8. 崖下の人影

文字数 1,557文字

 夜の(とばり)が下りてくる中、(わだち)を刻む車輪の音が、少女の陽気な鼻歌とあいまって静かな森の中に響いている。

 少女は、村での仕事を終えて帰路をたどっていた。簡素な木箱を()せただけのような荷台を、一頭のロバが疲れも見せずに元気よく引いている。御者台にいるのは、十七か八歳くらいの年若いその少女と、彼女がさっき点けたばかりのランタンだけだった。

 突然、道端(みちばた)でロバが勝手に立ち止まった。ロバは、木々の向こうの珍しくもない黒い壁が、どうやら気になるらしい。そこに断崖(だんがい)があることは、少女はいつも見ていて知っていた。

「どうしたの?ペル。」

 ロバに向かってそう声をかけた少女は、ランタンを手に取って、木々の向こうを照らしてみた。

 すると何か・・・人影(ひとかげ)らしきものをとらえたかに見えた。だが、その影は立ってはいない。地面に横たわっているようだ。

 その瞬間、少女はハッとした。そして心の中で、「あの夢・・・。」とつぶやいた。
 
 恐る恐る、ペルをそちらへ進ませる。

 すると、ランタンの明かりの中に、人の姿がはっきりと浮かび上がった。

 驚いて、少女は口に片手を当てた。ただ、その一方では、やはり・・・と思う。この人のことを知っていると。三日前の夢で見た男の人と、背格好がよく似ているから。夢の中のその人は、そう・・・(がけ)の上から落ちてきたように見えた。

 少女は馬車から降りて、少し近づいてみた。

 彼はうつ伏せの状態で倒れているらしい。

 少女は、彼の体から上へと、ランタンの明かりを徐々(じょじょ)に上げていく。やはり、そこは切り立った崖になっている。状況から考えても、上から落ちたとして生きていられるとは思えなかった。

「やだ、どうしよう・・・。」

 少女はひどく(あわ)てたものの、見て見ぬふりをするわけにもいかない。勇気を振り絞って、さらに接近した。顔は向こう側へ向けられているので、ランタンの明かりを向けて、そうっと(のぞ)きこんでみる。

 見たこともない金髪の美青年だ・・・。

 金色の髪をしているので血の赤がすぐに目についたが、ほとんど固まりかけている。着衣は上下とも土にまみれ、ところどころ(やぶ)れていてボロボロだった。

 だが、血色は死んでいるような悪いものではないように見える。ただ気絶しているだけのようで、そこで少女は、思いきって彼の首筋(くびすじ)に手を当ててみた。

 すると、なんと体温も脈もある。

 ホッとしながら、少女はすぐに手当てをしてやらなければと奮い立った。それからよく考えもしないで、普通に彼の両脇を持ち上げようと・・・しまった。ズシッという重みに耐えられず、よろめいて尻もちをつく羽目に。腰を上げられない。彼は筋骨(きんこつ)たくましい長身で、自分との体格差がありすぎる・・・。でも、なんとかして馬車の荷台へ乗せないと・・・。

 そこで辺りを少しうろついたが、助けを求めようにも、誰も通る気配がしない。ほぼ毎日ほぼ同じ時間に通っている道なので、絶望的であると(あきら)めるのは早かった。

 しばらく思案していた少女は、馬車を振り返った。そして、荷台から視線を引き馬の方へ・・・。

 少女はロバから荷台を外して、青年のそばに座らせた。

「ペル、彼を運んでくれる?」

 するとペルは、キツいお願いでもおとなしく聞いてやり、地面に首を伸ばした。

 気合いを入れ直して、少女は再び正面から彼の脇に手をかける。休み休み、何度もありったけの力を振り絞り、そうとう悪戦苦闘した。
 するとやっとのこと、彼をペルの背中へ引き摺り上げることができたのだ。こんなの無理とさんざん愚痴(ぐち)りながらも。

 一方のペルも、予想以上にこたえたよう。だが、隣について歩く少女に(はげ)まされて立ち上がり、しっかりと歩き出した。

 そうして、一人の少女と一頭のロバは、間もなく帰り着く森の住まいへと、謎の金髪青年をひとまず連れて帰ることになった。 






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