悪魔の儀式

文字数 4,667文字

 ウメがかかしを人間と認めたので、正樹にベジータのカードダスを要求すると正樹は顔をしかめて断った。
「あれはただ周りに合わせただけだろ。心底信じてるわけじゃない」
 正樹の言う通りだった。反論しようにも、絶対に信じていたと言い切れるほどの根拠がない。ほとんど脅迫に近いやり方で無理やり言わせただけた。
「それより、約束忘れてないよな。もしできなかったらお前のカードダスで好きなの俺にくれるって話。俺はスーパーサイヤ人の悟飯が欲しいな」正樹が勝利を確信しているような薄笑いを浮かべた。
 偽の記憶を作り出すにはまずあのかかしを本物の人間と認識させる必要がある。俺は拝殿の前に座って、何か良い方法はないかと考え込んでいた。木々に囲まれた境内には初夏の新緑の匂いが漂っていた。狛犬の台座にはあいかわらず、薄汚れたかかしが立てかけてある。
「アメリカでね」
 いいアイデアを練ろうと頭を抱え込んでいると、隣で真が話し出した。
「ある女性が自分の家族を告訴したんだ」
 女性は一九八五年に太りすぎの問題を解決しようと入院した。女性は退院後も毎週行われる集団カウンセリングに参加し続けた。カウンセリングを続けていくうちに、その女性は子どもの頃の恐ろしい記録を次々と思いだしていったそうだ。家族から受けた、女性いわく「死にたくなるほど」の虐待の記憶だった。女性の両親、兄、祖父、それから親戚は悪魔を崇拝する一族で、父親は女性が十歳の頃からナイフやライフルを使って彼女を虐待し続けていたというのだ。悪魔を祀る儀式では、彼女の三歳になる娘を生贄にしようと切り刻み、火で焼いて、その体の一部を女性に食べさせた。そんな記憶を女性ははっきりと思い出し、家族を告発したのだ。
「それ、実話?」
「女性が家族を訴えたのは実話。ただその悪魔を祀る儀式や子どもが殺されたっていう話は証拠がなく、女性の体にも虐待を証拠付けるような傷が見つからなかったから、実際にはそんなものなかったという結論になって女性の訴えは却下されたんだ」
「なんだってその女の人はそんなすぐにばれそうな作り話をしたんだ? 家族にうらみでもあったのか?」
「はたから見たら作り話だけど、その女性の中では事実なんだ。虐待も、悪魔の儀式も、殺された三歳の娘も、女性の記憶の中では本当にあったことなんだよ。自分の頭の中で作り上げた光景がその女性のなかで本当の記憶として思い出されてるからね。一時期、アメリカではそんな告発がたくさんされて、実際に虐待の罪で捕まった人もいる」
 いきなり身に覚えのない虐待の罪で逮捕される。そのときの混乱と恐怖を思うと怖くなって鳥肌がたった。
「そういった記憶を思い出す女性はみんなカウンセリングを受けていたんだ。カウンセリングでは、カウンセラーが患者の病状から、患者が過去に誰かから虐待を受けていた可能性がある、と診断する。その虐待が現在の心理的な不調の原因であるというのだ。患者はそんな事実はないと否定するが、カウンセラーは、それは抑圧と呼ばれる現象で、記憶から消えているだけだから思い出す努力をするようにと患者に強いる。できるだけ鮮明に、映像を思い描いてみなさい、ってね。患者は言われた通りにその映像を頭に想像する。父親から殴られたり、母親から力一杯髪を引っ張られたりする様子とか。映像を詳細にイメージしてしまうと、実際の記憶の断片と区別がつかなくなってしまうことがあるんだ、前に話したショッピングモールの実験みたいに。それからカウンセラーはさらに記憶を鮮明に思い出させるために、患者に年齢退行の催眠をかけることもある」
「催眠? テレビでたまにやってる催眠術みたいなやつ? あれってほんとうにかかるの?」
