18. 初恋
文字数 2,447文字
メイリンが戸締 りをしているあいだ、リューイは、ヘッドボードの上に掛けられている絵画を見つめていた。三頭の鹿 の親子が、木漏 れ日の中で寄り添っている絵である。ここへ来て初めてその絵に気づいてからというもの、リューイはたびたび目を向けていた。なぜか目を奪われた。なぜか、それを見ているあいだ無性に切なくなる。そのわけの分からない胸の痛みに、覚えがある気がした。
「上手でしょ。ママが画家だったの。私も時々描くのよ。ここに遊びに来てくれる森の動物たちをね。なぜかしら、私が独りになってすぐだったわ。この森の動物たちが次々と訪れてくれるようになったのよ。とても寂しかったけど、おかげで少しは紛 れるわ。それで、仕事がお休みの日は、ママみたいにその子たちの絵を描いたりして過ごすの。スケッチ程度だけど。」
そんなリューイの様子に気づいてそう声をかけると、メイリンは続けた。
「もっとたくさんの絵があったんだけど、全部売れて、残ったのはそれだけなの。私、その絵が大好きだから、最後までとっておいたのよ。それを見てると、パパとママを見てるみたいだから。」
「俺も・・・だからかな。」
「え・・・。」
「ああ、いや、俺も・・・この絵いいなと思って。」
リューイは、自分には家族がいるのだろうかと考えた。だがなぜか、父親のことよりも母親のことを思うと急に胸が締めつけられる。直感的に、自分にも母親はいないのではないか・・・という気がした。
メイリンはサイドテーブルのガラスの筒に蝋燭 を灯 し、ランプの明かりを消して、ベッドに横になった。リューイが隣に寝転ぶとメイリンはそっと擦 り寄り、彼の胸に少しだけ額 を付けた。
メイリンは静かに目をつむっていたが、リューイは天井を見つめたまま、また何やら考えだして止まらなくなってしまった。今度は、鋭 い顔のあの青年と、リューイという名前のことだ。今は、どちらにも覚えがある気がする。だが、思い出せそうで思い出せないもどかしさに、思い出したら自分はきっと出ていくことになるという恐怖が入り込んできて邪魔をする。
だけど知り合いが現れた以上、逃げてちゃダメだ。もし待っている人がいるなら、そこに戻らないといけない。そう思うなら、早い方がいい。一緒にいればいるほど、互いに辛 くなる。今ならまだ、メイリンだって戻れるはず・・・。
思い立ったようにリューイは勇気を出して、少しムキにもなりかけた。
しかし結局は、考え込んで疲れるまでどうしても思い出せなかった。
リューイは複雑な気持ちで、大きなため息をついた。
メイリンはほとんどもう眠りにつきかけていたが、彼のこの様子には気付いていた。
「ねえ、焦 ることないわ。ここでよければ、本当にずっといていいのよ。」
目を閉じたままで、メイリンはそう囁 いた。いけないと思いつつも、彼の記憶が戻らないでいてくれることを、心のどこかで切に願っている自分に気付いていた。
「・・・ありがとう。」
リューイがしばらくしてから静かにそう返した時には、メイリンはもう眠ってしまっていた。
なかなか寝付けずにいたリューイも、つられるようにしてようやく眠りにつくことができた。
外では、いつものようにフクロウが木の上で見守り、いつものようにやってきた夜行性の動物たちが、窓の外から静かに二人の様子をうかがっている。
真夜中、メイリンは久しぶりに夢を見た。
乱暴そうな数人の男性が、ドカドカと家に乱入してくる夢である。
だがその夢は悲鳴を上げる前にすぐに切り替わり、ひっそりとした場面になった。動物たちもいない霧 が漂 う早朝の森の中・・・そこに、しばらくすると一つ影が現れた。きっと彼だ。メイリンは、その顔がはっきりと分かるところまで駆け足で近付いていく。
ところがたどり着く前に、彼は背中を向けた。
悲しいほほ笑みを残して・・・。
メイリンは不意に目を覚ました。
すると、目の前に彼の顔が。
どうしたのか、彼は体を起こして心配そうに覗 き込んでくるのである。
「どうして・・・泣いてるの。」と、彼が言った。
「泣いてる・・・?」
メイリンは、目じりと頬 に手をやった。確かに濡れている。心当たりはあるものの、どうやらワケが分からないのは自分の方らしいとメイリンは気付いた。
「ほんと・・・私、泣いてるわ。」
「悲しい夢でも見た?」
「ええ、あなたが・・・あ、じゃなくて、パパとママの夢。また思い出しちゃった。」
「そうなんだ・・・。眠れる?」
「ん・・・大丈夫。」
そううなずいて、メイリンは作り笑った。
「じゃあ、メイリンが眠ってから寝るよ。」
リューイもそう言うと、目をしっかりと開けて再びベッドに体を伸ばした。
そしてメイリンは、彼にしがみつくようにして目を閉じた。
リューイは両手を頭の後ろに組んでいた。狭 いので邪魔になると思って、いつもそうしていた。だがこの時、リューイはその手をゆっくりとほどいた。そして体を横にしながら、右手をメイリンの背中にそろそろと回していった。
