7. この人は・・・

文字数 1,172文字

 イヴだ。

 ようやくエミリオを見つけたイヴは、幸い(かん)が冴えていてすぐに状況を理解し、あわてて駆けつけると、(かば)うようにしてエミリオの腰にしがみついたのである。

「この人は・・・。」

 息を切らせながら(しゃべ)りだした彼女の声は、それだけで胸を打たれるものがあった。

「この人は口がきけないのです、皇子様。生まれつき病気で声を失いました。ですから、言葉を話すことができないのでございます。」

 今度はイヴによって反射的に手を放したランセルは、まだ下ろしきれなかったその腕を力無く垂れた。

「口が・・・きけない・・・?」

 兄に酷似(こくじ)の青年を、あらためて呆然(ぼうぜん)と眺めるランセル。それからのろのろと首を動かして、彼女のこともよくよく見た。

 そのイヴは、午後からの務めの都合で修道女の姿のままでいた。

 ランセルは、各地の修道女の仕事がどういうものかは知っていた。だから、彼女が受け持つ青年  ―― 障碍(しょうがい)があり心身ともに助けが必要な者 ―― を激しい口調で困らせている気持ちになり、ただただ呆然とした。

「皇太子殿下・・・。」
 どうにか連れ戻す機会を得たことを見て取った男は、うやうやしく慎重に静かな声をかける。

 従者に優しく(うなが)されて、ランセルはおもむろに背中を返した。
 だがふと、思いたったように一度だけ振り返った。

 すると、ランセルはまた目をみはった。青年の鎖骨(さこつ)の下あたりを凝視している。彼の上着の開いた(えり)ぐりから(のぞ)いている、あるもの。それを認めてのことだ。

 だがランセルは、「兄上・・・。」と、声を出さずにつぶやいた。

 そのうち大臣まで迎えに来て、名残惜(なごりお)しげに(たたず)んでいるランセル皇子のそばにひざまずいた。
「殿下、みな動揺しております。何卒(なにとぞ)・・・。」

 そうして、ようやくランセルは行列へと戻って行った。

 その姿が少し離れるのを待ってから、近衛兵(このえへい)の男、過去には不名誉な暗殺部隊のリーダーだったその男は向き直り、周りに分からないようさりげなく一礼した。

 エミリオもかすかにうなずいて、それに応えた。

 一方、家来数人がかりで(なだ)められていたフレイザーも、何とか落ち着きを取り戻したようである。

 やがて帝国エルファラムの騎士団一行(いっこう)は、列を整えてもとの通りに整然と動きだした。

 ゆっくりと白馬を歩かせながら、ランセルは、人込みを縫うようにして去っていく青年の後ろ姿を見ていた。

 ランセルは知っていた。兄が少年時代に鎖骨の下あたりに負った火傷(やけど)のことを。その真相までは、その時は知る(よし)もなかったが。

 分かりました・・・兄上。あの時の約束を果たすべく、期待に応えられるよう力を尽くします。エルファラム帝国の繁栄(はんえい)と、臣民の幸福のために。ですが・・・。

 ランセルは、つい本音のため息をついて、また声にせずつぶやいた。

 私には、越えることなどできないでしょう・・・兄上が、どのようなお姿になられても。





ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み