日記のなかに隠れている
文字数 559文字
今日から日記もつけてみようとおもいます。
僕は人の日記・エッセイ・ブログの類を見るのが好きです。日記というのは自由です。詩が好きな人は散文詩を書くし、本が好きな人は書評を書いて、頭いい人は試論を書く。とにかく自由でわんぱくな文章なのです。
ここで重要なことは書いてる本人が自分の文章を日記だと思っているということです。
僕は詩が好きですが不思議なことにグッとくる詩というものは日記や小説の何気ない一文だったりします。詩は詩という形態でなくても小説や日記のなかに、はたまた取り扱い説明書の文章とか、そういうところにひっそりしていることが多いです。(そういう意味では僕は詩があんまり好きではないのかも知れません)
それにエッセイって軽い読み物ですから読む方の心構えもたぶんに脆弱です。油断しているのです。ふにゃふにゃ読んでいるところに、机の角に小指をぶつけたような、街できれいな女性とすれ違ったときのような、ハッとする言葉に遭遇すると心にうっかり聖痕が刻まれて、長い人生のなかでそれが光ったり消えたりするのです。
僕はむかしのギリシャの学者のように「ユリイカ!」といいたくなる瞬間を求めて日記を読んでいるのかも知れません。そしてこの日記がそのようなうっかりお風呂でひらめいちゃったりする文章になったらいいなとおもいます。
僕は人の日記・エッセイ・ブログの類を見るのが好きです。日記というのは自由です。詩が好きな人は散文詩を書くし、本が好きな人は書評を書いて、頭いい人は試論を書く。とにかく自由でわんぱくな文章なのです。
ここで重要なことは書いてる本人が自分の文章を日記だと思っているということです。
僕は詩が好きですが不思議なことにグッとくる詩というものは日記や小説の何気ない一文だったりします。詩は詩という形態でなくても小説や日記のなかに、はたまた取り扱い説明書の文章とか、そういうところにひっそりしていることが多いです。(そういう意味では僕は詩があんまり好きではないのかも知れません)
それにエッセイって軽い読み物ですから読む方の心構えもたぶんに脆弱です。油断しているのです。ふにゃふにゃ読んでいるところに、机の角に小指をぶつけたような、街できれいな女性とすれ違ったときのような、ハッとする言葉に遭遇すると心にうっかり聖痕が刻まれて、長い人生のなかでそれが光ったり消えたりするのです。
僕はむかしのギリシャの学者のように「ユリイカ!」といいたくなる瞬間を求めて日記を読んでいるのかも知れません。そしてこの日記がそのようなうっかりお風呂でひらめいちゃったりする文章になったらいいなとおもいます。