2. 北の森 ― バルン ―
文字数 2,245文字
鮮やかな緑色の平野を見渡せるメルクローゼ公国には、大陸最古にして最大の大樹が静かに見守り続ける森、バルンがある。
エヴァロンやイデュオンなどと同じく聖なる森の名がつけられたバルンは、大陸の北側に属していることから、南ではまだ暑さが厳しい、秋が深まる前の真昼でも、連日爽 やかで清々 しい風が吹き抜けていた。
アルタクティス大陸の気候は、地域ごとの夏と冬の気温差に大きな開きはないので、一年を通してその土地の季節が急激に変化することはないが、北になればなるほど寒く、南になればなるほど暑いという性質であるため、北の冬と南の夏の気温差であれば、その差は激しい。
そして、熱帯のアースリーヴェなど特殊な地域を除いて、全体的に昼と夜の気温差も大きく、砂漠地帯などでは、昼間の気温上昇と夜間の気温低下は特に著 しくなる。
一行は予定通りに北の国メルクローゼ公国に到着し、今はその森バルンにいる。落葉樹 の多い森だが、木々はまだ葉を茂 らせていて、風が吹くたび心地よい葉擦 れの音が耳をくすぐってゆく。
川の水で顔を洗ったあと、レッドは小高くなった場所まで歩いて、そこの草地の上に腰を下ろした。陽光を受けて輝くみなもを、ひとり物憂 げに見つめる。目に浮かぶのは、その浅瀬で元気にはしゃぐ幼い少女の姿だ。
レッドが重いため息をついた時、背後からギルがやってきて、そんなレッドの顔をのぞきこむようにしながら隣に座った。
「どうした?背中が寂しそうだぜ。」
そう言われて、レッドは一度ギルの顔を見たが、また目の前にある川の流れに目をやり、ため息を重ねた。
「どうにも落ちつかなくてな・・・やっぱり。」
「ミーアのことか?」
「ああ。あいつは俺が守ると誓って連れ出してきた。なのに、いくらエミリオにとはいえ、途中で他人に任せるなんて無責任だろう。いや、何よりやっぱり、自分であいつのことみていたかったからさ・・・。」
レッドの横顔は、剣を両手に幾人 もの敵をまとめて斬り殺すことができるような男にはとうてい見えないほど優しくて、なんとも弱々しいものに見えた。
「エミリオも責任重大だな。なあレッド、こう考えたらどうだろう。ヴェネッサからレザンの町まで、馬の旅で最短距離をくれば一か月ほどでたどり着けるんだ。それまでの約二か月間の神殿暮らしは、ミーアにとってもいい経験になると思うぞ。」
「そうだな・・・けど、気になって仕方がないんだ。身の安全もそうだが、寂しがってやしないかなって・・・メシ・・・食わなくなるような気がするんだよな・・・。」
「・・・いずれ城に帰すんだろ?最終的な別れがきた時、ミーアが飢え死にすることをずっと心配し続けるつもりか。俺は、そんなお前の方が心配だよ。」
「ああそうか・・・。そうだな、あいつは俺たちとずっと一緒にいるわけにはいかないんだ。そんな心配・・・するなんて、おかしいな。情けねえ、いつからこんなになっちまったんだろう。俺はずっと一匹狼でやってきたってのに。」
レッドは虚 ろな声でそう言って、ふっと苦笑いを漏らした。
「ずっと一緒にいられないのは、俺たちだって同じだがな。」
ギルも寂しそうな微笑を返し、静かな声で続けた。
「実はな、俺もお前たちと別れる時のことを考えると、どうしようもなく悲しくなることがある。初めは、人のためなら、簡単に命を擲 てるようなエミリオと絆 が深まることが怖くもあった。だが、今は全員に対してそう思う。それでも俺は、カイルの言う受け入れ難い運命とやらのおかげだとしても、お前たちと出会え、こうして共に旅ができることには感謝しているんだ。それだけ別れが辛いものになるとしても、その日が来るまで、お前たちとはこの先も思い出を重ね、絆を深め合っていきたいと思っている。」
「怖い思い出もか?」
「そうだな。俺たちの運命とやらには、そういうのもありだったな。」
二人は一緒になって笑い声を上げた。
「それにしても、森の神が北へ行ったってのは、ほんとなんだな。」
唐突 に、レッドが言い出した。
「急にどうした。」
「リューイが俺に話してくれた神話を思い出したんだよ。海の神の息子オルフェと、森の神の娘リーヴェの話だ(※)。せっかくのラブストーリーを子供から聞かされたようなものだったが。ロマンチックに語ってやろうか。」
「それなら聞いてみたいが、あいにく知ってる。リューイの故郷の物語だろ。一緒になるために人間になろうとした二人の仲を引き裂くために、森の神がリーヴェを連れて南から北の国へ移ったっていう。そういえば、あいつの石は海の神だったな。で、故郷はその南の樹海か。森の神ノーレムモーヴの石を持ってるのは、女性かもな。なんとなく。」
ギルは一息おいて、辺りを見回した。
「ところで、そのリューイはどこへ行ったんだ?一緒にいるかと思ったが。あいつに食材調達してもらおうと思ったのに。」
「ああ、最近なまりぎみだからって・・・ちょっと暴れてくるってさ。ここへ戻ってくると思うが。」
