【ゲームの話】ブラッドボーン 人形とマリア

文字数 581文字

フロムソフトのゲームはACからソウルシリーズまで大好きだが、一番はやはりブラッドボーンだ。ゲームとして面白いのはセキロだけれど、ブラッドボーンの世界観は唯一無二。ダクソ3は大味な感じがするし。

ブラッドボーンは人間ドラマ。愛するマリアを人形にしたゲールマン 、学舎での派閥争、死んでもなお夢のなかで神と交信しようとするミコラーシュ。白痴であるが故に神の啓蒙を得たロマ(諸説あるけど)……

マリアはゲーム中だと男装の麗人って感じだけれど、ゲールマンの人形の衣装はお嬢様のお召し物。なんだか切ない。ひどく切ない物語。マリアが狩人になった経緯は説明されていないけれど、少なくともゲールマンは狩人として血に塗れたマリアは見たくないってことだよね。

実験棟の実験体の証言から察するにマリアは本質的には母性のある優しい女性であることが伺える。加害者側のマリアがあれほど慕われているのだから。

ゲールマンそれが分かっていたから人形に狩人の衣装は着せなかった。人形のセリフにある重い枷とは狩人として生きることに他ならない。

それにしても、愛する女性が亡くなったとき、あれほど精巧で美しい人形が作れるものだろうか。狂気ではない。深い深い愛しかない。ゲールマン にとってマリアのいない世界など生きる価値などないのだ。永遠に終わらない獣狩りの夜の夢にその身を閉じ込めた方がマシだと思えるほどに。
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