自己犠牲

文字数 3,797文字

 正樹の家に戻ると、和希が一人で玄関の前に座りこんで僕を待っていた。
「お、おかえり。隼いた?」
「うん、秘密基地にいた。でも今日はこれないって」
 社で絶えずつきまとっていた、奇妙な違和感を打ち明けようかと迷ったが、結局言い出せなかった。
 みんなでゲームをやっていても、心に何か引っかかるものを感じて楽しめなかった。何度か話を切り出してみようかと思ったけれど、盛り上がっている亮平と正樹を見ていると水を差すようで気が引けたし、もしふたりが興味を示さなければそれきりその話は持ち出せないんじゃないかと心配でもあった。和希もふたりに合わせて騒いでいるが、ふとした時に顔に影がよぎることがある。心から楽しめていないらしい。
 正樹の家に五時までいた。みんなで次に遊ぶ日の約束を決めると、和希と僕はまたいつかのように二人で住宅街を歩いた。夏の夕方にアブラゼミの声が響いて、空気には昼の熱気が残っている。和希と僕は家で飼っているメダカの話をしながら歩いていたが、あの曲がり角に近づくにつれてどちらともなく言葉数が少なくなった。
「なあ」曲がり角に差し掛かると和希は足を止めた。「俺がいるからだよな」
 なんと答えていいかわからなかった。僕らが和希と一緒にいるのは単純に和希が好きだからだし、隼が和希を避けるのもつまらないプライドを傷つけられて意地を張っているだけに見えた。それにウメのこともあった。意識的か無意識かはわからないが、隼が自分の抱えている悪夢をウメにも見せて心のバランスを保っていたのは間違いない。それを阻止したからといって和希を敵視するのは筋が通らないし、隼だってその理屈がわからないはずはないのだ。もしかしたら隼は、自分がなぜ和希を拒絶するのか自分でもよくわかっていないんじゃないかという気がした。
 隼の境遇はもちろん気の毒だとは思う。悪魔のような、狂気に絡みとられた兄がいるのだ。だからといって、自分の苦しさをほかの誰かにぶつけることに正当性なんてどこにもない。
 それでも和希は隼を一人ぼっちにしてしまっていることへ罪悪感があるらしかった。隼が受けている「修行」を目の当たりにして、自分の痛みのように胸を切り刻まれてしまっているのだろう。
「あのさ雄太。俺がいなければ隼はくると思う?」
 今日、社で隼を遊びに誘ったときの様子を思い返した。機嫌は良さそうだったし、別れ際には夏休み前の確執など感じさせない調子で、今度みんなで一緒にバスケしようぜとも言っていた。
「多分くると思う。でもなに、それじゃ和希抜きで遊ぶってこと?」
「しばらくの間は。俺がいなければ隼もきやすいだろうし、とりあえずみんなと前みたいに遊べるようになってから、俺は徐々に仲直りしていければいいと思う。最初のうちは顔を合わせるくらいで、それからちょっとずつ一緒にいる時間を増やしていけば。うまくいかないかな」
 たしかに、隼と僕たちのあいだの亀裂を放っておいて、いつまでも隼を独りにしておくわけにもいかなかったし、その提案よりほかに方法はない気がした。和希を犠牲にするようで嫌だったけど、隼がもっとも避けているのは和希なのだ。まずそこの課題をクリアするためと納得するしかない。
 隼との溝を埋めるためにはもうひとつ解決しなくてはならない課題があった。
「ウメが——」
 僕が不安げにつぶやくと、和希は僕が言おうとしていることを察したようで、「ああ」と考え込むように黙った。
「隼はストレスから身を守るためウメに当たってるだろ。だから、ストレスの発散方法を違うやり方に変えられれば、やめさせられるような気がするんだ」
「なんかいいアイデアある?」
「俺らにできることと言ったら、とにかく一緒に遊んで、バカみたいに楽しむしかないんじゃないか。バカみたいに楽しく遊びまくって、ちょっとでも嫌なことが忘れられれば、隼も少しは気が晴れるよ」
 和希の言う通りかもしれない。まだ子供で、悲しいほど無力な僕たちには、そんなやり方でしか友達を救う方法がない。
「でも、それ実行するなら、俺だけじゃなくて亮平と正樹にも相談しないと」
「うん。今度切り出してみる」
 夕暮れの風が、戯れるように庭木の葉を揺らしている。和希の言うことがそう簡単にいくかわからない。でも、もしもうまくいかなくて、隼がウメに「修行」をしようとすれば、代わりに僕が受ければいいと思った。ウメや和希だけに負担をかけて、見て見ぬ振りをしているわけにはいかない。人のことなんてきっとそう急には変えられないが、少しずついい方へ向けていければいい。和希がいれば、必ず隼をいい方向へ変えてくれる気がした。