彼のおかげか、メイリンは意外にもしばらくするとまた眠りに落ちていて、これに気付くことなく、もう、すやすやと寝息を漏らしている。
なぜか急にやるせなくなったリューイは、そのままメイリンの寝顔をじっと見つめた。軽く背中に回した手は自然と動き出して、彼女の額 や頬 を優しく、そして愛しげに撫 で始める・・・。
すると、はっきりと気持ちが見えた。
これは・・・ただの好きじゃない。
そう気付いたとたん、リューイは無性にメイリンを抱きしめてみたくなり、彼女の肩や頭を自分の胸に押し付けた。
あたたかい・・・。
人の体温・・・特別だと思える人の温もりを、リューイは初めて全身で感じた気がした。もっと感じてみたくて、やたらに頬 をすり寄せる。
こんな感情や感覚を、前にも覚えたことがあったのだろうか。自分のそばには誰がいたんだろう。
記憶が戻っても、メイリンと一緒にいられたら・・・。
何とも言えない、涙ぐむような切なさがこみ上げた。
「上手でしょ。ママが画家だったの。私も時々描くのよ。ここに遊びに来てくれる森の動物たちをね。なぜかしら、私が独りになってすぐだったわ。この森の動物たちが次々と訪れてくれるようになったのよ。とても寂しかったけど、おかげで少しは
そんなリューイの様子に気づいてそう声をかけると、メイリンは続けた。
「もっとたくさんの絵があったんだけど、全部売れて、残ったのはそれだけなの。私、その絵が大好きだから、最後までとっておいたのよ。それを見てると、パパとママを見てるみたいだから。」
「俺も・・・だからかな。」
「え・・・。」
「ああ、いや、俺も・・・この絵いいなと思って。」
リューイは、自分には家族がいるのだろうかと考えた。だがなぜか、父親のことよりも母親のことを思うと急に胸が締めつけられる。直感的に、自分にも母親はいないのではないか・・・という気がした。
メイリンはサイドテーブルのガラスの筒に
メイリンは静かに目をつむっていたが、リューイは天井を見つめたまま、また何やら考えだして止まらなくなってしまった。今度は、
だけど知り合いが現れた以上、逃げてちゃダメだ。もし待っている人がいるなら、そこに戻らないといけない。そう思うなら、早い方がいい。一緒にいればいるほど、互いに
思い立ったようにリューイは勇気を出して、少しムキにもなりかけた。
しかし結局は、考え込んで疲れるまでどうしても思い出せなかった。
リューイは複雑な気持ちで、大きなため息をついた。
メイリンはほとんどもう眠りにつきかけていたが、彼のこの様子には気付いていた。
「ねえ、
目を閉じたままで、メイリンはそう
「・・・ありがとう。」
リューイがしばらくしてから静かにそう返した時には、メイリンはもう眠ってしまっていた。
なかなか寝付けずにいたリューイも、つられるようにしてようやく眠りにつくことができた。
外では、いつものようにフクロウが木の上で見守り、いつものようにやってきた夜行性の動物たちが、窓の外から静かに二人の様子をうかがっている。
真夜中、メイリンは久しぶりに夢を見た。
乱暴そうな数人の男性が、ドカドカと家に乱入してくる夢である。
だがその夢は悲鳴を上げる前にすぐに切り替わり、ひっそりとした場面になった。動物たちもいない
ところがたどり着く前に、彼は背中を向けた。
悲しいほほ笑みを残して・・・。
メイリンは不意に目を覚ました。
すると、目の前に彼の顔が。
どうしたのか、彼は体を起こして心配そうに
「どうして・・・泣いてるの。」と、彼が言った。
「泣いてる・・・?」
メイリンは、目じりと
「ほんと・・・私、泣いてるわ。」
「悲しい夢でも見た?」
「ええ、あなたが・・・あ、じゃなくて、パパとママの夢。また思い出しちゃった。」
「そうなんだ・・・。眠れる?」
「ん・・・大丈夫。」
そううなずいて、メイリンは作り笑った。
「じゃあ、メイリンが眠ってから寝るよ。」
リューイもそう言うと、目をしっかりと開けて再びベッドに体を伸ばした。
そしてメイリンは、彼にしがみつくようにして目を閉じた。
リューイは両手を頭の後ろに組んでいた。
彼のおかげか、メイリンは意外にもしばらくするとまた眠りに落ちていて、これに気付くことなく、もう、すやすやと寝息を漏らしている。
なぜか急にやるせなくなったリューイは、そのままメイリンの寝顔をじっと見つめた。軽く背中に回した手は自然と動き出して、彼女の
すると、はっきりと気持ちが見えた。
これは・・・ただの好きじゃない。
そう気付いたとたん、リューイは無性にメイリンを抱きしめてみたくなり、彼女の肩や頭を自分の胸に押し付けた。
あたたかい・・・。
人の体温・・・特別だと思える人の温もりを、リューイは初めて全身で感じた気がした。もっと感じてみたくて、やたらに
こんな感情や感覚を、前にも覚えたことがあったのだろうか。自分のそばには誰がいたんだろう。
記憶が戻っても、メイリンと一緒にいられたら・・・。
何とも言えない、涙ぐむような切なさがこみ上げた。
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