「テレビでやってるやつはほんとかどうだか知らないけど、催眠は実際にある。たとえば、授業中にうとうとしているのに先生の声が聞こえている状態なんかが催眠状態に近いかな。そういう時人間は暗示にかかりやすくなるんだって。催眠はアメリカの大学でもちゃんと研究されてるよ。一九六〇年代にスタンフォード大学でヒルガードっていう教授が、ある個人が催眠にかかりやすいかを確かめる検査まで考え出してる。催眠感受性尺度っていうね」
 真の話し方はいつのまにか先生のような口調になっていた。
「それで、カウンセラーは催眠をかけて患者が虐待を受けていたと思われる年齢まで退行させる。すると患者は本当に子供にもどったように振舞い始める。まあ実際は本当にその年齢まで記憶や意識が戻るわけじゃなくて、その患者が思う子どもっぽい振る舞いをしてるだけらしいけどね。ただ患者は自分が子どもの頃に戻っているという暗示がかかっているんで、その催眠中に思い出した記憶を本物の記憶と錯覚してしまうんだ。そこで今までの経験の断片や、カウンセリングで思い描いた映像が再形成されて、自分は親から虐待されていたという記憶が作り出されてしまう」
「でも悪魔の儀式とかいう荒唐無稽な記憶なんて、断片としても形成されようがなくないか?」
「うーん、映画で見た映像が混ざってるんじゃないかな。悪魔的儀式の虐待が多く告発されたのは一九八〇年代だから、ちょうどその頃カウンセリングを受けた人たちは映画の『エクソシスト』を観たことある人が多いだろうし、それからホラー映画がブームになってるから。昔見たフィクションからだって十分偽の記憶は形成されるよ。催眠をかけられて前世の記憶を思い出した人がいて、ローマ帝国で暮らしていた生活を詳細に語ったことがあったんだけど、その人が昔読んだ小説の内容そのまんまだったんだって。ただ読んだことは本人も忘れてて、そういうのをクリプトムネジア現象という。日本語にすると無意識の剽窃って意味だ」
「じゃあ、ウメにかかしの記憶を作り出すのはあながち不可能でもないんだな」
「もちろん、偽の記憶を埋め込むのは難しい、でも不可能じゃない。ウメは感受性が強いから催眠にはかかりやすいだろうな」
「その催眠状態になれば、あのかかしを人間だって認識しやすくなるのか?」
「うまく催眠に入れば、それこそ一発で出来るよ」 
 賭けに勝つ糸口が見えてきて、俺は熱心に真の話に耳を傾けた。
「どうすればその催眠状態にできるわけ?」
「そうだな、頭が意識と無意識の中間で、ぼーっとしている状態を作り出せばいい。疲れ切って、何も考えられない状態で同じ動作を繰り返すとか」
 同じことを繰り返していくうちに頭がぼんやりして何も考えられなくなる。真が入っているその状態をどこかで経験したことがあるような気がして考えていると、兄ちゃんの顔が浮かんだ。
 俺が誰か上級生とケンカしたときのことだ。俺はほとんど何もできずに一方的にやられ、泣きながら家に帰った。家に着くとお父さんもお母さんも出かけていて、リビングのテーブルで兄ちゃんがジャンプを読んでいた。親に泣き顔を見られたくなかったので、兄ちゃんしかいなくて少しほっとした。
「どうした? なんで泣いてんだ」
 兄ちゃんはジャンプを閉じると心配そうに声をかけてきた。
「強くなるにはどうすればいいのかな」兄ちゃんの質問には答えず、俺は悔しさを滲ませてそう言った。
「強くなる? そのためには修行あるのみだ」
 言っていることは正しい気もするが、修行という言葉の響きがなんだか浮世離れしていておかしかった。兄ちゃんもドラゴンボールが好きだったから、そんな言葉が出てきたのかもしれない。兄ちゃんが俺の背中を力強く叩いて「こい。俺が修行をつけてやる」と僕を庭に連れ出した。
「ケンカは相手を押し倒してマウントポジションを取れれば勝ったも同然だ」
