛着というのはなくなるものだが、もっと大きくなってからもお気に入りへの愛着を持ち続ける人はいて、それほど珍しい行動ではないと言うのだ。
「愛着の対象が他に移ればかかしのことなんてそのうち忘れるさ」
 教室の引き戸が開いて、先生が入ってくる。先生と目が合うと、早く席につけ、と目で咎めてきたので、俺はやむなく話を切り上げて自分の席に座った。

 放課後になると、みんなで一緒に校庭でバスケをした。校門の横にある桜の根元にはかかしがもたせかけてある。汚れたかかしが視界に入るたびに、俺は嫌な気持ちになって唇をかんだ。
「隼、あれってさ、もしかしてウメが持ってきちゃった?」と雄太が近づいてきてかかしを指差しながらささやいた。さすがに不安そうな顔をしている。何かおかしいと感じているようだった。
「さすがにちょっとやばくないか。もうネタばらししちゃおうぜ」
 雄太の言う通りだと思った。真は、カズキがかかしだとウメは信じないかもしれないと言っていたが、やらないで決断を下すのは早すぎる。
「なあ」と俺はウメに声をかけた。
「あれ、かかしだろ? なんであんなとこに突っ立ってんだ。どっから持ってきたんだよ」
「かかしじゃないよ。カズキくんだ」ウメはきっぱりとした声で言った。
「友達なんだ。かかしじゃない」
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