 和希が正樹たちにその話を持ち出したのはそれから二日後だった。その日の昼過ぎ、僕たちはザリガニを捕まえに田んぼに来ていた。「ザリガニに青魚を食べさせ続けると体が青くなる」という話を正樹がお父さんから聞いて、観察日記をつけて自由研究の宿題にすることにしたらしい。今日はウメも一緒で、田んぼの泥に魚取り用の網をつっこんでは楽しそうにはしゃいでいる。
「こんなもんでいいかな。帰ってスーファミやろうぜ」
 正樹は小さいのを五匹ほど捕まえて満足し、僕たちはザリガニの入ったバケツを交代で持ちながら正樹の家へと向かった。
「あのさ、ちょっとみんなに話したいことがあるんだけど」
 正樹の家の居間でスーファミをセットしていると、和希がそう切り出した。内容はもちろん隼のことだった。隼とみんなとの溝を埋めたい、隼は自分を避けているから、まずは自分抜きで隼を入れて遊んでほしい、馴染んできたら自分も少しずつ輪に加わる——。ウメは顔にかすかな不安の色を浮かべたが、自分の意見は言わなかった。みんなが出す結論を待って、自分の意思を多数決に委ねるつもりのようだ。亮平も正樹も、隼を仲間はずれにしているような現状にどこか居心地の悪さを感じていたようで、隼をまた遊びに誘うことに関しては反対はないらしい。
「でもさ、それだと今度は和希が仲間はずれみたいになっちゃうじゃん」
 亮平の声は不服そうだった。たしかに、みんながそこに引っかかっていた。原因は隼にあるのに、和希が自分を犠牲にするのは理不尽じゃないのかと。みんなで黙りこくって考え込んでいると、二階から高校生の正樹のお姉ちゃんが降りてきて、キッチンで水を飲むとあくびをした。
「あんたたちどうしたの、みんなして黙り込んで。なんかこわいんだけど」
 正樹が事情を説明し、どうしたらいいかと尋ねた。
「ローテーション組めばいいんじゃないの」
「ローテーション?」
 隼と遊ぶ日と和希と遊ぶ日を分ければいいというのが姉ちゃんの意見だった。それなら、どちらかが長期間を独りで過ごさずに済む。ことが決まればさっそく今日から隼を呼ぶべきだと和希が言い張った。もしこれるようなら、今日を隼と遊ぶ日にして自分は帰るというのだ。正樹が電話すると、隼は家にいた。
「今から来るってさ」
 それを聞いて和希は安心したように帰っていった。嬉しそうな和希を見て僕は胸が苦しくなるのを感じた。ありがとうと言いたかったのに、僕が言うのもなんだか不自然のような気がして、なんの言葉もかけられなかったからだ。
 二十分ほどすると、僕たちがストⅡの対戦をやっているところへ隼がやってきた。
「お、これ新しいやつ? 四天王使えるんだよな」
 隼はとくに無理をしている様子もなく、自然に僕たちの中に溶け込んだ。みんな口には出さなかったが、隼がきたらどういう風に受け入れようかと構えて少し緊張していたので、いつも通りの態度を見て僕たち四人はぼんやりと拍子抜けしていた。隼は正樹から説明書を借りて、キャラの操作方法を確認している。僕も横から説明書をながめていると、隼がときどきページをめくりながら顔をしかめて左の首の付け根を抑えているのに気がついた。
「首、寝違えた?」
「ん? いや、昨日直登とプロレスやってて、スリーパーホールドかけられたんだ」
 僕の胸に不安の影が射した。「修行」の気配を感じ取ったのだ。
「おし、だいたいわかった。ウメ、対戦しようぜ」
 隼はまだコマンド操作に慣れておらず、必殺技がうまくだせていない。隼の使うサガットは二十秒もしないうちにウメのガイルにKOされてしまっていた。
「お前、ちょっと手加減しろよ。こっちはまだ慣れてねんだよ」
 文句をいいながらも、声は楽しそうだったし顔は笑っている。見事に二連敗を喫したあとも、亮平と正樹の対戦を見物しながら、ヤジを飛ばしてはしゃいでいた。首を痛めるほどの「修行」を受けたはずなのに、闇のような憂鬱がどこにも見当たらない。これまでの隼からは考えられなかった。もしかしたら独りでいるあいだに何か思うことがあったのかもしれないし、和希の言っていた防衛なんとかの違うやり方を見つけたのかもしれない。
「うわ、今のは絶対昇龍拳で撃墜するとこじゃん。なんで波動拳? ウメ、見たか今の。へったくそー」
「うっせーな、おまえなんかもっと下手だったじゃねーか」
 二人のプレイをからかいながら、隼とウメは一緒に声をあげて笑っていた。隼の楽しそうな顔を見ていると、僕たちを隔てていた亀裂がいつのまにか埋まっているのを感じられた。あとはここに和希が入れば、誰も孤立なんてしなくて済む。今のこの調子だとそう遠くはないはずだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み