「なまりぎみ・・・あいつの辞書にそんな文字があるのか。」
「まったくな。」
そう答えると、レッドは頭の後ろに手を組んで、目を閉じながら背中を倒した。ひと眠りしようと。
ギルもそれに倣 ったが、昼寝するつもりはなく、そのまま川の上空に見ることができる青空を眺めた。
感傷的になっている今、少し応える涼しい風が吹き抜けていった。
(※)『アルタクティスZERO ~ 外伝1 天命の瞳の少年 ~』― 第2部 「6.オルフェとリーヴェの物語」
エヴァロンやイデュオンなどと同じく聖なる森の名がつけられたバルンは、大陸の北側に属していることから、南ではまだ暑さが厳しい、秋が深まる前の真昼でも、連日
アルタクティス大陸の気候は、地域ごとの夏と冬の気温差に大きな開きはないので、一年を通してその土地の季節が急激に変化することはないが、北になればなるほど寒く、南になればなるほど暑いという性質であるため、北の冬と南の夏の気温差であれば、その差は激しい。
そして、熱帯のアースリーヴェなど特殊な地域を除いて、全体的に昼と夜の気温差も大きく、砂漠地帯などでは、昼間の気温上昇と夜間の気温低下は特に
一行は予定通りに北の国メルクローゼ公国に到着し、今はその森バルンにいる。
川の水で顔を洗ったあと、レッドは小高くなった場所まで歩いて、そこの草地の上に腰を下ろした。陽光を受けて輝くみなもを、ひとり
レッドが重いため息をついた時、背後からギルがやってきて、そんなレッドの顔をのぞきこむようにしながら隣に座った。
「どうした?背中が寂しそうだぜ。」
そう言われて、レッドは一度ギルの顔を見たが、また目の前にある川の流れに目をやり、ため息を重ねた。
「どうにも落ちつかなくてな・・・やっぱり。」
「ミーアのことか?」
「ああ。あいつは俺が守ると誓って連れ出してきた。なのに、いくらエミリオにとはいえ、途中で他人に任せるなんて無責任だろう。いや、何よりやっぱり、自分であいつのことみていたかったからさ・・・。」
レッドの横顔は、剣を両手に
「エミリオも責任重大だな。なあレッド、こう考えたらどうだろう。ヴェネッサからレザンの町まで、馬の旅で最短距離をくれば一か月ほどでたどり着けるんだ。それまでの約二か月間の神殿暮らしは、ミーアにとってもいい経験になると思うぞ。」
「そうだな・・・けど、気になって仕方がないんだ。身の安全もそうだが、寂しがってやしないかなって・・・メシ・・・食わなくなるような気がするんだよな・・・。」
「・・・いずれ城に帰すんだろ?最終的な別れがきた時、ミーアが飢え死にすることをずっと心配し続けるつもりか。俺は、そんなお前の方が心配だよ。」
「ああそうか・・・。そうだな、あいつは俺たちとずっと一緒にいるわけにはいかないんだ。そんな心配・・・するなんて、おかしいな。情けねえ、いつからこんなになっちまったんだろう。俺はずっと一匹狼でやってきたってのに。」
レッドは
「ずっと一緒にいられないのは、俺たちだって同じだがな。」
ギルも寂しそうな微笑を返し、静かな声で続けた。
「実はな、俺もお前たちと別れる時のことを考えると、どうしようもなく悲しくなることがある。初めは、人のためなら、簡単に命を
「怖い思い出もか?」
「そうだな。俺たちの運命とやらには、そういうのもありだったな。」
二人は一緒になって笑い声を上げた。
「それにしても、森の神が北へ行ったってのは、ほんとなんだな。」
「急にどうした。」
「リューイが俺に話してくれた神話を思い出したんだよ。海の神の息子オルフェと、森の神の娘リーヴェの話だ(※)。せっかくのラブストーリーを子供から聞かされたようなものだったが。ロマンチックに語ってやろうか。」
「それなら聞いてみたいが、あいにく知ってる。リューイの故郷の物語だろ。一緒になるために人間になろうとした二人の仲を引き裂くために、森の神がリーヴェを連れて南から北の国へ移ったっていう。そういえば、あいつの石は海の神だったな。で、故郷はその南の樹海か。森の神ノーレムモーヴの石を持ってるのは、女性かもな。なんとなく。」
ギルは一息おいて、辺りを見回した。
「ところで、そのリューイはどこへ行ったんだ?一緒にいるかと思ったが。あいつに食材調達してもらおうと思ったのに。」
「ああ、最近なまりぎみだからって・・・ちょっと暴れてくるってさ。ここへ戻ってくると思うが。」
「なまりぎみ・・・あいつの辞書にそんな文字があるのか。」
「まったくな。」
そう答えると、レッドは頭の後ろに手を組んで、目を閉じながら背中を倒した。ひと眠りしようと。
ギルもそれに
感傷的になっている今、少し応える涼しい風が吹き抜けていった。
(※)『アルタクティスZERO ~ 外伝1 天命の瞳の少年 ~』― 第2部 「6.オルフェとリーヴェの物語」
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