 兄ちゃんはそう説明して、有利にマウントポジションを取れるように、転ばせるための柔道の足技を教えてくれた。ケンカで使うならたくさん覚えるよりはひとつを完璧に仕上げたほうがいいということになり、俺は兄ちゃん相手にひたすら大外刈りの練習をした。最初は何度足をかけてもかわされ、反対に地面に倒されっぱなしだった。隙を突こうとしては手の内を読まれ、その度に転がされた。なんども立っては転ばされ、また立っては転ばされを繰り返していると、そのうちに頭がぼんやりとしてきて何も考えられなくなり、白い靄に包まれているような気がしてきた。ぼーっとした頭のまま、ふと無意識に出した足が兄ちゃんの足首を捉え、そのまま後ろへ転ばせた。
「あはは、まいった」
 兄ちゃんは地面に横たわりながら、なぜか楽しそうに笑った。背中の土を払いながら立ち上がると、「よくがんばったな」と僕の肩を優しく叩いた。真の言っている催眠状態というのは、どうやらあの時のぼんやりした状態のことらしい。
 大外刈りの練習をしながらそわそわとみんなを待っていると、雄太と正樹がやってきた。雄太は一人で空気を相手に戦っている俺をみて、ふふっと笑った。
「何してんだよ」
「今日さ、みんなで柔道大会しようぜ」
「柔道? なんで?」
「なんかさ、オリンピックでヤワラちゃん見てたら急にやりたくなった」
 雄太と組み合って柔道の真似事をしていると、亮平とウメも石段を上がってきた。
「なにしてんの? 柔道?」
「そう。なんか隼がヤワラちゃん見てやりたくなったんだって」
 じゃんけんで対戦相手を決めると、柔道大会が始まった。誰も柔道の経験なんてなかったしルールもよくわからないので、柔道というよりはただ組み合いながら足をかけて転ばせ合っているだけだったが、やってみると思っていたよりも楽しく、みんなで笑い声をあげながら必死になって相手を転ばせようとしていた。
 俺とウメの対戦する順番が回ってきた。俺はなるべくウメを疲れさせようとして、防戦一方で試合を長引かせた。ウメが足をかけてくると、わざとよろけて転びそうなふりをして、ぎりぎりで耐える。たまに攻撃をしかけるが、ウメが簡単によけられるようにわざと手を抜いた。
「おまえ、強いな。才能あるんじゃないか」
 そう言うと、ウメはさらに勢いづいて攻撃をしかけてきた。もう少しで倒せそうな手応えを感じているらしく、ウメははしゃいだ笑い声をあげて足をかけてくる。俺は大げさに「うおっ」とか「やべ」とか叫んではよろけ、転びそうになる振りをしては踏ん張っていた。
 試合が長引いていき、ウメの顔から笑顔が消えて呼吸が荒くなってくる。俺はときどきタイミングをみはからって隙を見せ、もう少しで倒せそうだという期待をウメに持たせ続けた。ウメはすっかり夢中になっていた。俺の隙を見極めようと足元に集中し、時どきこちらからしかける攻撃にも用心深くかまえている。雄太たちが飛ばすヤジも耳に入っていない。ただ俺を倒すことだけにすべての意識を集中している。顔に疲労の色が浮かんでいるが、俺の肩をつかむ手には無意識に力がこもっていた。そろそろ頃合いだと判断した。
「ほら、カズキも応援してるぞ」
 俺が拝殿の方を顎で示すとウメもそちらに顔を向けた。ウメの手から力が抜け、足の動きが止まった。口をぽかんと開けたまま、まばたきもせずに拝殿の方を見つめている。ウメの視線の先では、あの汚れたかかしが命を吹き込まれたように一本足で飛び跳ねていたのだ。ウメは拝殿の下で踊るように跳ねるかかしに目を奪われ、俺と組み合っていることなどすっかり意識から抜けてしまっている。俺はウメの唖然とした顔を観察しながらゆっくりと心の中で十まで数えると、ウメのふくらはぎに自分の脚を絡ませ、大外刈りで押し倒した。
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